突然の訪問者と「日本型ウェルビーイング」一「自由の意味」
●突然の訪問者との不思議な縁
長野県の信濃教育会の総会に2年連続で講演を依頼され、GHQの対日占領文書に基づく戦後教育の問題点について話したことがきっかけで、長野県の教員研修に深くかかわることになった。明星大学を辞めて信濃教育研究所の所長になってほしいという依頼は丁重にお断りしたが、下伊那教育会の3人の校長先生が上京され、「感性教育」について連続講演を依頼された。
飯田市で行われた下伊那教育会の夏季教員研修の全分科会の助言と「感性教育」の講演を20年近く続けた。何の面識もない校長先生から「感性教育について一生ご指導をお願いします」と依頼されて驚いたが、実は私の祖先(赤穂城の城明け渡しの折に立ち会った脇坂藩の筆頭家老)は飯田市から兵庫県竜野市に移ったという史料を下伊那教育会の先生から見せられて、深い縁があったことを知った。
3年間の在米占領文書研究を終えて帰国し、最初に講演を頼まれたのはソニーの井深大名誉顧問であった。直接電話で依頼を受け3時間ソニーの幹部に講演したが、すべて質疑応答であった。私の論文を全員が読まれて鋭い質疑応答の連続で、これまでの学会発表では経験したことのないものであった。
講演後、井深氏は別荘に籠られ『あと半分の教育』という新刊書を書き上げ、「あなたの講演を中心にしてまとめたので間違いがないか入念にチェックしてほしい。御礼はソニーの製品の好きなものを選んでください」と言われて驚いた。
また、また、三菱総合研究所の中島正樹顧問が突然明星大学の私の研究室に来られて、岩崎弥太郎記念三菱総合学園の企画書を持参され、私に明星大学を辞めて同学園の学園長になってほしいと直訴された。それは幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、大学院で構成される総合学園構想であった。八王子に土地も準備しているとのことであったが、恩師である児玉三夫明星大学学長に不義理をするわけにはいかないので丁重にお断りした。それではこの計画は断念しますときっぱりおっしゃって残念そうに退室された姿を忘れることができない。もしあの時引き受けていたら玉川学園のような総合学園ができていたであろう。
突然研究室を訪問された方で今でも忘れられないのは、「ディベート道」を提唱された松本道弘氏である、全く面識のない私一人に対してホワイトボードに「ディベート道」の講義を90分近く行い、「あなたは日本の教育のキーパーソンなので、是非理解してほしいと思って来ました。私は今晩外国に出張するので失礼します」と言い残して立ち去られた。
臨教審第一部会でご一緒したダイエーの中内功社長や労働組合幹部の金杉
秀信氏もよく研究室を訪ねて来られた。そのご縁でUIゼンセン同盟の委員長が日教組に代わる労働組合を結成したいと相談に来られた際に、教員が元気になる研修を「感性・脳科学教育研究会」として始めましょうと逆提案したことが、その後の「科学的知見に基づく家庭・道徳教育研究会」、今日の「ウェルビーイング教育研究会」に繋がってる縁の不思議さを感じずにはおれない。
●「侵略されたら逃げる」大学生が72%
ところで、「自国が侵略されたら戦うか」という昨秋の大学生アンケ―ト調査に対して、72%が「逃げる」突然、12%が「戦う」、17%が「受け入れる」と答えた衝撃的な結果を私たちは一体どのように受け止め止めればいいのであろうか。
かつて中曾根政権下の臨時教育審議会の岡本道雄会長(京都大学総長)が「21世紀の教育理念」についてアドバイスを求めた田中美知太郎(同大教授でソクラテス・プラトン研究の第一人者)は、「自由の意味」について、次のように指摘した。
<「自由」ということの最も基本的な意味は、自分たちが住んでいる国家が他国によって支配されないということ、それが自由の根本的な意味なんです。かのペルシャ戦争においてギリシャ側が決定的な勝利を得たサラミス海戦で、テミストクレスという人が掲げた合言葉、日本海海戦における「皇国の興廃この一戦にあり」というふうな仕方で一般に受け取られた言葉は何かというと、「行きて祖国の自由を守れ、汝の妻や子の自由を守れ」という合言葉だったんです。(中略)他国によって侵害されない、征服されないというその事実、それが「自由」という言葉の根本的な意味です。自由独立ということ、これが「自由」の基本的な意味です。(『人間であること』文春学藝ライブラリー,2018年所収)
今まさにウクライナがロシアと戦っている戦争は「皇国の興廃この一戦にあり」の覚悟でロシアからの侵略を国民が一丸となって守っている「自由独立」のための戦いに他ならない。憲法前文に「わが国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し…平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した…日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」と明記した日本の大学生が他国に侵略されても「自由独立」のために戦わないのは戦後教育の当然の帰結といえる。
●「権利」ではなく「権理」
フランスのバカロレア試験では「自由の意味」を問う出題が見られるが、「自由独立」をセットで捉える認識が我が国の戦後教育には欠落している。福沢諭吉は『学問ノススメ』で、Rightを「権利」と訳すと、「必ず未来に禍根を残す」と警告し、Rightを「権理通義」すなわち「権義」とし、「権理」と訳した。「自由独立」という「自由の意味」も「権理」の意味も見失われたのである。
「通義」とは「義に通ずる」「道理」という意味である。Rightには道徳的に正しいという意味が込められており、「道理」に基づいて行動することを「正義」イコール「通義」と把えたのである。つまり、Rightは道徳的裏付けがあって成り立つものであるが、子供の権利や人権を道徳を全面否定する立場から「性的自己決定権」などと主張する人々は、「必ず未来に禍根を残す」と警告した福沢の指摘に耳を傾ける必要がある。
「世界人権宣言」作成の際にユネスコから意見を求められたワシントン大学のライエン政治学部長は、人権は「人間の尊厳を支える基石であり、自己管理(self-management)、自由をもたらす本質である」と指摘した。「自由独立」をセットで捉えて、自己を制御できる独立心に裏付けられて初めて「真の自由」を得るという「自由独立」を福沢諭吉は説いたのである。フランスのバカロレア試験はこの「自由独立」の視点から「自由の意味」を問うているのである。
自由には市民的自由と精神的・道徳的自由の二つの意味があり、人間が自己の欲望を抑えることができる理性に立って自律的に自己抑制して行動する時にのみ自由は権利として認められるというのが本来の「自由権」の思想なのである。それ故に、子供たちは道徳的自由という真の自由に向かって鍛えられなければならないのである。
●「性自認」と「自由権」
自分の「性自認」によって「性別」を子供が決める権利があると主張する人々は、この本来の「自由権」の思想をはき違えているのである。ドイツの哲学者のカントは『実践理性批判』において、「道徳は自律と自由の上に成立する」と喝破したが、こうした観点から、「自由」の意味について根本的に見直す必要がある。
2年後に開催される大阪万博のメインテーマは「SDGsからウェルビーイングへ」、サブテーマは「いのちを救う」「いのちに力を与える」「いのちをつなぐ」であり、2015年から国連が提唱したSDGsも2030年からウェルビーイングへ移行する。9月に日本で行われる準備会合を踏まえて来年9月に開催される国連未来サミットでこのテーマについて本格的な審議が行われる。
個人の自由と選択、自己価値の実現を重視する獲得的幸福観でははなく、他者との「調和」と「バランス」、幸福の「陰と陽」、人並み志向などの日本文化の「協調的幸福観」尺度が2022年の「世界幸福度報告」にも取り入れられた。
「協調的幸福尺度」とは、以下のような視点である。
⑴ 自分だけでなく、身近な周りの人も楽しい気持ちでいると思う
⑵ 周りの人に認められていると感じる
⑶ 大切な人を幸せにしていると思う
⑷ 平凡だが安定した日々を過ごしている
⑸ 大きな悩み事はない
⑹ 人に迷惑をかけずに自分のやりたいことができている
⑺ 周りの人達と同じくらい幸せだと思う
⑻ 周りの人並みの生活は手に入れている自信がある
⑼ 周りの人達と同じくらい、それなりにうまくいっている
●「日本型ウェルビーイング」の2階建て
バランスと調和を重視する「日本型ウェルビーイング」教育とは、公平なシステム、多様な生き方を認め、様々な人と繋がる「独立性」と他者の幸せを考えて人と協調する「協調性」という、日本における二つの自己意識が二階建てになっており、「多様性のある協調性」が特色といえる。
「多様性のある協調性」の観点からLGBT理解増進法について考えると、LGBT当事者との調和とバランスを図る要がある。子供と親、学校と教師の「日本社会に根差したウェルビーイングの向上」(第4次教育振興基本計画の基本理念)を図るという観点から、LGBT理解増進法の基本計画・ガイドラインを作成する必要がある。
先天的な性別の共通性と後天的なジェンダーの多様性の調和とバランスを図ることが最大のポイントである。脳科学、生命誌、幸福学、ウェルビーイングなどの最新の科学的知見を持った有識者からヒアリングを行い、科学的知見に基づくLGBT理解増進法の「多様性のある協調性」の推進を期待したい。