「生命の尊重」を核とした道徳教育の構築一人間の本性理解のコペルニクス的転換

    政府の教育再生会議は第二次報告で「徳育を『新たな枠組み』で教科化し、社会総がかりで徳のある人間を育てる」よう求め、「新たな枠組み」について、次のように提言した。
「国は、脳科学、社会科学等の科学的知見と教育の関係について基礎的研究をさらに深めるとともに、その知見をもとに、発達段階に応じた徳育体系の在り方や、効果的な教育手法について整理し、学校教育に活用することを検討する。」
 認知心理学、進化心理学の著しい進展によって、道徳は大脳組織に組み込まれており、道徳中枢は存在しないが、道徳的課題に応じて働く脳の部位と機能が異なり、独自の神経ネットワークがあることが脳神経倫理学等によって判明した。
 さらに、ドイツの進化人類学者のマイケル・トマセロは、共同採食のための「協力」が人間の道徳を生み出したことを明らかにした。進化心理学によれば、人間の道徳とは、「共感」し〔協力」する人間の心と行為といえる。
 全米でベストセラーになった『社会はなぜ左と右にわかれるのか一対立を超えるための道徳心理学』の著者であるジョナサン・ハイトは、道徳的判断が理性的思考にのみ基づくと考える理性偏重主義を批判し、道徳における直観、情動の重要性を強調し、次のように指摘している。

「道徳教育は、暗黙知を感得させるものでなければならない。社会的知覚や社会的情動の技能がうまく調整されれば、人は自動的に、状況に応じて何が正しいかを感じ、何をすべきかを知り、そうしたくなる。」

 直観は合理的思考よりも劣る低次な脳機能と見なされていたが、ミラーニューロンの発見によって、直観は非常に巧妙に洗練された高度な進化の産物であることが判明した。人間の本性理解のコペルニクス的転換が迫られることになり、人間の脳は専ら自分自身のことだけを扱う脳ではなく、他者の気持ちを感じることのできる脳を先天的に持って生まれ、周囲の人々に共鳴するようにできていることが明らかになった。
 日本政府は第5期科学技術基本計画において、人々に豊かさをもたらす「超スマート社会(Society 5,0)」を未来社会の姿とし、サイバー空間(仮想空間)と現実空間を高度に融合させる取組を推進し、狩猟・農耕・工業・情報社会に続く新たな社会を目指すことを政府目標として掲げた。
 近年日本では、「アクティブ・ラーニング」や「主体的・対話的で深い学び」等の能動的な学びの在り方が提唱されているが、アクティブ・ラーニングとは学び手をアクティブにすることであって、アクティブ・ラーニングという画一的な方法を導入することではない。
 平成28年に開催されたG7倉敷教育大臣会合では、「教育のイノベーション」をテーマに、「倉敷宣言」が発表され、工業・産業社会の人材育成から、「創造社会」のための人材育成への転換という歴史認識が示された。
 これからの学校は、クリエイティブ・ラーニング(創造的な学び)のための「つくる」経験を積む場となり、つくる中で学びを深める学び方を、道徳教育においていかに実践化していくかが問われている。
 同教育大臣会合において、人の心の問題に介入すべきでないという理由から道徳教育に慎重であったイギリスが道徳教育を重視する立場に転換し、同会合の重要議題の一つであった「共通価値の尊重」の中で、議長国である日本が最優先事項として提出した「生命の尊重」に対して、ユネスコの会議では、「自由と民主主義」等の「命よりも大事な価値がある」として反対したフランスやアメリカが賛成に転じ、日本の提案が採用された。
 デジタル技術の革新による社会全体の変革が起こり、世界の構造を変えつつある。この世界構造の転換に対応するためには、「創造的な学び」への教育のパラダイム転換が必要である。個人が多様な人々と協力して新しい創造社会を担っていく学びの場を作ることが求められている。
 このような世界の教育改革の最新動向を踏まえ、「生命の尊重」「いのちのつながりの自覚」を中核とした新たな道徳教育学の構築が時代の要請といえる。人の心の問題に介入すべきではなく、価値観の強制、押し付けはいけなないという従来の固定観念から脱却し、全ての子供に内在する道徳性の「全人的な発達」を促す「モラルサイエンスの科学的知見に基づく発達支援」への転換こそが求められている。
 これまでの知的理解偏重から脱却し、道徳教育の3要素である知情意のバランスを取り戻す道徳教育の目的・内容・方法・評価を確立し、バランスのとれた包括的な感知合流の新たな道徳教育学を樹立する必要がある。学習指導要領の内容項目(自己、他人、集団や社会、生命や自然、崇高なものとの関わり)をモラルサイエンスに基づく道徳教育学の視点から体系的に学習することが重要課題であり、「考え、議論する道徳」「主体的、対話的で深い学び」「多面的・多角的な思考」とは何かを、こうした視点から根本的に問い直す必要がある。
 


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