「慰安婦問題」最終結論の要約⑴
朱益鐘『反日種族主義「慰安婦問題」最終結論』の要約を連載したい。
1 日本軍慰安所の設置
日本軍慰安所は1932年、上海事変後に初めて出来、日中戦争勃発後は中国戦線の各地にわたって設置された。最初は日本軍が上海の既存の遊郭を軍慰安所に指定した。日中戦争期には現地の日本軍が業者を選定したり、現地の日本軍からの要請を受けて日本の警察や台湾総督府が業者を選定したりした。軍が慰安所を設置したといっても、軍が行ったのはあくまでも業者の選定で、この業者らが慰安婦を募集した。慰安所は海外の戦場と満州国の一部に設置されたのであり、基本的に朝鮮、台湾、日本には慰安所はなかった。自分は日本軍慰安婦だったと申告・証言した人達の中には、実は慰安婦ではなかった人も含まれている。
2 慰安婦の数は?
慰安婦運動グループの関係者らがよく主張する慰安婦20万人説は勿論のこと、5万人説も事実ではない。戦場にいた日本軍兵士の数と慰安婦1人当たりの兵士数という慰安所の設置基準に基づいて推計すれば、慰安婦の数は日中戦争期に5000人台,1942年から43年にかけては1万3千人、1944年以降は1万5千人程度だった。慰安婦の交替を考慮した慰安婦経験者の総数は、日中戦争期で1万1千人、太平洋戦争期で2万4千人、都合3万5千人であり、そのうちの朝鮮人女性の慰安婦経験者は合わせて7千人程度だった。
3 慰安婦強制連行説の形成と隆盛
日本で成立した慰安婦強制連行説が韓国に入り,1991年から元慰安婦らによる証言が相次いだことで爆発的に慰安婦問題が起こった。日韓外交交渉を経て日本政府が「本人たちの意思に反して」という文言で慰安婦動員の広義の強制性を認めた結果、強制連行説は公認され、慰安婦制には戦時における性暴力・戦争犯罪という汚名が着せられた。しかし、実際の研究においては「強制連行」は立証されていない。
4 慰安婦契約論の展開
慰安婦強制連行・性奴隷説が横行する中で、韓国内外の勇気ある幾人かの研究者が、貧困家庭の家長と慰安所業者の間で前借金と女性を交換した、という慰安婦契約論を提起した。特にアメリカのラムザイヤー教授は、前借金、一定の年限、売り上げの定率分配という特徴を持つ娼妓契約や慰安婦契約の構造を説いた。韓国内外の慰安婦運動同調者たちがこれに強く反発したが、朝鮮や日本に娼妓契約があったのだから、慰安婦契約があった可能性にも扉を開いておくべきだろう。
5 慰安婦契約の証拠
日中戦争勃発以後、女性が慰安婦になるために日本や朝鮮などから中国に渡航しようとする際には、身分証明書、臨時酌婦営業許可願、親権者と本人が連署した承諾書、印鑑証明書、戸籍謄本が必要だった。これらの書類は、慰安婦業者と女性(及び父母ら親権者)側の間に慰安婦契約が結ばれていたことを示している。実際、30軒もの慰安所が密集していた漢口では、司令部が慰安所業者にこれらの書類の提出を求め,1944年末、沖縄の東方の離島に慰安所が開設されたときにも、軍は関連書類を収集・管理した。
6 挺対協証言録にみる”慰安婦になるまで
慰安婦運動団体である挺対協は、元慰安婦103人が慰安婦経験を語った証言録全8巻を刊行した。証言録上での慰安婦になる経路は、親権者や女性自身による契約、親権の委任・譲渡、誘引、強制連行に分類され、その分類における契約と強制連行の割合は同じ31%、誘引は26%、親権の委任・譲渡は12%である。しかし、誘引や強制連行で慰安婦になったという証言に中には、陳述の内容が矛盾していたり、蓋然性が低く事実だと認めにくいものが多く、誘引や強制連行は、当時としても犯罪として渡航手続きの過程で検知されたものであるから、慰安婦になる一般的経路にはなり得ない。
7 朝鮮内で酌婦や娼妓になる経路
1930年末の朝鮮人娼妓が作られる経路調査によれば、その70%以上が周旋業者を介していた。国内には酌婦や娼妓の従事させる市場ネットワークがあり、そこでは父母と募集業者との間で娘の娼妓就業契約が結ばれたケースが大多数を占め、若干の金を受け取った父母から娘の親権を譲渡された養父母が、その養女を娼妓にするケースもあった。一方で、婦女子を誘引し他人の戸籍謄本で娼妓就業の契約を結んだりすると、警察に摘発される可能性があった。日本軍慰安婦の動員もこの市場ネットワークが利用したのである。
8 客観的資料で見た”慰安婦になること”
業者が慰安婦を国内の酌婦・娼妓調達経路を通して募集した。独り身になった女性やそれまで娼妓などをしていた女性は自ら慰安婦契約を結んだが、大抵の場合は女性の父母ら親権者が業者と契約を結んだ。女性本人は炊事や掃除や看護婦の仕事だと思って慰安所に行ったケースもあるが、巨額の前借金を受け取った父母ら親権者は、それが慰安婦の仕事だと知っていた。韓国各地に建てられている少女像が示すように、韓国人の多くが10代前半から半ばの幼い少女が慰安婦として連れていかれたと思っているが、客観的資料によって確認される朝鮮人慰安婦の年齢は、みな17歳以上である。