楊尚眞弘前学院大学元教授のLGBT理解増進法批判の論点
家族を巻き込んだ左派の不当な批判によって窮地に追い込まれ急死した楊尚眞弘前学院大学元教授は、クビー著『グローバル性革命』の日本語訳を始めとする数多くの貴重な論文を私に送ってこられたが、同論文を世に問うのは私の責任と思われるので、故人のご冥福を祈りつつ、その中から、LGBT理解増進法に関する論文の要旨を紹介したい。
第一に、この文言は極めて重く強い表現をもった文言であり、「性的指向と性自認」は全く問題性のない絶対的に正しい価値であるから容認しなければならず、それに反する行為や考え方や発言は差別と見做され、それは、許されない悪しきもの、不義なるものという一方的に価値判断の決めつけをする文言である。つまり、性的指向と性自認に応じない、或は、反するいかなる行為や考え方や発言は差別となることではないか。性的指向や性自認という存在は「絶対者」で、それに反する者、意義を唱える者は「差別者」となるということではないか。
第二に、その文言を入れた、LGBT理解増進法が成立すれば、差別だと訴える訴訟が乱発することは否定できない。まず、「性自認を理由とする差別は許されない」という文言で、例えば、日本で起こり得ると考えられる性自認に関する訴訟は、女性自認の生物学的男性が女子トイレやお風呂に入れなくなるとその施設のオーナを相手取り訴訟を起こすことが考えられる。また、女子大学に入学を希望している女性自認の生物学的男性が入学を希望しても、女子大学によっては、入試を拒まれた場合、女子大学を相手取って訴訟が起きることが考えられる。また、あらゆる女子寮に女性自認の生物学的男性は入れなくなると訴訟が起きることが考えられる。
それだけではない。女子のスポーツ競技に女性自認の生物学的男性が出場できなくなる場合、或は、出場できた場合でも訴訟が起きることが考えられるのは既に米国で起きたからである。女性自認の生物学的男性を「女性」として認めず、女性自認の生物学的女性と同等な扱いをしなければ、訴訟の可能性はあるのである。そのように性自認に関するあらゆる訴訟が起きることが考えらえるが、この法律文言「性自認を理由とする差別は許されないもの」を盾に、あらゆる訴訟が生じることで社会に混乱と対立を招くことが予想される。その原因は、国がLGBT理解増進法を成立させ、性自認の権利を保障していることになってしまう。
第三に、また「性的指向を理由とする差別は許されないもの」という文言によって、同性婚合法化を促進させる理由となる。なぜなら同性愛や両性愛という性的指向を理由にして同性婚が容認されないのは差別となるという論理が出来上がってしまうからである。それは、同性婚だけではない。あらゆる形態の結婚も性的指向を理由に差別となってはならないことから、近親婚や重婚も合法化すべきであるという論理が出来上がってしまう。
また、性的指向の権利保障という名の下、教育現場においても様々な性的指向を擁護し、性の多様性を容認する教育を行わなければならないことも考えられる。今も、日本で性には多様性があると言って、ジェンダーイデオロギー提示する「性のグラデーション」を教育するようなことが起きているが、性の多様性を容認させる教育は、性行為の多様性も容認させる教育となる。性の多様性を容認させて、性行為の多様性を否定する教育はあり得ない。また、学校の性教育においても、異性愛と同性愛の両方の性教育を実施しなければ差別となってしまう。そのような性教育を教育者や保護者が拒否すれば差別主義者と見做されてもおかしくない。
実際、差別禁止法が成立し同性婚が合法化となったカナダの事例を見ると、カナダのオンタリオ州のすべての公立学校は幼稚園生から高校生に至るまで、二人の父の家庭、二人の母の家庭も正常な家庭であると教えている。また、同性愛者やトランスジェンダーに対する偏見をなくすため幼い時から同性愛と性転換は異常ではなく、本人の性向や選択によって自然に生じるものであるという概念を段階的に学習者に植え付ける教育を実施している。このような性教育に反対するデモや訴訟も起きたのである。このようなこの性的指向や性自認をめぐる様々な訴訟が起きてから、国が「LGBT理解増進法の成立の目的は、そんな意味ではなかった、そのように理解しては困る」、と訴えたところで何もならないのではなかろうか。
第四に、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものである」の文言が誤用される可能性がある。性的少数者の性的指向や性自認は、一般的に当事者が公表すれば、他者が知ることができるが、当事者が公表しなければ、知ることはできない。自分の性的指向や性自認を公表している当事者が社会生活において、一般人も経験するような不都合な扱いを受けたとき、性的指向及び性自認を理由とする差別であると訴える可能性が出てくる。
当事者がそのような性的指向や性自認を理由で差別を受けた被差別者であると訴えたら、訴えられた側は、当事者が訴える差別の理由でないと主張しても自己弁護できる方法があるのかということである。不利な立場に立たされることが多いのではないか。だから、性的少数者に対して腫れ物に触わることがないような特別扱いをせざるを得ない。そのような緊張した関係はむしろ相互間において隔たりを作ってしまう。
「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないものである」という文言は、相互の人間理解ではなく、人間不信を作ってしまうのである。人はどんな境遇に置かれている人に対しても人間として尊重し理解しようと試みることが重要であるが、法律でもって何かを強制的に理解させるものではない。国民が何かを理解しようとしまいと、受容しようとしまいと、法律は、良心の自由をもつ国民に対して何かを理解・容認することを強制することはできない。だから、LGBT理解増進法という法律自体、一方側に自分の身を置いて他者を自分側の方に引き込もうとする法律で、それに従わなければ、LGBTを理解していないと見做されてしまう「哀れな逆差別者」を増産させる法律ではないか。
第四に、LGBT理解増進法は、その法律の内容は、一方のグループが主張する権利によって、他方のグループの権利を侵害・抑圧してしまう可能性がある。万一、日本国憲法13条にある「公共の福祉に反しない限り」とあるように他者の権利に反することになってしまう。憲法における「すべての国民の権利」とは、あくまでも、「公共の福祉に反しない限り」において保障されるのである。「公共の福祉に反しない限り」というのは、個人、或はグループの主張する人権が絶対的に保障されるものではなく、他者の人権を侵害されるときには制限されることがあるという意味である 。
また、世界人権宣言第29条第2号でも同様な事が記されている。「すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当っては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する」。このことから、いかなる事柄においても、ある事柄を個人、或はグループの権利として主張し、法制化するのであれば、それに反対する他者の人権を侵害してしまうことがあるので慎重であるべきである。
LBGT理解増進法が成立するならば、多数決の原則にしたがって国民から選ばれている国会議員や市会議員が「性的指向や性自認」の保障によって要求される事案に対して反対や批判することも差別とされ、国民を代表している議員が沈黙するしかない悲劇に陥ってしまうこともあり得る。
終わりに
LGBT理解増進法は、当初、「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないもの」の文言はなかったが、修正案として自民党内で国会における法案提出のために議論されたが、この文言を取り入れることによって罰則はないものの外国の差別禁止法のような拘束力をもつ法律内容をもったものになる。万一、この法案が成立すれば、それで同性婚推進派は、立ち止まることはない。同性婚と自治体パートナシップ制度導入の要望の声も益々強くなることは間違いない。「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないもの」であるという言葉にしがみついて「同性婚を容認しないのは性的指向及び性自認を理由とする差別」であると社会に訴えるだろう。その時に、与党は、LGBT理解増進法の目的を「そのように理解しては困る」と言っても遅い。
このように「性的指向及び性自認を理由とする差別は許されないもの」の文言は、揚げ足を取られる言葉である。このような文言は削除しなければ後々大変な事態が起こり得る。わざわざ、問題になる文言を入れるとこれがこれから自民党にとって足かせとなる。そしてLGBT理解増進法は阻止されるべきである。少なくとも今回の国会で成立させることはない。そもそもLGBT理解増進法の存在意義はあるのだろうか。LGBT理解増進法を抜本的に再考することが望ましいと思われる。LGBT理解増進法ではなく、性道徳が乱れ、家庭崩壊を生んでいる今の日本社会に必要なことは性道徳を正しく教える施策を講じることが必要であると思われる。