生きて
死にたい、と思っていたことがある。
「お前なんていらないから」
そう言って胸倉をつかんできた中学の部活の先輩。他の部員からもひそひそと悪口を言われ、一人で弁当を食べる日々。
あの頃は何をしても楽しいと感じなかったし、きれいなものを見ても、心が動かなかった。
どうやったら、死ねるんだろう。
そんなことばかり、考えていた。死んだら、先輩から胸倉をつかまれることも、みんなから悪口を言われることも、一人で弁当を食べることもなくなる。私がこの世から消えても、きっと誰も悲しまないだろうし、私自身は楽になれる。いいことづくめだ。
……あの頃は、正しい判断ができなくなっていた。生きることが苦しくて苦しくてたまらなくて、死んだら楽になれるのかもと思っていた。
だから「かがみの孤城」で、アキが変えられない現実から逃げようと、城のみんなを巻き込んで死のうとしたことは、すごくよくわかる。
「かがみの孤城」は、学校に行かないという選択肢をとった中学生が城に集められ、「願いの叶う鍵」を探していくというという物語だ。それだけ聞くとファンタジーだが、一人一人の抱える事情は、ひどく生々しい。
城に呼ばれた中学生の一人である、アキもまた、壮絶な事情を抱えていた。家にも学校にも居場所がなく、味方がいないと思い込んでいた。だから、城のみんなを巻き込んで死を選ぼうとする。
『身勝手だ、とは確かに思う。けれど、わかってしまう。私もそうだったから』
主人公のこころも、そんな風に思う。
私も布団にくるまって声を殺し、「死にたい」と泣いていた。行動には移さなかったけど、みんなを巻き込んで死ぬことで、私をこんな目に合わせた中学校に、復讐ができるのではとも思っていた。
でも、死ななくて、よかった。
今ではそう思っている。
私は今、社会人だが、これまでの人生でいろんな人たちに出会ってきた。全部が全部いい人たちではなかったけれど、中には一生の友達と呼べる人や、人生をいい方向に変えてくれたと言ってもいいほどの人もいた。
中学生の頃に死んでいたら、その人たちと出会うことはできなかった。
「アキ、生きて!アキ、大丈夫だよ!大丈夫だよ、アキ!私たちは助け合える! 会えるよ! 会える! だから生きなきゃダメ! 頑張って大人になって!」
こころがそう叫んでアキの腕を引っ張って助けようとするシーンがある。これはこころからアキに向けられたものだが、なんだか中学生の私も一緒に腕を引っ張られている感じがした。
「死にたい」と思い続けていた私に、「生きて!大丈夫だよ」とこころの叫び声が、しっかりと届いた。
これから先、辛いことも多くあるだろうし、楽しいことばかりではないだろう。もしかしたら、また「死にたい」と思うこともあるかもしれない。でも、そのたびに、私はこころの叫び声を思い出すと思う。
「もう、私には味方なんていないんだ」と思い込んでいたけれど、その後たくさんの良い出会いに恵まれてきた。これからも、きっといい人に巡り会えて、助け合うことができる。大丈夫だよ、だから生きて、と。