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「タンジェリンの夢とマーマレードの空」(note de ショート #12)

 公園で出会った小さい女の子からもらった虹色のグミを口にして以来、僕はカラフルな世界に住んでいる。目に飛び込む光は七色で、すべての景色はキラキラと輝いている。どこを見ても、何を見ても、心が躍る。風がざわめく音とか、木々がこすれる音とか、鳥の鳴き声から鳥の感情が伝わってきたりとかすべての音が隅々まで聞こえて、今までの耳はフィルターがかかっていたかのように感じる。そして、僕に話しかける人はみんなとても優しい。今も恋人のみなみが目の前にいるけど、いつにも増して優しく可愛い。以前からみなみは可愛かったけれど、あのグミを食べてからというもの、それはそれは素晴らしい。

「だから...。それで...、しなくちゃ...んだよ。」

 グミを食べてから、みなみの話すことが、こんな感じで途切れ途切れに聞こえる時があって最初は少し戸惑ったけれど、みなみがとても可愛いので、まぁいいかと思った。少し怒りっぽかったみなみが怒らなくなり、さらに可愛くなってるんだから。

「ハル、最近動きがゆっくりしてない?」

「ん?」

「動きがなんだかスローモーションみたいだし、話し方もゆっくりしてる」

「だーいじょーぶだよ」

 みなみの言う通り、動きはゆっくりになった気がする。サッサと動けないというか、動く必要がないと思うようになった。話す時も、早く話せないというか、早く話す必要がないと思いゆっくりになる。でも、周りで鳴ってる音や、起こっていることはよくわかる。前よりわかる。以前の僕は、なんであんなに急いでいたんだろうと思う。でもみなみは、そうは思ってないみたいだ。

「そうかなあ。おかしいよー。前と雰囲気ちがうよ。体調悪くない?」

「うん。 大丈夫だよ」

「ほんとー?」

 みなみは首をかしげながら、僕の顔をのぞきこんだ。僕はみなみと目が合って、
 
「ほんとー」

と言った。もちろん、微笑みながら。

「うーん」

みなみは、いまいち納得していない様子だ。

「でも、やっぱりすこし変だよ。病院で診てもらった方がいいよ」

「病院?」

「そう。自分でわかんないだけで、どこかおかしいかもしんないし」

「うーん。病院なー」

 みなみが心配してくれてるのはわかったけど、調子は悪くないんだよなー。病院っていっても、何科? 何を説明する? だってどこも悪くないんだから。病院に行ってしまうと、悪いところを勝手に生み出されそうな気がする。などと、あれこれ考えながらかなりの時間黙っていたみたいで、みなみは

「ねー、ハル!聞いてる?」

と、言った。

「ん?んああ、聞いてるよー」

「『聞いてるよー』って、聞いてない人の言い方なんだけど。ちゃんと病院行ってよ」

「ん。わかったー」

 みなみは疑り深そうな顔で僕を見ていたけれど、でも可愛かった。

 全く気乗りはしなかったけど、みなみが言うので、ネットで調べて病院に行くことにした。何科に受診していいか分からないから、とりあえず内科にした。その病院は僕の家から近かったけど、そんな病院があるとは全く知らなかった。調べてみると個人でやられている町医者とのことだった。ある日の夕方近く、オレンジ色のキラキラした空を眺めながら歩き、ネットに載っていた住所に行ってみると、2階建てで丸っこい球体のような、柔らなクリーム色の建物があった。「病院にしては珍しい建物だなぁ」と思いながら中に入った。中に入ると外観と同じ色の壁の待合室があるだけで、看護師さんもさんも待っている患者もいなかった。

「すみませーん」

 呼びかけたが何の返事もなかった。玄関に置いてあったスリッパに履き替え、入り口近くにあった椅子に腰掛けていると、「プーン」と電子音が鳴り、奥のドアがスーッと自動で開いた。ドアは閉まることなく開いたままで、誰かが入ってくるのを待っているかのようだった。僕は椅子から立ち上がり、ドアのそばまで寄ってもう一度、

「すみませーん」

と、ドアの奥に呼びかけてみた。けれど、何の返答もなかった。ドアも開きっぱなしで閉まる気配がなかった。

「入って来いということかな...」

 そう思った僕は、ゆっくり奥に入ることにした。奥に入ってみると、さっきの待合室よりも小さなスペースがあり、奥に扉があった。壁の色は待合室のクリーム色にオレンジが足されたような色で塗られていて、明るかった。僕はゆっくりと扉に近づき、コンコンとノックした。

「すみません」

 と言ったけれども、奥からは何の返事もなかった。僕は恐る恐る

「失礼します...」

と言いながら、扉を開けた。部屋の中には、小柄で、白髪のメガネをかけたお医者さんがいた。

「いらっしゃい。どうされましたか?」

 口調はとても柔らかで、メガネの奥のがとても優しかった。でも、どうされましたと聞かれても、どうもしてないので、何と答えていいか僕は迷った。

「えー、あのー、僕はそう思わないんですけど、、僕の彼女がですね、、僕の様子が、前と違うって言うんです」

 お医者さんは、うん、うんとゆっくり頷きながら、僕の話を聞いていた。すると、

「体はしんどくないんだね?」

「はい。元気です」

 お医者さんはまた、うん、うんとゆっくり頷いた。

「彼女から様子がおかしいと言われ出したのはいつぐらいから?」

「1週間位前です」

 うん、うんとゆっくり頷いてお医者さんはた聞いてきた。

「それぐらいの時に何か変わったことありました?」

「はい、、公園で、あの、ちっちゃい女の子に、グミを、もらったんです」

 うん、うんとゆっくり頷いてお医者さんはた聞いていた。

「それを、食べてから、目に入る景色が、とてもキラキラしていて、僕の周りの人が、みんな、優しくなったんです」

 うん、うんとゆっくり頷いてお医者さんはた聞いていた。そして言った。

「いいですね」

「はい。いいんですよ、とても」

「うん、とてもいいと思います。病院に来る必要ないですね。でも、彼女が心配してるから、あなたはここに来たと」

「はい」

「それも、とてもいいですね」

 お医者さんは、優しくにっこり笑った。

「公園で女の子からグミをもらったのは、1週間位前ですよね?!」

「はい」

「なるほど」

お医者さんは、何か納得したようだった。

「あと2 、3日したら、グミを食べる前の感覚に戻ってしまうと思います」

「前の感覚?」

「そうです。見るものが今よりもキラキラしてなかった、あの感覚です」

 お医者さんは「あの感覚」と言った。そして僕に聞いた。

「あの感覚に戻りたいですか?」

 僕は少しだけ考えた。

「いいえ、今のままがいいです」

 うん、うんとゆっくり頷いてお医者さんは言った。

「じゃあですね、薬を処方しておきます。2 、3日して前の感覚に戻りそうになったら、それを飲んでください。飲むっていうか、食べてください」

「食べる薬ですか?」

「そうです」

「はい。わかりました」

「5回分出しておきますね」

「はい、わかりました」

「もしそれまでに、具合とか悪くなったら来てください。おしあわせに」

「はい。ありがとうございました」

 僕は深々とお辞儀をした。

 診察室を出て待合室に入ったら、椅子の上に薬の入った袋が置いてあった。薬屋さんでもらう。白い紙袋ではなく、薄いピンクの紙袋の中に薬は入っていた。袋には「おくすり」と1番上に書かれていて、その下にこんな記載があった。

「薬品名: タンジェリン
用法 : お好きな時に
効能 : 精神回復  」

僕はそれを持って病院を出た。

「お医者さんは『お大事に』じゃなく、『おしあわせに』って言ってたなー」

 僕はそう思いながら、柔らかいオレンジの光がキラキラ降り注ぐ道を帰っていった。

 
 家に着いた僕は、病院でもらった紙袋から薬を1つ取り出した。それは公園で小さな女の子からもらったグミと全く同じだった。ただ女の子からもらったのは虹色をしていたけれど、このグミは半分が緑、もう半分が黄色をしていた。お医者さんは、今の感覚がなくなるだろう2、3日後に、このグミを食べろと言っていた。1個ずつ透明の小袋に包装されていてプニプニしていた。何気なく1つの袋を開けると、焼きたてのクッキーのような甘い香りが部屋に広がり、僕は穏やかな気持ちになった。グミを袋から取り出し、ひと口かじってみた。さっき部屋漂った甘い香りが、今度は口の中に広がった。瞬く間にすごい眠気に襲われ、僕は部屋の真ん中で眠りこけてしまった。

 しばらくして気がつくと、僕は夢の中にいた。僕は普段めったに夢を見ない。前にいつ夢を見たのか、それはどんな夢だったのか、全く思い出せないくらいだ。僕は、空から暖かく柔らかな日差しが差す草原を、ゆっくり歩いていた。どんなに歩いても疲れそうになく、歩けば歩くほど歩きたくなった。小鳥はさえずり、それよりも大きな鳥は高い空をゆっくりと舞っていた。すると、緩やかな上り坂を登りきった頂上の所に、小さな男の子がいた。男の子は空を見上げて鳥を見ながら、口を真一文字に結びながら両手を握りしめ、こらえるように泣いていた。僕は思わず声をかけた。

「どうしたの?」

 僕の声に気づいた男の子は僕を見上げた。男の子と目があった僕は、ハッとして息を飲んだ。僕だった。小さい頃の僕だった。

「ハルくん?」

 僕のその言葉を聞いた男の子は、少し驚いたように目を開いた。

「どうしてぼくのなまえをしってるの?」

 やっぱりそうだった。

「今まで会ったことなかったけど、きみのことはずっと知ってるよ」

「ふうん」

 男の子は納得がいかないような様子でそう言った。

「さっき泣いてたよね。どうかしたの?」

「どうもしない」

 男の子は言った。まだ目には涙がたまっていた。

「そうか。大丈夫かい? 1人?」

「うん」

「お父さんやお母さんは?」

「いない」

「ん? どこにいるの?」

「どこにもいない。死んじゃった」

 僕の両親と妹は、僕が3歳の時に事故で亡くなった。家族で行く予定だったけど、僕は当日熱を出してしまった。僕は祖父母に預けられ、両親と妹は3人で旅行に行った。3人は旅先で交通事故に遭ってしまい、そのまま帰らぬ人となった。1人ぼっちになった僕は祖父母に育てられた。祖父母はとても優しかったけれど、どうしようもなく悲しくなる時があって、そんな時は、祖父母の家の近くの丘の上に登って、空を眺めるのが好きだった。

「そうか。聞いてごめんね」

「うん」

 男の子はようやく涙が乾いてきたようで、目には力が戻り始めていた。

「おにいちゃんはどこから来たの?」

「僕? あー、寝ちゃったらここに来てた」

「ははは!なにそれ?おもしろい」

 「おかしい」じゃなく、「おもしろい」と言ってくれるんだな。

「おにいちゃん、遊ぼうよ!」

「うん」

 それから僕たちは丘の上を走り回り、辺りをひらひら舞う蝶を追いかけたり、あちこちに咲いている花の蜜を吸ったりして夕方までたっぷり遊んだ。僕たちは疲れて、他の上に寝転がった。

「ハルくん。さびしくない?」

「いつもは、おじいちゃんとおばあちゃんがいるから、大丈夫。でもたまに、さびしくなる」

 小さい頃の僕がそうだった。

「お父さんとお母さんと、妹に会いたい?」

「うん...」

「じゃあさ、会いに行こう」

「え?」

「会いに行こうよ」

「あえないよ。しんじゃったから」

 男の子は僕を諭すように言った。

「いや、会えるよ。知ってんだよ、僕。みんながいる場所」

「ほんと?」

 男の子の顔がぱっと輝いた。僕は、

「うん。行こう」

 と言った。男の子も

「うん!」

 と言って、立ち上がった。僕ら2人は手をつなぎ、歩き出した。丘を下り、草原を歩き、桃色の川を渡ると、夕焼けの方向に虹が見えた。

「ハルくん、見える? あの虹の下だよ」

「ほんと?」

「うん」

 僕のその言葉を聞いた男の子は、笑顔の残像を残しながら、僕から手を離して走りだした。男の子が走り去るその後ろ姿の先に、3人の人影があった。2つの大きな影と1つの小さな影。夕焼けの逆光で顔までは見えないけれど、間違いなく父と母と妹だった。男の子もその逆光に照らされて影となり、僕の方からは顔が見えなくなった。3人の影の中に男の子の影が加えわって、4人の影はお互いに抱き合っていた。それを見ていた僕は、涙が止まらなくなりその場で号泣した。

「わああああーん!」

 僕は自分の泣き声で目が覚めた。目には涙が溢れていて、息がひくついていた。でも、なんだかスッキリしていた。周りを見回すと、さっき病院でもらってきたはずの紙袋が無くなっていた。

 それから数日経って、グミの効果が切れ出した気がした。みなみは相変わらず可愛かったけれど、前より少し怒りっぽくなったような気がしたし、目に飛び込む光が七色じゃなくなった。風がざわめく音とか、木々がこすれる音とかが聞き取れなくなり、鳥の鳴き声から鳥の感情が伝わって来なくなり、僕の耳は再びフィルターがかかってしまった。ても、それでもよかった。僕は少し怒りっぽくなったみなみを連れて、久しぶりに父母妹3人のお墓参りをした。

〈このエピソードの他にも、「note de ショート」というシリーズで2000文字〜8000文字程度で色々なジャンルのショートストーリー(時にエッセイぽいもの)を、月10話くらいのペースで書いていますので、よろしければお読みください。〉


 

 

 

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