悪魔が用意した『プレゼント』について

まず初めに、ここで話している『プレゼント』とは、
人に褒められたり、
カッコいい!と言われたり思われる事、
自分の評価が上がったり、
人から認めてもらう事、
などを指しています。



それが「罠」だと気がつく事。

1月6日のエースの言葉を聞いて、ハッとした。

私は、無意識のうちにプレゼントを何度も
もらいに行く自分になってしまい、
自分のやるべき事が手につかなくなっていた事に気が付いた。

「プレゼント、プレゼント♪」って、それが無いとヤル気も出ないような
自分になってしまった。
プレゼントをもらう事でアガる自分になってしまった。
そのプレゼントに囚われて、自分の時間も本当にやらなくてはいけない事も
見失ってしまった。


だから、
そのプレゼントはもう拾わない
と決めた。

 

誰かが用意したプレゼントのためにやるのではなく、
自分がやると決めた事に、
自分で意味を付けて、それをやる。

そうしたら、プレゼントのために飛ぼうとしてた着地点より、
ずっと遠くに飛べる。

誰かが用意したプレゼントに対して、
「そんなプレゼントは要りません」
という自分にならなくてはいけない。


誰かが用意したプレゼントには、
いずれ自分でも飽きてしまうし、
プレゼント自体も無くなると思っていた方がいい。

プレゼントに対して、
自分で作った意味、はずっと無くならない。

もしその意味に疑問を感じたら、また自分で作り直せば良い。


見た目はキラキラしたように見えるプレゼントでも、
実は違う意味が入っている事がある。

そのプレゼントをもらう事によってトキメキが得られると思っていたのに、
ゴールは「不幸」だったりする事もある。



アガればアガるほど、落ちるのは簡単。

だから、初めのうちはアゲられる。
調子良くいってるように感じる。

でも、最後のゴールは、「不幸」。

だから、そのプレゼントに飛びつかない。

中身の意味を自分で作り変える事で、
そのプレゼントのゴールが「不幸」にならないようにする。

誰かにプレゼントをもらって生きるのではなく、
自分が自分に仕事をさせて生きる。

誰かからもらうプレゼントの為に生きるのではなく、
自分の今の安全の為に仕事をする。


私が思っていた「プレゼント」や「奇跡」とは、
私自身と自分の行動を見えなくする、
実は悪魔が用意した「罠」だった。

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