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私が私をあきらめなかった理由。
私がなぜ、自分をあきらめなかったのか。
トラウマを負った私がなぜ
今、セラピストとして仕事をしているのか、
その理由を端的に言い現せないもどかしさ
みたいなものを私は抱えていました。
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その答えがこの本の中に、
著者ベッセル氏の言葉で現されていました。
「トラウマを癒やす仕事を
可能にしているものは一つしかない。
それは畏敬の念だ。
患者が虐待に耐え、
それから回復への道のりにはつきものの
魂の闇夜にも耐えることを可能にした、
生存へのひたむきな努力に対する
畏敬の念なのだ。」
私が私をあきらめなかったのは、
私の生命に対する畏敬の念であり、
私がセラピストの仕事をするのも、
自分をあきらめないという
勇気を持った人たちへの
畏敬の念であったのです。
そうだ、そうだったんだと。
深く共感して、
ぴったりと当てはまる言葉を得た私は
またひとつ自分を取り戻した気がします。
自分の生き方を決められるのは
自分しかいないから、
自分をあきらめなければ
過去になにがあったとしても大丈夫、
今を生きられるようになる、と私は言える。
私の経験からもそう言えます。
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