
夢にまで見た海外勤務。しかし、気づけば心身ボロボロで横浜で豆腐チゲを作っていた話
「海外の仕事に興味ないか?」
会社員をやめてお肉の専門学校に入学し、卒業式を1か月後に控えたタイミングで突如飛び込んできた夢のような話。私も最初は耳を疑いました。
「自分なんかが海外に?」
日本だけでなく海外での人気も年々高まりつつある黒毛和牛。その大きな特徴はお肉の繊維の中にきめ細やかに、そして鮮やかに入り込んだ美しい”霜降り”。これはもう農家さんが創り上げる芸術といっても良いと思います。
スーパーなどでみかける「外国産」の牛肉は全体的にお肉の赤身が目立ちますよね。それに対して黒毛和牛は赤身の中にも霜降りが入っていてそのビジュアルはつい見とれてしまいます。
その霜降りが全身のお肉にいきわたっているため、外国産のお肉よりも部位一つひとつの特徴がハッキリとしています。これに伴い食べ方も多岐にわたります。
「すきやき」「しゃぶしゃぶ」「焼肉」「ステーキ」と挙げればキリがありませんが、特に「すきやき」などの”お肉の薄切り”は日本独特の食文化です。(これはお箸で食事をする習慣があるから、など諸説あります)
一方海外では牛肉といえば”大きな塊”で買って調理するスタイルが主流。あと使い方としては”ミンチ(ひき肉)”ですね。
日本の和牛の輸出が始まって数年が経ちますが、まだまだ「薄切り」という文化は浸透していません。なぜならそもそもそ和牛のお肉を細かく分割する(さばくことができる)人材が少ないというのが一つの要因です。
日本では焼肉の”希少部位”として提供されているような高級部位が海外では全てミンチにされているという話を聞いた時は唖然としました。(もったいない泣)
私に海外勤務のお話がきたのもこれが理由でした。
「専門学校で基礎的な技術と知識をしっかり学んだ人材に海外で和牛の魅力とさばく技術を伝えてほしい」
現地の言葉もわからないような自分が果たしてやっていけるのかという戸惑いもあり、専門学校を卒業した後はそのまま実家の店に戻るつもりでもあったので家族とゆっくり時間をかけて今後の進路を相談しました。
幸い両親は健康に働ける状態で当時まだ50代だったこと、また2つ下の弟も一緒に仕事をしてくれていたので数年は私が外で勉強の意味も含めて仕事をしても問題がない状況だったので、このお仕事の話をお受けすることとなりました。
無事に専門学校を卒業し、ご依頼いただいた会社へ入社します。
現地で働くためにまずは入社から2年間は日本の現場で実務経験が必要となり、会社直営の焼肉店へ配属されることになりました。
配属先のお店は都内のオフィスビル内にある焼肉店。煙もくもく系の大衆的なお店とは対照的に、落ち着いた大人の雰囲気で、ランチとディナー両方営業していました。
平日のランチ帯はサラリーマンやOLの方が多く来店されるので、午前11時に開店してから目まぐるしい3時間強の闘いが始まります。
朝早くから100人前以上のお肉をさばいて、サイドメニューで使う野菜やお米、スープを大量に仕込みランチ営業に突入します。
次から次へと雪崩のようにオーダーが入ってくるので飲食店の仕事未経験の私は毎日てんてこ舞い。
あっという間にランチ営業が終了すると今度はディナーのコース料理の準備。宴会の団体予約が入ってるともう戦争です。新規で来店されるお客様の対応もしつつ、無限に溜まっていく洗い物もさばいて、足りなくなったごはんを炊いて、無くなったお肉をまた仕込んで、合間を見て翌日以降の仕入れの発注もしなければ家には帰れません。
(営業中にお米が足りなくなって何度冷や汗をかいたことか…)
大変な毎日ではありましたが職場の先輩と上司に恵まれ、アルバイトで働いてくれていた学生達もみんな素直で良い子ばかりだったので、人間関係で悩むことがなかったのはとてもありがたかったなと思います。
しかし、入社して半年経ったある日
突然本社から招集がかかりました
呼び出されたのは社長室
事前に用件を聞かされていなかったため「何かあったのかな?」と思いながら部屋に入り椅子に腰をかけると、目の前に座っていた社長の口からは衝撃の一言が
「申し訳ないけど海外の話が白紙になった」
その言葉を聞いて私の頭の中は「?????」状態
「え?なぜですか?」
話を聞くと、現地に出店予定だったはずのテナントの事業計画が何回試算しても赤字になるからという理由で棚上げになってしまったのです。
「はぁ…そうですか…」とため息をつきながら頭が真っ白になり意気消沈してしまった私。
この半年やってきた仕事はなんだったのか。
(っていうかそんなこと入社前にわかるだろ、と怒りもわきました)
海外事業の話が実質無くなった時点で私が会社にいる理由も無くなってしまいました。
入社して半年で学べたこともたくさんありましたがたかがしれています。何年もかけて自分の技術を磨いていこうと決心したのに、突然実家に帰るわけにもいかない。まさに八方ふさがり。
「会社としてはこのまま働いてもらって構わないんだけど・・・」と申し訳なさそうにしながらもどこか無責任な印象の言葉を並べる社長は続けました「別の系列店でしばらくら働いてみるか?」そう言われて異動が命じられたのは横浜市内の系列店。
気持ちよく整理がつかないまま10月から新たな焼肉店での仕事が始まりました。
そのお店は横浜市内でも有名な超人気店で売り上げは前の店舗の約10倍。お店の規模も大きく、それに比例して1日の仕込みの量も尋常ではありません。私はキッチンスタッフとして配属され、職人気質の厳格なベテラン様からしごかれる日々。
肉のさばき包丁を持っているはずの私の右手には気づけば菜切り包丁が、目の前にあるはずのお肉は野菜に代わっていました。
肉屋を目指しているはずの自分は次いつになったらお肉にたどりつくのか
調理場がメインの仕事場となり、仕込む野菜の大きさや厚みは今まで以上に細かくチェックされ、サイドメニューは調味料数グラムの違いで味が異なり、キッチン責任者のOKサインが出るまでひたすら作り直し。
大量のガスコンロと職人達の熱気で灼熱と化す厨房で、握力無くなるまで冷麺に使う麺の水切りをして、火傷に耐えながらチヂミやチャプチェを焼いて、石焼ビビンバ、豆腐チゲを作る。
毎日いろいろなお客様が来店される中、ママ友集団がランチタイムにご来店され、焼肉定食の注文が入ると思いきや一気に10個以上の豆腐チゲランチのオーダーが入った時は死にかけました。
目先の目標を突然失ったことに加え、異動先のお店で肉のさばきを学べると思っていたのに担当業務が「サイドメニューの調理」になってしまったことは精神的にかなり堪えました。
都内から横浜のお店まで朝早くから出勤して、夜のディナーが終わって片付けを終え、家に着くのはいつも深夜12時近く。
毎日通勤で往復2時間以上かけてまでヘトヘトになりながら自分は一体どこに向かっているのか
心身ともにボロボロで不安の毎日でした。
時間だけはどんどん過ぎていき、年が明けるとまた突然、姉妹店にも並行して勤務することになりましたがようやくそこでお肉の裁きも学べることになりました。
ただ、私が目指しているのは「精肉屋」
繁盛店の焼肉屋でのカット技術はもちろんとても勉強になったのですが、海外の話が無くなってから精肉を勉強できる場所をずっと探していてやっと目星がついたので、数日後焼肉屋の修行を終えることになります。
今だから言えることですが、店舗の規模が違うとはいえ売り上げが全く異なるお店の仕事を学べたことは大きな財産となりました。
繁盛店の焼肉屋では色々な学びがありましたが「マニュアルを厳しすぎるくらい徹底する」「原料の仕入れにはとことんこだわる」この2つは特に大切だと感じました。
マニュアルを守ると言っても紙に書いてあること通りにやれば良いというものではありません。生鮮食品の野菜やお肉はその日によって状態が変わるため、同じ作り方でも商品としての最終的な仕上がりが異なってきます。
普段提供しているメニューとの差異を確認するために調理場の責任者がいるわけで、その人の判断軸を自分の脳みそに叩き込むことに必死でした。
その取り組みが徹底されるからこそ、お店に来店されるお客様はいつ来てもいつもと同じクオリティの商品を楽しむことができるのです。「1年を通して品質を安定させること」は想像以上に大変なもの。
そして「原料の仕入れ」もとても重要
しっかりとした良い商品を提供したいと思ったら、それに見合った良い原料を仕入れる力が必須です。
繁盛店では仕入れ担当者が長年の経験で培った厳しい目利きのもと、良質なお肉やサイドメニューに使う野菜などの食材を仕入れます。中途半端な原料を持ってきた仲卸業者は門前払いされるシーンを何度も目にしました。
ただ、原料だけが良くても調理する技術が伴わなければそれなりの商品しか作ることができないのが難しいところ。
「仕入れの力」と「調理の技術」が両立してはじめて良い商品が出来上がり、結果的にお客様が付加価値を感じて対価(お金)を払って下さる。
改めて「こだわり」の大切さを痛感しました。
希望していた業務ではなかったとはいえ入社から1日たりともメモを取る習慣は欠かすことはありませんでした。
「いちいちメモなんてするな!仕事は目で見て覚えろ!」と叱られても「目で見て、耳で聴いて、舌で覚えたことは全部将来の仕事に活かしてやろう」と思い、絶対にやめませんでした。
必死に書き溜めたメモは数年経った今でも大切な財産となっているので、頑張って食らいついた自分を褒めてあげたいです。
「目で見て覚える」たしかにそれくらいの集中力をもって仕事に臨むことは大切なこと。しかし、実際に自分で作業して失敗を繰り返した方が身につく速さは圧倒的に違います。
これは調理だけでなく、お肉のさばきも同じ。だからこそ仕事でお肉を触れない期間は本っっっっっ当にもどかしくて仕方ありませんでした。
そんなことをしている間に周りのライバルはどんどんお肉をさばいているのですから
約1年間と短い期間ではありましたがこの焼肉店の経験は貴重なものとなったので、当時お世話になった方々には感謝しかありません。
そしてやっとの思いで「精肉屋」での修行に臨むことができた私ですが、精肉の世界はもっっっっっと奥深いものでした。