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たかふみさんはおバカさんです。


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「たかふみさんは難しい言葉を使って、自分が頭いいと気取っている」という疑いを受けました。
それに関して結論から申し上げますと、
わたしは自分を気取れるほど計算高くない。
つまり「おバカさんである」ということです。

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1、ビジネスバカ

2000年代。ひとりのモデルさんが人気をはくします。
彼女の名前はローラ。かっこいい系のファッションモデルの外見と
その天真爛漫な物言いと仕草というギャップ萌え的な魅力で大活躍することになります。

彼女を模倣して、様々な同業者がバカを演じ始めます。
鈴木奈々さんは有名ですね。
彼女は実はクール系のキャラクターで売っていたのですが、おバカになってからテレビでの露出を多くします。

後にこういう、「本当は頭良くて計算高いんだけど、バカを演じることによって収益をもたらす」のを「ビジネスバカ」と呼ばれることになります。

では、わたしはビジネスバカでしょうか?
バカの定義は様々ありますが、一般的には「ある平均的な水準よりはやや劣っている頭の出来」ということでしょう。
残念ながら、わたしはその一般水準をクリアできない人間です。もしクリアできていたなら今頃はどこかの会社の専務にでもなっていたでしょう。
この水準とはいわば「サラリーマン力」(ちから)というものだからです。

ですから、そもそもバカを演じる必要性はないわけですね。バカをアピールしたければ素の自分を見せればいいわけです。

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2、炎上マーケティング

おなじ「タカフミ」にホリエモンさんがいます。
彼の手法はいわゆる「炎上マーケティング」というやつです。

例えば、ホリエモンさんがなにか倫理観に外れる差別的な表現を伴った、でも一理あるような発言をしたとします。
すると、その発言に好きなものを貶されたと感じた人々が怒りだし、まずはホリエモンさんの日記サイトなどを叩きます。
この際の騒ぎを「炎上」と表現されますね。
しかし、反論するひとは無碍にコメントで反論するのは礼節を欠くとして、発言に関連する商品や商材を購入してそれをレビューする上で反論しようとします。
その商品購入の時点でホリエモンさんの勝利ですね。
結果としてはホリエモンさんの発言を機にその商品の売り上げが上がります。


それでは、わたしの場合はどうでしょうか。
このnoteでの発言ならばいざ知らず、リアリティの配信の際に虚空に向けて炎上的な発言を行っても、誰も聴いていないわけですから、効果はありませんし、その発言を以って売りたい商品も特に持っていないわけです。

ましてやマーケティングの得意なひとならば、まずはリアリティの配信として人が集まる方法を実践し、人が集まってから件の発言をすることでしょう。

今現在のわたしは配信活動に関しては駆け出しであり、誰もいない虚空で発言をすることで配信慣れを目指している段階です。
誰もいないからこそ発言をするわけですね。

そして、マーケティング能力はずるがしこさをカリスマとそれなりの行動力を持ち合わせたものが発揮するもので、この能力を有していないことでわたしがバカである証明は十分に可能でしょう。


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3、小説家と文学

わたしは小説家です。
少なくとも生きざまは小説家です。
しかし、文章を自由自在に操り、人々を魅了する魔術師のような領域ではまだありません。

要するにわたしは小説家でありながら、太宰や夏目や芥川のような小難しいところにいないというのが現状です。
夏目漱石の「こころ」辺りの文学作品は解説書や手引書のようなものを伴わないと物語内容を十全に知ることはできないものです。
わたしの読者としての「こころ」のストーリー解説は「NTR!」です。物語の魅力はまだまだ説明できていないですね。

むしろ、その明治から戦前の小難しい表現でない、 フランクな文体による、読みやすさ、のみやすさをわたしは自分の文体としています。

つまり、高尚な文学人として威張りくさるところではないということです。

本当に「こいつバカなんじゃね?」
みたいな文体です。ぜひ小説を買って読んでみてください。


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4、ジェネレーションギャップ

ただし、疑いがかけられた事実が示すように、表現が「合わない」ということはありますね。
その根拠はわたしが頭いいかバカかの議論ではなく、ジェネレーションギャップ。つまり、世代間の差異というのが、現時点のわたしなりの解釈です。

わたしは1990年代という、今の水準からすればちょいと厳しい年代を生きた世代です。携帯電話なんて夢にも思わず、地方格差は大きく、それでもテレビに人々が依存しており、進学や就職活動に関しては「氷河期」と呼ばれる狭き門であり、他の誰かとは違う何かがないと生き残ることすら困難な時代です。
統計によれば年間自殺者(自殺成功者)は3万人、交通事故死者数は2万人という、いわば平和の皮を被った戦争のような致死率で、がん系の病は不治の病と呼ばれていた世界観です。

今の若者がググレカスして5分で得る知識は、わざわざバスに乗って市立図書館にいき、それなりの本をみつけ、二時間くらい読まないと辿り着かない情報でした。土日祝日は閉館なのでゲームオーバーです。
その絶望も絶望と思わず当たり前のこととして過ごしていたのが1990年代の世界観です。

世代間差異というより異世界間差異というべきかもしれませんね。


一例をあげると大塚愛というシンガー。
今の20代の若者には「しっとりとしたバラードを歌い上げるアーティスト」ですが、1990年代を生きた世代には「はっちゃけた電波系ソングの名手」と解釈がわかれます。

更に一例をあげると「シークレットベース」
前者には「あの花~」の主題歌。
後者には「今現在俳優として活躍する井上真央さんが子役時代にやってたドラマの主題歌。あるいはそのドラマはしらんけど、どこでもヘビーローテーションで聴けた夏の終わりの名曲」と解釈が不一致します。

因みに哲学的な言い方をすると、曲がヒットした1999ないし2000年からみて「10年後の8月」が「あの花」のテレビシリーズ放送時期で、その放送時期からの「10年後の8月」が今(令和3年8月)ということになりますね。しらんけど。


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結び。

「バカか頭いいのか」議論と同時に
「たかふみさんは上から目線ですね」という疑いがあります。

これに関しては本当に申し訳ございませんが、本当に誤解です。
わたしはむしろ、相手を尊重して尊敬してものを申しているところであります。
スカートの中を覗いてるんじゃないかってくらいの下から目線です。
せめていつかは同じ肩くらいの目線に立てたらいいなってことです。

なぜならば、わたしが応援したいとして見ている人々は皆、わたしが持っていない才能。例えばシンガーとしての才能や、絵が描けるスキルとか、そもそもの可愛らしい声とか、独自の感性とかがあって、わたしが持っていないからこそ彼女達はもっと輝いて世の中に評価されて然るべきだ
と考えています。

活動の方向性がなんか違うなと思ったらお節介ながら意見してしまうところはあります。すみません。


もちろん、見下す対象もいます。
それはそんな彼女達の頑張りを認めず、時給30円とかの不遇を与えたりするシステムや、嫌がらせ行為をして彼女達を妨害して、活動を諦めさせようとするドリームクラッシャーや、配信活動に理解を示さず、「うるさい。今何時だと思ってるんだ(平日昼間)」と壁を叩く狭量の狭い連中。彼らに対しては酌量の余地はありません。
その時は言い方がきつくなるかもしれません。


でも、もしも、傷つけたのなら謝ります。許してください

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