ことば・機械
(2021年6月19日の日記)
久々にお酒を飲み、若干二日酔いのようになってしまった。なので書く気力が極端に弱い。
昨日は、本郷にあるトーキョーアーツアンドスペースというところに知り合いの展示を観に出かけた。TOKAS-Emerging 2021というイベントで、GengoRawという方々の作品が目当てだった。昔一緒にお仕事をしたことがある方が所属していることもあって常々活動を拝見しており、久々に話をしたかったという気持ちもある。
この会場は初めて訪れる場所だった。メトロに乗って御茶ノ水の駅で降りる。この街自体も久々で新鮮だったが、医学部の脇の方を歩くのは初めてで、それはそれで楽しかった。傘を差すか差さないか、迷うくらいの小雨が降っていた。
10分ほど歩き、会場に入る手前、少し高い壁に蔦の緑が広がっている場所があった。その前には赤いポストがあって、コントラストがとても綺麗だった。写真を撮った。
小さなギャラリーに入る時はいつも、少し緊張する。
会場では、2FがGengoRawのスペースだった。階段を登ると、薄暗い空間に、ことばと機械学習を使った作品群がいくつか並んでいた。
人間は言葉を使ってコミュニケーションをとる。他人や自分と。無意識すぎて気づかないくらいに思考は言葉の影響を受けている。
夢を見たときに流れる声も、こうやって文章を打つ直前に頭の中に浮かぶ声も、日本語という自然言語である。母国語が異なれば、きっとそれも変わってくるだろう。
なんとなく雨で、なんとなくギャラリーに向かう途中に感じていたドキドキも、『緊張』という言葉があるからそれを捉えられる。なんとなく見かけたポストに目が止まったときも、『コントラスト』がはっきりしているから、と理由づけができる。その言葉や概念を、過去の経験と紐づけることで、目の前で今まさに思っていることをフレームの中に捉える。フレームの外にあることは一旦置いておいて。
今回作品を観て感じた面白さや興味深い点は何か、考えてみると、それはAIや機械学習を通じて、自分自身や人自体について思いを巡らせてしまう点だと思った。
あるキーワードをInputとして与えると、Outputとして、プログラムと人間とがそれぞれ詩を書いてくれる、という作品があった。その過程はブラックボックスで(人間が詩を書く様子も見えないようになっている)、キーワードを与えてから3分ほど待っていると、2枚の紙にそれぞれの詩が印刷されて返ってくる。そうやって生成された2つの詩を読むと、ついつい、「こちらの方が違和感があって機械っぽい」「こちらの方が人間らしい」などと考えてしまう。
では例えば同じようなことを、機械じゃなくて猫ができるようになったらどう感じるだろうか。微生物ができるようになったらどうだろうか。創造的な猫、創造的な微生物。まずは信じることができないだろうが、感覚的に、AIとは全く違う体験になるのが想像できる。そもそも「猫っぽさ」「微生物っぽさ」がわからないから、「人間っぽさ」についても思い至らない。
AIによる創造が面白いのは、AIが個体ではなくデータという総体からつくられているということだ。そしてそのデータ元が、人間という、鑑賞者自身に直接的に関係しているということが大きいと思う。