音景クルーズ 感想
文化庁メディア芸術祭のワークショップとして開催された、『音景クルーズ』に参加した感想を忘れないうちに。
こちらのワークショップは、ボイス・アーティストの細井美裕さんが中心となって発案されたものです。個人的に細井さんはAIx音のスタートアップとして有名なQosmoに所属されていたり、メ芸でも新人賞を受賞されていたので存じ上げており、気になって参加することにしました。
詳細は上記リンクに。2020年の冬からはYCAM常設として開催されていくようで、まだまだ手探りの部分も多いとのこと。
今回の参加者は自分を含めた4名と、YCAMの方々、それに細井さんでした。
ワークショップ
事前にアナウンスされていた準備物は紙とペンです。
ワークショップのテーマは『音から景色を想像する』。QosmoのImaginary LandscapeというAIによる作品を思い出します。こちらは「景色から音を生成する」ので、今回とは逆方向ですね。
まずはアイスブレイク的に、自分の周りで鳴っている音を探したり、今日聴いた音について考えます。自分はiPhoneのアラーム音で今日目覚めたな、とか思い出します。
ワークショップ形式、かつ少人数なので参加者と意見を共有するのですが、このアイスブレイクの時点で、自分の周りの音だったり、音に対する捉え方が人それぞれ全く異なるんだな、と思うことになります。
自分の意見がもしかして他と被るんじゃないかな?と思って、蓋を開けてみたら実際同じような意見が多かった、みたいなことはワークショップや授業で経験したことがあると思います。それで、わざとちょっと面白いこと言ったほうがいいのかなとか思ったり。
でも音の感覚については、そんなことは無いのかもしれないと思い始めます。
音を聴く、音を描く
内容について。踏み込み過ぎてもよくないと思うので軽く流れを説明すると、「音を聴いて、それのイメージを紙に描き、それを説明する」繰り返しです。
おそらくオーディオインターフェースに繋いでいたのだと思います。きちんとステレオで音が共有されるので、それを参加者で聴きます。そこからどんな風景が実際に広がっているかを想像するのです。
例えば、自分で描いた絵はこんな感じ。
何が何だかと思いますが、実際にこれを音を聴くと、確かに「その音」が鳴っているんです。
あくまで想像することが大事で、正解はありません。例えば答え合わせ的に実際の収録風景の映像を見ても、聞こえていた音のソースが映ってないこともあります。でも確かにそこには「その音」が鳴っています。
参加者の意見を聞きながら、「その音」に対する解釈も様々だということに気付かされます。ある人は普段見ている日常の風景から膨らませます。またある人は音の雰囲気からイメージに置き換えます。
東京の音、青森の音、山口の音
今回の参加者は、東京・青森・山口(YCAM)だったと思います。
参加者自身の身の回りの音を聴いたり、録音したりするので、その場所特有の音が絵に反映されていたのも興味深かったです。
例えば東京の音はどうしても密度が高く感じた一方で、青森の方の音は広く隙間があって穏やかな印象でした。当然かもしれません。
ただ、東京に生活しながら特段それを意識することはありません。自分が住んでいる場所も、23区内ですがそれなりに(工事の音以外は)静かなところだと思っていました。
それでも比較したり、参加者の意見をもらったりするうち、自分の生活にも思っていた以上に様々な音が隠れていることが発見できました。また、東京の参加者の方々の音は割と似ているなという印象も。
地方特有、都市特有の音があるんだと思います。
無意識に聞いていない音
カクテルパーティ効果というものがあります。
パーティでも、カフェでも色んな人が色んな話をしていてザワザワしてますよね。でも、自分の名前はすぐに聞き取れたり、遠くの会話でも自分の業界に近い人が話していたりすると、気になって聞いてしまったりします。
人はこんな感じで、鳴っている音の中から意識的に音を選択して聞いているということがあるようです。
視覚におけるまぶたのように、外界から情報を閉ざす仕組みが無い分、こういった心理的な機能が発達しているのかもしれません。聞こうと思わない音は取り入れない。なので自分と関係ない音は、聞いているようで聞けていなかったりします。無意識に。
一方で、時計の音が気になって寝れない、ということもありますよね。特に何かに不安な時に。
例えば上記のシーンはその心理状態を、時計の音を敢えて大きく効果音として挿入することで、登場人物の心境を表しているものと思います。
聞けていない音に耳を傾ける
聞きたいもの以外は消す、というのはノイズキャンセリングイヤホンの効果に近いと思います。
私たちの耳はイヤホンと少し違って、勝手に、Autoにノイキャンされてしまっているのかもしれません。聞きたいとか聞きたくないとかではなく、無意識に聞けていない音がある。
案外そういった音からも影響を受けているのかもしれないと思うと、少し怖い部分もあるけれど、少し面白い気もしてきます。
PCをOFFにして初めてファンの煩さに気づくとか。
自分の部屋の匂いはわからないけれど、友達の家の独特な匂いはわかるみたいな。
映画音楽然り、鳴っていないと思っていた場面で効果的に使われていたり、めちゃくちゃ鳴っているけれどそれどころじゃなかったり。
そういった音の心理的効果について、めちゃ調べたくなるワークショップでした。
何より、自分の感覚を共有して、共感できたりあれこれ言う時間がとても有意義でした。ありがとうございました。
P.S.
聴覚技術は視覚より分かりづらい印象ですが、Appleの空間オーディオのようなものが出て民生化してるのをみると、着実に進歩してるんだなと思います。技術は人の感覚をどんどんアップデートしていくだろうから、将来の人々は音の定位にも敏感な耳になっていくのかもしれない。カメラのアングルみたいな感じで。
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