ボランティアなんて行かなきゃ良かった?

新潟県中越地震ボランティア:知る

「何しに行くの?」

2003年10月。
新潟県中越地震ボランティア(以下、ボラ)活動参加を決めると、
誰かにそう言われた。


ちくしょう!
そんなの私だってわかんねえよ!

私に何か出来るかも知れないし、何も出来ないかも知れないし。
むしろ素人が突然飛び込んでも、多分確実にジャマになるだけだよ!
ソレ位のコトはわかってんだよ!

でもでも、テレビとか新聞とか見てると、何だかわからないケド、
「この人達の為に、何か自分に出来ないかな?」って想うんだよ!
行かなきゃ!って、想うんだ!
行かなきゃ!行かなきゃ!って、何だか、ココロがザワザワするんだよ!

何で行こうとしてるのかわかんないよ。
何しに行こうとしてるのかわかんないよ。
でも、でも、行くんだ。

だからそう、行くしか無い。

行くしか、無いんだ。

・・・行こう・・・!!!!


そうして、仕事のスケジュールを相当ムリヤリ何とかして、
家族を説得して、ようやくバックパックを背負えたのは、
地震から3週間も後だった。

新潟県中越地震ボランティア:行く

名古屋から長野までJR特急で2時間半。
長野からワンマン電車で2時間半。
そこから更にバスに乗って35分。
バス停からボランティアセンター(以下、ボラセン)まで、また徒歩30分。

何かスゲエ遠いんですけど。
しかも緑がスゲエ深いんですけど。
背の高い原生林がにょきにょきする日本昔話みたいな風景に、ちょっと呆然。

停留所からボラセンまでの道すがら、もうイキナリ道路が「崩壊」してる。

ヒビが入ってるとか、一部が陥没してるどころじゃ無い。
2車線道路の1車線がガケ下に「落っこちちゃってる」。
道路、片側しかない。
もちろんガードレールも一緒に落っこちちゃってる。唐突に、絶壁出現。
「道・・・道無ねえじゃん!道、無くなってるじゃん!」とつい声が出る。
だって今までそんな風景見たコトない。

続いて目に飛び込んで来たのは、すべてが完全にナナメ45度に傾いてる材木置き場。
中の材木はバキバキ折れちゃって小屋と屋根の隙間から廃材が飛び出してる。

何だか今更ながらにエラいトコきちゃったな。なんて、少し呆然。


ようやく辿りついたボラセンの受付でボラ登録をする。
名前と住所と電話番号とボラ活動可能期間を記入する。
ボランティア保険に加入する。

配置部署は希望制。
そうだな、私の住んでる東海エリアにもいずれ大地震がくるって言う。
その時にボラやる為に本部機能を勉強しておきたい。
本部運営を希望。
でも過去の経験が何もないので、本部窓口に配置。

毎日死ぬ程電話がなる。
「ボラに行きたいんですけど」「救援物資はどこに送れば」「炊き出しします」とかの
大変有難い申し出に対応。一日中電話は鳴りっパナシ。
イイ人っていっぱいいるんだなぁ、世の中捨てたモンじゃないなぁ。
どうしようもないと思ってたこの世界。もうちょっとだけ、信じてもイイかな。


チームごとに別れて活動するボラ活動。
救援物資を仕分けて配布するチーム。
瓦礫を片付けたり掃除を手伝ったりするチーム。
社会福祉士やソーシャルワーカーもいたから、法律問題チームや心のケアチームも
存在したかも。
私は本部窓口として電話対応だけじゃなくて、毎日何かしら走り回ってた。

夜はテントで眠った。ボラには一応食事が配給された。
ヒマさえあればみんなで語り合った。
もちろんボラ仲間でケンカもあった。意見の違い。思想の違い。
本部のやり方に対して不満が全開で噴出したコトもあった。
オレのが正しい!とかアホらしい意地の張り合いもあった。
でもみんなどうしたらボラ活動がもっとうまくゆくかを、必死に考えてた気がする。
恋もあった。失恋もあった。裏切りもあった。
でもみんな精一杯、生きてた。

つかこんなすげー辺鄙なトコロまでボラに来ちゃうような人は、
間違いなくイイ人ばかりで。
そんなみんなに会えただけでも、ボラに来て良かったなぁなんて。


そうしてボラ最終日。
親しくなったお婆ちゃんが、本部運営をやってたから災害地域を見てないよねと
被災した地域を案内してくれるコトに。

その地域に足を踏み入れた。
そうして、もう、スグに、後悔した。


だって町が悲しいほどにもう、崩壊、してたんだ。

道路に飛び散るガラスの破片。
横倒しになってる電信柱。
ああ、お地蔵さんも倒れてる。
墓地でも、墓石が真っ二つに割れてその辺に転がってる。
沢山の骨、が、見えてた、らしい。

のどが、ヒューヒュー、言い出した。


いくつかの家は原型をとどめてない。
ねんどの塊を上からグーで押しつぶしたみたいに、不自然な形で潰れてしまった、家。
真ん中で裂けたのか、建物の半分だけ崖下に落ちてしまってる、家。
黒焦げの炭だけしか残らないほど、あとかたもなくすべて燃え落ちた、家。

そして「元気です」と書かれたペラペラの紙が、玄関の扉に貼ってある、家。

見なきゃ良かった。来なきゃ良かった。

意思とは無関係に咳。急激なストレスにおそわれると、時々そうなる。
いくらお婆ちゃんが案内してくれたってココは、私が立ち入ってイイ場所じゃない。
ちょっと、軽率だった・・・。


川はコーヒー色に濁り、恐怖を感じる程の異常な勢いでごうごう渦巻く。
山は斜面の木々をなぎ倒し、崖下の家を押しつぶして、ようやく土砂を止める。

目の前を自衛隊のジープが走る。今ココは本当に非常事態なのを、無言で告げられる。
空はどんよりとした薄暗い雲でイヤな色に埋まってる。

不意に、空気を引き裂きながらサイレンが響く。
救急車か消防車かパトカーか。
どちらにせよ、何か良くないコトが起こるのか、または起こってるってコトだ。

私、ボラに来て、イイ人と沢山出逢って、何かイイ気持ちになってたよ。
ずっと本部にいたよ。どうやったら本部が効率よく機能するかばっかりで、
一番に考えるべきの被災者のコト、多分ぜんぜん考えてなかったよ・・・!!!!

ああ、早く早く、戻らなきゃ。早く早く、この場から立ち去らなきゃ。そう、早く!!!!!!!


テントに戻る大きな橋を渡ろうとした途端、冷たい大粒の雨がバラバラと降ってきた。
現地では、被害をだした大きな揺れから一ヶ月も経つのに、いまだ毎日震度3位の揺れがくる。
ソレは、いつ止まるのか、いつ終わるのか、誰も知らない。

毎日、揺れる。
そんで毎日、また大きな揺れがくるかもって想いながら、過ごしてる。


あのね、避難所でね、見ちゃったんだ。

ショックで少し表情の無い、子供。
ショックで少し痴呆の進んだ、老人。

みんな、みんな、いつとまるかも知れない揺れに、いつ終わるかも知れない避難所生活に、
希望なんてモノは、まったくなくしてしまって。


川向こうから逃げてきた私はテントに飛び込む。
苦しくて苦しくて、ため息のような、声にならない小さな声を、吐き出す。


ああ神様、何でココの人達はこんなに苦しまなきゃいけないの?
ココの人達が何をしたって言うの?

お願いだよ神様。
もうイイじゃない。もうみんなをラクにしてあげてよ。コレ以上苦しまないようにしてあげてよ。
ねえ、神様?


テントの中から最大被災地を臨む。手を合わせて祈る。

ココの人達が
どうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますように
どうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますように
どうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますようにどうか嬉しくありますように


祈るコトで、何がどうなるとはおもっていない。
でもその時の私には、ただもうソレをするしかなくて。
神様に、お願いをするしかなくて。
だからただもうソレを、したんだ。
ソレを、し続けたんだ。
涙がとまらないのを、気にかける余裕もなく。


そうして、ああ、どのくらいの時間、そうしていただろう。
涙は出尽くしてしまったようで。
気持ちも少しは落ち着いたようで。

いつの間にか雨もあがったらしい。テントのファスナーをあけて外へ出る。

もう一度川向こうの臨む。その瞬間、心臓がドキンとした。
激しい高揚。声をあげずにはいられない!こんな、こんなコトって・・・!!!
うん、そう。
ねえ?神様って、神様って、本当にいるのかも知れないね?

ああ、そこには
なんて大きな大きな七色レインボウ!!!!!!!!!!!!!!!!



歓喜をおさえられなくて本部へ急いでみる。
誰か、ねえ誰か!!!!

その瞬間、町中に「あるアナウンス」が響き渡る。

ソレは「非難勧告、解除」のアナウンス!


非難勧告解除。危険住宅の立入禁止が解除されたと言うアナウンス。
避難所に非難していた人達、家に帰っても大丈夫だよというアナウンス。

ただし、もちろん非難勧告が解除されたのは全部の家じゃ無い。
ほんの一部の家だ。
まだまだ避難所から帰れない人達が沢山いる。

でも、でも、ほんの少し、先が、見えたね。
希望が、見えたね。

何となく何となくだけど、町中が嬉しさに満ちていない?


本部付近に戻ると、顔見知りの避難所の配膳担当のおばちゃんが見えた。
おばちゃんも被災者なんだけど働いていたんだ。

おばちゃんに手をふりながら小走りで駆け寄る。
おばちゃんは顔をほころばせて言う。「私、家に帰れるコトになったよ!」って!!

!!!!!!!!!!!
良かったね!良かったね!良かったね!
家に帰れるね!家に帰れるね!
嬉しい?嬉しいよね?嬉しいね!!!!
あのね、おばちゃんが嬉しくてね、私も嬉しいよ!
良かったね!本当に良かったね!本当に本当に良かったね!!

おばちゃんをギューッって、ギューッって、抱きしめる。

そしたらね、おばちゃんがね、言うんだ。


ありがとう。


ありがとう。って、言うんだ。

ありがとう。って、おばちゃんが、言うんだ。

来てくれてありがとう。
ボランティアしてくれて、ありがとう。

ありがとう。

涙がね、またポロポロ、こぼれたよ。


この町に入ってボラ活動して、現状を目の辺りにして
ゴハンがノドを通らなかったコトが何度もあったよ。
チカラ不足を実感してこの場から逃げ去りたかったコトが何度もあったよ。
何も出来ない自分が消えてしまいたいコトも何度もあったよ。

何度も何度も胸がギューッってなったよ。
何度も何度も泣いたよ。

でもねでもね、みんなみんな微笑むんだ。

もちろんこっちに気を使って、大丈夫じゃないのに「大丈夫だよ」ってムリして
笑ってる時もあって、ソレはちょっとだけつらかったよ。

ソレにね、家族のハナシ、友達のハナシ、仕事のハナシ、
凄く普通の普通の何気ないハナシしてると、時々微笑んでくれるんだ。

そういう時、嬉しいんだ。
そういうのが凄く凄く嬉しいんだ。

そういう姿を見るだけでも、

多分、多分ね、そういう「嬉しさ」をもらいに、この町に来たんだ。

おばちゃんの「ありがとう」をもらって、
なんだかもうソレがすべてだと思えた。

この町でボラして、でももうそのすべてが

多分ね、「ありがとう」をもらいに、この町に来たんだ。
多分ね、「ありがとう」って言いに、この町に来たんだ。

だから、ねえ?そう。
ありがとね?

ありがとう。
ありがとうね。


おばちゃんが見えなくなるまで手をふる。
私はもう帰っちゃうんだけど、非難勧告が解除されたから、明日からボラはまた
忙しくなるぞ。
でもソレは、とってもとっても幸福な忙しさだよなぁなんて思いながら。

この町の人はみんなみんな、どうにかしよう、元通りの暮らしに戻ろう、
自分達の町を取り戻そう、って頑張っってて。
もちろんグチも弱音も不安も吐くよ。
でも笑おうってしてたんだ。
幸せになろうってしてたんだよ。

その様子を見るだけで、私の方が元気をもらってたと思う。励まされたと思う。
「何かをする」つもりでこの町に来たけど、多分逆に
「何かをもらっちゃってた」んだろうなぁなんて。


ふいに空を見上げれば、雨続きの中一週間ぶりにカオを見せてくれた太陽。
雲を蹴散らしてピカピカピカピカとこの町に、たくさんの光を降り注いでくれてたよ?


新潟県中越地震ボランティア:帰る

結局、結局・・・私は一週間しかボランティア活動しなかったし、
自分に何が出来たのかわからない。
ボラ自体は自分なりには頑張った。
でももっともっと何か出来たハズって申し訳無くなる。

ごめんなさいって少し想う。


でも行かなきゃ良かったなんて思わないよ。
だって行かなきゃ見えなかったモノが沢山ある。

だからこそ、本当に本当に行って良かったって想うよ。
本当に本当に本当に行って良かったって想うよ。

ソレに、実際にこの町を見たからこそ、
ずっとずっとこの町のコトを気にかけるよ。
ずっとずっとココロにとどめておけるよ。
ソレが、大事なコトだと思うんだ。

そしてあの町から戻ってからこそ、
あの町の町で見たモノをみんなに伝えるコト。
あの町の町で感じたコトをみんなに伝えるコト。
ソレが、出来ると思うんだ。


この町の人達は、みんなみんなどうにかしよう、元通りの暮らしに戻ろう、
自分達の町を取り戻そう、って頑張ってたよ。

もちろんグチも弱音も不安も吐くよ。

でも笑おうってしてたよ。
幸せになろうってしてたよ。


この町に入る手前の町で、市役所の災害対策本部のスタッフと知り合った。
床にひいた寝袋に潜り込んだまま、一緒にテレビのニュースを見ていたんだ。
最も被害が酷くて全戸避難してる「山古志村」の戦前から戦後にかけての話なんだけど。

大雪が降ると外部への道がすべて閉じてしまうこの村。
孤立する村を守る為に、隣村へ通じる877メートルものトンネルを村民自らが
「ツルハシで掘って」「16年かけて」完成させたらしいんだ。
そしてそのトンネルは、村を壊滅的に崩壊させたこの地震でも、壊れずに健在してる!
って言うんだ!

!!!!!!マジで!?

機械とか一切使わずトンネル開通させたの?昔の人、凄過ぎじゃん!つかそーゆー問題
じゃなくて、そう!何年もかけて自分達で掘ったトンネルが地震でも壊れなかったなんて、
ソレ凄え勇気づけられる話じゃん!凄え励みになる話じゃん!
正に、正に「希望のトンネル」じゃん!


そう・・・この人達は元々、私達が想像も出来ない位の豪雪地帯に
ずっとずっと頑張って住んでた人達なんだ。
2階の窓から出入りしなきゃいけない位雪の降るトコで、頑張って生きてきた人達なんだ。
そんなトンネルとか、掘っちゃう人達なんだ。

私達みたいな都会生まれのもやしっ子とは、違う。

強い。

強いよ。


だから、凄く凄く無責任な発言かもだけど、
きっときっと、私達の想像以上に、復興は早いんじゃ無いか?なんて、思う。
きっときっと、私達の想像以上に、本当に笑顔になる日は近いんじゃ無いか?
なんて、思う。

というか、そう、願うよ。

そう、願うよ。


もちろん、この町は住居が疎らにしか点在しない上に、高齢者が多い地域な
だけに、復興は凄く凄く遅くなるんじゃ無いか。なんて意見も、ある。

でも、でもね、
大丈夫だよ。

強くて優しいこの町の人達のコトだもん。
きっときっと、大丈夫だよ。


ただ、ただね、強いって言ったって、ほっておいちゃ、いけないんだ。
支えなきゃ、いけないんだ。

一旦落ち着きを見せたコレからが、本当の始まりなんだ。

地震のショックによるココロの傷のケアをしなきゃいけないんだ。

支えなきゃ、いけないんだ。


とにかく今はただ、被災地のみんなが本当に本当にココロから嬉しく
思える日々が一刻も早く来るよう、祈る。
生きている。ただソレだけでもう人生は素晴らしいのだ。と、
本当に本当にココロから思える日々が一刻も早く来るよう、祈る。
とりあえずはソレだけしか、出来ない。


ボランティアなんて行かなきゃ良かった?

「ボランティア」なんて、前は
「偽善者の自己満足じゃん。」「むしろ薄ら寒いじゃん。」位に、
想ってました。


でも、ブラジルの教育関連施設で一ヶ月半、新潟県中越地震で一週間、
ボランティア活動に参加してみて、ソレだけでは無いコトが良くわかりました。

ただ、未だ自分の中で「ボランティアとはこういうモノだ。」なんて
明確な答えは出ていません。
そしてそんなモノは一生出ないかもです。

ちなみに「ボランティア」とは一般に、
「自発的な意志に基づいて、人や社会に貢献すること」
と定義づけられていて、 次のような原則があるそうです。

・自発性…自由な意志で行なうこと
・無償性…利益を求めないこと
・社会性…公正に相手を尊重できること
・創造性…必要に応じて工夫できること

やさしく言えば、「ボランティア活動」は
「自然な思いやりのやりとり」だ、そうです。



サポートしていただけたら嬉しくて小躍りします。あと、アイスを買います。太ります。