雨、そして”親切”は難しいという話し
外は雨。
雷が鳴っている。
沖縄では梅雨前線が上陸し、3日が経った。
晴れが恋しくなる季節だな、窓の外に向かってそう呟く。
夏の熱風に舌打ちしながら冬の寒気を思いを馳せ、冬の北風に凍えながら夏のビビットな日差しを懐かしむ、僕ら身勝手な人間なのです。
雨と言えば、学生の頃に読んでメモったエッセイがあったのを思い出し、探してみた。
「にわか雨」
にわか雨が降ってきました。
この何日かの暑さで疲れ果てていたひとたちの顔に、
笑みがひろがります。
でも、少年だけは憂うつそうです。
少年はピンクの服のよく似合う少女が好きでした。
ふたりはいっしょに山へ行って、幸せなひとときをすごしました。
ところが、とつぜんにわか雨が降ってきたのです。
雨に濡れたため、からだの弱い少女は、家に帰ってしまいました。
少年の1粒の涙が、雨粒に加わります。
良かれと思って口にしたぼくのひとことが、
ひょっとしてあなたを傷つけたことはなかったでしょうか?
少年にとってのにわか雨のように。
クォン デウォン著『ハル 哲学する犬』より
親切は難しい。
良かれと思ったことが必ずしも本人のためになるとは限らない。
もしかしたら親切って”利他的”ではなく、どこまでいっても”利己的”なものなのかもしれない。
そう思った方が楽な気がするんだ。
「自分がやりたいからやっているだけ」そう思えると、変に見返りを求めなくなる。
けれど、好きな人なほど、見返りを求めてしまう自分がいる。
親切にするのは自分が好かれたいから。
自分が大切に思っているくらいに自分のことを大切にしてほしいから。
友情や恋や愛…”好き”という感情はやっかいだ。
時に「嫌い」と言われるやり方で「好き」を表現してしまう。
自分はさておき、その人の幸せだけを本気で願うことができたならどんない良いだろう。
雨の日はスピッツがよく似合う。
草野さんの優しい声が雨音に映える。