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「アメリカで沖縄文化と出会い」To Be Origial~アメリカ横断記~Vol.29
”沖縄”は世界のどこにでも在る。
僕の知らないところでOKINAWAとしてあちこちに存在する。
温かな気候の中で、沖縄口(ウチナーグチ)や三線の音色を聴くとここは沖縄なのだと錯覚してしまう。
僕はロスの叔父を訪ねながら、沖縄県人会の方々と交流を持つことができた。
30年前に渡米した方々は、沖縄の記憶は30年前のままで止まっている。
「1号線」や「B円」という単語が会話の中に、当たり前のように出てくることが面白い。
僕はといえば彼らの質問を怖がりながら会話をしていた。
沖縄について語れることが少なかったからだ。
彼らの質問に答えられないことが恥ずかしくもあったが、何より申し訳なかった。
彼らは沖縄に触れたくても簡単に触れられない、いわば遠距離恋愛。
僕はいつでも触れることが出来るのに、そうしない。
彼らから見れば、僕はどんなに羨ましい環境なのだろう。
守るべき文化があることは幸せだ。
守るために繋がり続け、続けるために守る。
そう、文化を守るつもりで、実は文化に守られているのだ。
それは海外でも然り。
沖縄人(ウチナーンチュ)を沖縄人(ウチナーンチュ)たらしめている。
ロス滞在最後の日。
沖縄県人会の方々が「懐かしき故郷」を唄ってくれた。
「夢に見る沖縄 元姿やしが 音に聞く沖縄 変わてぃならん 行ちぶさや 生まり島」
(夢に見る沖縄は 元の姿のままだけど 噂に聞く沖縄よ どうか変わらないで 行きたいな 生まれた島へ)
彼らが唄うと重みが違う。