午後二時のトランス【エッセイ】
「ただいまから、防災設備点検を致しますので、音楽が流れます……」
ただでさえ眠い昼過ぎ、そんなアナウンスが会社のビルに流れた。そういえば、そんな回覧がまわっていた気がする。サイレンとかが鳴るのかな、と身構えていたが実際に流れたのは優しげな鳥の鳴き声だった
ピチチチ…カッコーカッコー…ピチュピチュピチュピチュ…カーカー
懐かしい音たちだ。私の実家は、山の中ではないにしろ畑や林が点在する田舎にあったので、とても耳馴染みが良い。また、割と行楽好きな両親のもと産まれたので、年に何回か行っていたキャンプも思い起こされる。こんな無機質なものたちに囲まれているのに、不思議な気持ちだ。
#2000字のドラマ で、「からやぎ」という短編小説で賞を頂いた。主人公は森林組合で働いているが、私も森林組合ではないにしろ林業関係の会社でパートとして働いているので、そこからヒントを得た。
昔から山は身近にあった。祖父母は山を持っていたし、そこに遊びに行くこともあった。ただ、今の会社に入ったのはまったくの偶然だった。産後、職探しをしているときに、働きたい条件がぴったり合うので応募したら、林業の会社だったのだ。覚えることはたくさんあって大変だが、山のことを全く分からない訳では無かったのでそこは助かった。
私は、図面から数字を拾いそれをエクセルに入力する、やや単調な作業をしていた。そこにこんな音を流されたらたまったもんじゃない。作業をしながら、山に行きたい、自然を感じたいという思いで頭がいっぱいだった。
挙げ句の果てに、なんで私はここにいるんだろうという哲学的な思念さえ思い浮かぶ。頭がぼーっとする。まるでトランスだ。なったことは無いけど。
小さい頃、家族であるキャンプ場に行った。妹と朝靄の中を散策していると、様々な鳥の声が聞こえる。白く冷たい霧があたりに漂う。曇模様がだんだん晴れて、木々がきらきらと光っている。一生こうやってここを歩いていたい。幼いながらにそう思った。
あの場所に行きたい。こんなところでパソコンと睨めっこをしていないで、日々の家事や鬱憤を全て投げ打って、あそこに行きたい。
気がつくと、鳥の鳴き声は消えている。
全く進んでいないデータ入力が目の前に現れる。ここはいったいどこなのかしら。さっきまでおさんぽしていたのに。幼い私がとぼけてみても、エクセルの空白セルは埋まりはしない。