おそるべきこどもたち【こびとエッセイ6】
こんにちは。こびとです。
ちょっぴりすずしくなってきた、今日このごろです。もうすこしすると、こびとたちは外でどんぐりあつめにはげむようになります。
どんぐりをあつめてどうするか、言うまでもありませんね?
そうです。ながめてうっとりするのです。それがこびとにとって、しふくにしてしこうのじかんなのですから。うっとり。
……ですが。
こびととゆうものはほんらい、てりとりーからあんまりでたがりません。てりとりーとは、すみかにしているにんげんの家のことです。たとえばわたしなら「たかださかな」の家がそれにあたります。
では、てりとりーからでたがらないのはなにゆえか。そのこたえはかんたんです。
こびとにとって、外のせかいはきけんだからです。小人の冒険シリーズとかトイストーリーとかミクロキッズとかをみてごらんなさい。ちっちゃいいきものには、きょだいなにんげんがおよびもつかないような、すごいきけんがすごいいっぱいあるのです。アントマン&ワスプとかをみてかんちがいしちゃだめです。
まして、わたしのような都会のもやしっこならなおさらです。大自然のなかでワイルドハンティングしているようなこびとは、今やぜつめつきぐしゅと言ってもかごんではないです。かなしいかな、これがじだいとゆうものなのです。
そして都会っこたるわたしがどんぐりをあつめにいくのは、とうぜん森や山なんかではありません。ちかくのこうえんです。ちかくと言っても、こびとからすると、そうとうな遠出であることをわすれないでください。
かいぶつのようなじどうしゃをかいくぐり、こうかつなとらっぷである排水溝をさけ、さんぽ中の猫の背にのって、ようようたどりつくことができる秘境。それがこうえんなのです。
にんげんのこどもたち
今回のたいとるはおそるべきこどもたちとなっています。ですがわたしはジャン・コクトーの小説とか萩尾望都のマンガとかソリッド・スネークとかについてはなしたいわけじゃありません。これはあなたたち、にんげんのこどもにまつわることなのです。
こうえんには、いつでもこどもがいます。にんげん社会は今、こどもの数がへってるらしいですが、なぜかこうえんにはいます。いっぱいいます。
こどもたちはみんな、ありあまるたいりょくとけもののようなこうき心にしはいされ、こうえんをじゅうおうむじんに走りまわっています。
そんな中にとびこんでいくことが、どれほどきけんなこういであるか、そうぞうできますでしょうか。いくらどんぐりのためとはいえ、かなりリスキーなぼうけんです。てりとりーからはるばるやってきたのに、むじゃきにあばれまわるこどもをまえに、こびとの足はすくんでぷるぷるしてしまうのです。
それとゆうのも、にんげんのこどもが、やたらこびとを見つけるのがうまいせいです。
「こども!純粋な心!無垢な優しさ!だから見えるんだ!こびととか!トトロとか!猫バスとか!こどもだから見えるんだ!」
なにとんちんかんなこと言ってるんですか。
じゅんすいな心とか、むくな優しさとか、かんけいないです。1ミリもかんけいないです。
そもそもこどもがみんなじゅんすいでむくで優しいなんて、ひどい決めつけです。じぶんがこどもだったころを思いだしてみてください。じゅんすいでむくでやさしい、そんな天使のようなこどもでしたか?
そうゆうことです。かってに誤解されるこどもだって、きっといいめいわくでしょう。
こどもがこびとを見つけやすいりゆう。そのひとつは、たんじゅんに背がちっちゃいからなのです。視点がおとなたちよりこびとにちかいとゆう、いたってぶつり的なよういんです。
りゆうのふたつめ。こどもはまだこどもですので、じょうしきとゆうものを身につけていません。おまけにこうきしんに全身をしはいされています。そのためぼうぼうの茂みにへいきでとつげきしたり、みゃくらくもなく地べたにねっころがったりします。せっかくこびとがひとめにつきにくい場所をえらんでも、これでは意味がありません。
もっとも、じょうしきにとらわれないことをじゅんすいと呼ぶのなら、たしかにこどもはそのじゅんすいさゆえにこびとを見つけられる。そう言えないこともないでしょう。まったく、おそろしいったらありゃしないです。
「え……?ひょっとして……?こびとは子どもが嫌いなの……?子どもはあんなにかわいいのに……?子どもであるがゆえに……?あんなにかわいいのに……?」
だまらっしゃい。
こどもがかわいいとゆうのは、あくまでにんげん目線からかんがえた場合のはなしです。こびとにしてみれば、にんげんのこどもはふつーにでかいです。そして、でかいものはおそろしいです。とうぜんのことわりです。
でも、こどもがきらいかと問われれば、そんなこともありません。
なぜなら、こどもはじょうしきがないので、こびとのそんざいもあんまり否定したりしないからです。
こびとはにんげんに見つけられるのをいやがります。でもにんげんにわすれられてしまうことのほうが、もっといやなのです。こびとはみんな自己けんじ欲にみちみちていますので。
ですからこびとをいじめたりしないかぎり、にんげんのこどもをきらいになるとゆうことはありません。
こそだてをしているひとやがっこうの先生なんかは、ちゃんと「こびとを見つけてもいじめてはいけません」とおしえてあげてください。
そしておとなも、まんがいちこびとを見つけたときに「アァきっとわたし疲れているんだ残業とか家事とかスマホゲームとかのしすぎで疲れてるんだだから存在するわけのないこびとなんかが見えるんだ」などとげんじつ逃避するのはやめて、こびとのそんざいをすなおに受けいれてください。そしてこびとのことをそんけーしてください。
……。
さて。
わたしもそろそろ、どんぐりあつめのいめーじとれーにんぐをはじめるとします。いつまでも常夏きぶんじゃいられませんからね。秋はもうすぐそこまできているのです。
にんげんのみなさんも、どうぞよい秋をみつけください。でもこびとのことはみつけないでください。
では、さようなら。
※Photo by Robert Collins on Unsplash
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