今のタイのデモが以前と大きく違うこと
毎日日本でもタイのデモの様子が報道されていることだろう。若い活動家を中心にしたデモなので、香港のあの若くて美人な女性活動家の知名度もあって、タイも若い人のエネルギーが爆発しているのかなと捉えている人もいるのではないか。タイはここ15年近くも政情不安が続いているし、もっと言えば1970年代だとか80年代90年代もデモやクーデターが起こってきた国で、大きな意味では安全な国とは言えない。だから、今回のデモもそのひとつのようであり、いつものこと、と感じてしまう人もいる。しかし、今回のデモはこれまでのものとは決定的に違うものがあって、どうも先行きが見えない怖さがある。
この画像は2006年にタクシン・チナワット元首相が追い出された夜のものだ。その日、夕方からかな、テレビが全然映らなくなって、夜遅くなって一斉にこの画面が流れた。そして、クーデターが起きたことを発表した。
ぞれ以前から争いはあったが、この日を境にタイはタクシン派の赤組と、インテリを気取った保守派の黄色組が争うようになった。特に黄色が赤組の田舎者の投票権には意味がないといったような差別的な見方をするわりには空港を占拠したり、とても頭のよろしい活動をしてどんどんと泥沼化していた。要するに、クーデター後に行われた最初の選挙でタクシン派が勝ったのに保守派がごねたことで着地点を失ってしまった。
そんな泥沼を脱するチャンスとなったのが2014年に仲介役として現れた軍部だ。最初のクーデタから実に8年も経っていた。このころにタイ初の女性首相としてタクシン元首相の実妹であるインラックさんが首相になったが、正直、兄タクシン首相と同じように、他者につけ入る隙を見せるという失敗はあった。
そして、2013年の後半から、それまでちょっと落ち着き始めていた反政府活動が再燃し、2014年頭くらいからまた保守派たちがとても素晴らしい知能を駆使して、バンコクの道路を封鎖する「バンコク・シャットダウン」を実施したわけだ。
そもそも着地点がなかった争いが落ち着き始めた中で着地をしようとしていたのに、また振り出しに戻るという事態になり、国中がピリピリしだした。で、2014年5月ごろに埒が明かないことで仲介に出てきた軍部が突如クーデターを起こし、軍事政権となった。とはいえ、これはこれで第3の主導者が現れたと、疲弊していたタイ人たちはなんだかんだ歓迎したわけだ。
ところが、景気はよくならないし、憲法改正も軍事政権に有利なものばかり。この前の選挙ではさらに登場した若手の政党が人気を集めたものの、軍事政権に握りつぶされる形で消えてしまった。新たにタイを変えていく、赤でも黄色でも陸軍でもない人として期待されたが、軍事政権の不透明な方法でこれがなかったことになりかけているわけだ。これに対して若い活動家たちなどが立ち上がった。
2006年のクーデターもそうだし、そのほかの政情不安、なんなら1970年代からときどき起こっていたデモは、当事者たちも傍観者たちも共通して、あるひとつの安心材料があった。だから、新年も普通にカウントダウンをしていたし、日系企業を始めとした海外企業のタイ進出もコロナでこうなるまでは滞りなく進んでいた。
その安心材料は「国王」だった。国王がそういった騒乱の仲裁をした前例があった。そのときは国王の一声で騒動が収束した。だから、タイ人たちは「最悪、国王が間に入って丸く収まるだろう」という思いがあったわけだ。要するに、子どもたちのケンカがエスカレートしても、最悪、親が助けてくれると。
ところが、ご存知のように今回のデモではその国王、王室に対しての要望もある。不敬罪というのがタイにはあって、国王や王室、王室関係者に対して批判などをすれば逮捕され、刑務所行きになる。だから、これまで公に国王に対してものを申すなんてことは誰もやったことがない。
そのタブーがありながらも若者たちが不敬罪撤廃を叫んでいる。それだけ王室と政府に対して不満がある。国王はもとより支持率が低かった。いや、というよりは前国王の人気が高すぎたとも言える。現国王もそれを知っているのか知らないのか、タイにはほとんどいないでドイツで暮らしている。
また、タイ国王と王室は世界的に見てもかなり経済的に豊かなのだそうだ。しかし、このコロナ禍においても国王は国民に対して特に大きなアクションを取っていない。前国王は若いころは精力的にタイ国内を周り、治水や自然災害の対策なども行っている。タイ人は前国王の行いをそう習っているので、現国王の沈黙に不信感を持っているのか。
あるいは、前国王はかなりの高齢だったことも関係する。崩御までの20年近くは入退院を繰り返していて、あまり表に出てこなくなった。以前はタイの国立大学は卒業証書の授与は国王自身が全卒業生に対して行っていたが、高齢になってからは当時皇太子だった現国王や家族が代わりに行っていた。そういうこともあって、若い人の王室に対する忠誠心などはボクぐらいの世代の人とギャップがあるのかもしれない。
だからあんなにも堂々と国王に対する皮肉をプラカードにして掲げ、不敬罪撤廃を叫ぶことができるのだろう。これによって、これまで間に入ってくれると思っていた人までも敵に回したわけだ。これまでの常識でもあった「仲裁してくれる国王」とは前国王なので、そもそも若者は期待もしていなかったというのもあるのだろう。
プラユット首相は憲法改正の選挙に応じる構えだが、デモ隊は辞任を要求している。これは当然だ。以前も選挙結果が不透明だったので、改正に応じると口約束されても、正しく選挙が行われる保証はない。
デモ隊もここで手を緩めれば、たちまち逮捕、刑務所行きになる。だから、口に出して不敬罪撤廃を言ってしまった以上、止まることはできない。厄介なのは、国民の中にも王室擁護派はいるわけで、泥沼の争いになることはすでに明確だ。
ある三流のジャーナリストさんは、政治的な騒乱は理論的に考えると行きつく先が見える、と仰った。バンコク・シャットダウンのころの発言で、膠着状態に陥った座り込みはあと2か月は続くと言ったのだ。だが、それから1週間もしないうちに爆弾事件があり、事態が大きく変わった。つまり、世界の常識がタイには当てはまらないことが証明されたのだ。というよりも、それ以前の反政府運動とその結果を見れば、そんなことはわかったいたのだけれども。しかも、今回は特に仲裁に入ってもらえるはずの王室まで敵に回している。
世界の世論を味方につけたとしても、タイの偉い人たちは気にもしないだろう。タイ人は誰であれ奇妙なまでにプライドが高い。外の人の声に耳を傾けることはない。
このデモは早期に解決しない限り、少なくとも10年以上は尾を引くことになると思う。しかも、その早期解決は若者の要求を年寄りたちが飲むことしかない。ということは、早期解決は見込めないということもまた明確なのかなと感じる。
この騒動が外国人に影響しなければいいのだが。コロナ騒動もあるし、外国人や外国企業にもなんらかしらの悪影響を与える場合、タイは外国人が来なくなって、国としてはかなり経済規模が縮小すると思う。最近はベトナムも人気が出てきているので、そっちの追い風になる可能性もある。
今回の投稿はあくまでもボク個人の印象だけれども。数年前、まだ前国王が健在だったころ、何人かのタイ人は国王が崩御すれば、赤黄の争いではなく、次期国王の座に関係した内戦になる、といって国外に移住していった。ボクも今回のデモはこれまでとは全然違うので、最悪の場合、家族を連れてタイを出なければならないのだろうかと、今思案しているところだ。