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ゲストハウスで出会った変な人たち【1】女を手にかけた男

 ふと思い出したので、タイや周辺諸国のゲストハウスで出会った変な人たちを書いていこうと思い。ただ、適当に思いだしたときに書くので、不定期連載的な記事として紹介していきたい。今回は第1弾として、最も印象深い人について記していく。

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 ボクが初めてタイのバックパッカーの聖地「カオサン通り」を訪れたのは、初めての海外旅行の初日の夜だった。1998年1月下旬のことだ。これを書いているまさにジャスト22年前の話である。

 当時のカオサン通りは低予算旅行で世界を周る外国人と、タイ人なら地元の人くらいしかいない場所だった。2000年ごろにタイのテレビで外国人が集まるお洒落な場所のような取り上げ方をされ、今のようにタイ人の若者が訪れるような場所になった。ボクが来た当時の夜はもっと静かで暗く、まだ麻薬を売っているゲストハウスとかもあったり、強盗が押し入って宿泊者のほとんどが金品を奪われたりと、怪しい場所でもあった。

 そんなエリアでも初めて来たときの愛着もあって、タイに旅行で来たときはいつもカオサンに泊まっていた。

 何回目かのタイのとき、カオサンの日本人宿のひとつである「ママズ」に泊まった。遊び仲間もでき、その後何回も泊まりに行ったし、2002年の移住後にもいろいろあって数ヶ月ほどママズに滞在していたこともある。

 この2002年前後にママズで知り合った人に「たっさん」がいた。いや、記憶が曖昧で、もしかしたら「やっさん」と呼んでいたかもしれない。彼は近くにあるグリーンゲストハウスに宿泊していたが、ときどきママズに来て、我々と昼間からビールを飲んで楽しんでいた。

 当時ボクが25歳くらいで、たっさんは10歳くらい上だったが、見た目は若く、細身で、まあイケメンな部類だった。

 ママズの連中はみんな夜遊び好きで、夜な夜なゴーゴーバーや「ダンスフィーバー」に繰り出していたが、彼はその遊びに参加したことはなかった。彼はカオサンにいる日本人女性を専門にナンパして楽しむことを喜びとしていた。

 あとは、マリファナが好きな人であった。

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 たっさんと会うのはほどんどが昼間だった。ボクは夜は外に出ていなかったし、たっさんも女の子のナンパに勤しんでいたからだ。それでもママズ以外のカオサンの店でビールを飲んだり、食事に行ったことが何回かある。

 だが、ボクは2003年の頭にカオサンが嫌になって、都心の方でアパートを借りて引っ越した。そうして、たっさんとは会わなくなったが、思わぬところで再会した。いや、実際には引っ越してから今に至るまで、一度もたっさんには会っていないのだが。

 当時、和食はものすごく高いもので、よほど特別なときでない限り、ボクのような底辺的な生活をしていた者には手が出ないものだった。だが、どうしてもなにか和食が食べたくて、「マーブンクローン・センター(MBK)」の和食店に入った。

 ここには読売新聞も置いてあって、一番安いうどんかなにかを頼んで記事の隅から隅まで目を通していた。当時はインターネットもそれほど発達していなかったので、ネットカフェでメール確認するくらいしかネットを使わなかった。書籍は当時と現在で価格的な差はほとんどないが、物価がもっと安かった当時は、今以上に日本語書籍が高価だった。だから、在住者は手持ちの本を交換し合っていた。要するに、在住者の多くが日本語に飢えていた。だから、新聞も隅から隅まで、じっくりと楽しむかのように貪り読んだものだ。

 国際欄を見ていたときだった。小さな記事だったが、すぐに目に飛び込んできた。「カオサン」の文字があったからだ。そこには、邦人女性の死体が発見され、同室にいた日本人男性が逮捕されたとあった。たっさんの本名は知らなかったが、容疑者の名前を見てたっさんを思い出した。

 ボクはすぐに会計して、カオサンに向かった。ママズに着いて、顔なじみの従業員に訊くと、やっぱり女性を殺していたのはたっさんだった。彼のあだ名が「たっさん」なのか「やっさん」なのかわからないのはここにあった。今回この記事を書くにあたって検索してみると、新聞記事がまだ残っていて、その本名から察するには「やっさん」の要素がない。ただ、記憶ではやっさんと呼んでいたような気がしないでもない。過去にボクがなにか書いたものがあればわかるはずだが、そのころはブログもないし、日記なんてつける柄でもないし。最早どうでもいいことではあるが、真相は闇の中である。

 事件が起こった翌日か翌々日だったので、その時点でたっさんになにがあったのかわからない。その後、ママズの人などが面会に行ったりしてわかったことをまとめると、結局のところ、たっさんは自分自身でもその女性を殺めたのかどうかわかっていなかったらしい。というのは、マリファナ好きが段々とエスカレートして、ラオスでヘロインを仕入れていたからだ。ヘロインで酩酊しているうちに殺してしまったのだ。

 その女性とはグリーンのたっさんの部屋で同棲みたいになっていたという。ところがその女性がほかの男性と南の島に行ってしまい、戻ってきたときに口論になったとか。これも彼自身の推測だ。

 ボクも知っていたたっさんの日本人の友人(この人も本来は旅人だ)がその日の朝、たっさんの部屋を訪れると、ベッドに女性が寝ていて、横にたっさんがうなだれて座っていた。そして、彼に「死んでいる。たぶん、オレがやった」ということを言ったという。確かめてみると確かに女性は死んでいて、その友人が警察に通報したのだ。

 ちなみにその友人は動転して気が回らず、念のため警察が彼の部屋も家宅捜索し、マリファナが見つかって強制送還されたそうだ。

 その後、裁判がどうなったかなどは一切わからない。途中から誰もたっさんと連絡が取れなくなり、面会に行っても会えなくなったからだ。タイでは殺人の場合、求刑が死刑か終身刑が多い。ところが恩赦も頻繁なので、仮に死刑判決になったとしても、殺人は15年前後で出てきてしまう。

 また、2010年7月にタイと日本で、双方の国で服役している囚人を交換する「日タイ囚人移送条約」が結ばれている。実際に第1回目の移送が行われたのはさらにその数年後だが、たっさんが望んでいれば日本に戻っているかもしれないし、いずれにしてももう出所している可能性もある。

 なんというか、後味の悪い関係ではあったが、カオサンの闇を見たような一連の出来事であった。カオサンの暗部に飲み込まれず、抜け出せたことにボクは安心したものである。

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