タイの麻薬中毒者の更生施設が寺院だった 前編
タイにはたくさんの仏教寺院がある。観光名所になっている寺院も多く、外国人観光客にも知られているのはご存知の通りだ。タイは国民のほとんどが仏教徒と言われていて、無名の寺院も無数にある。外国人が行く寺院はどこも歴史的、あるいは美術的に重要なところがほとんど。実際にはそういった寺院の方が少なく、タイ人の生活に即した寺院の方が圧倒的に多い。
そういった寺院の中には、特定の人々のために門戸を開いた場所もある。特定の病気患者を受け入れる寺院があれば、特殊な活動を行う寺もあるのだ。その中には、麻薬や違法薬物の中毒患者を受け入れる寺院も存在している。
タイ中央部の隅っこにあるサラブリ県は日本でいうところの栃木県や群馬県に当たるエリアで、この県内に麻薬中毒者を受け入れて更生させる寺がある。「タムグラボーク寺」だ。
このタムグラボーク寺は1957年に僧院として始まっていると、公式サイトにある。近隣の寺院で修行を終えた僧侶ジャルーン・パーンジャン師とジャムルーン・パーンジャン師がタムグラボーク寺に来て、1970年から麻薬中毒患者を受け入れ始めた。
麻薬中毒患者を更生させる施設として名が知られるようになり、1975年にその活動が評価されて、師たちはアジアのノーベル賞とも呼ばれるフィリピンのマグサイサイ賞を受賞した。世界にその名を知られるようになり、2012年に僧院から寺院へを格上げすることが認められた。
現在もこの寺では4月のタイ旧正月の期間を除いて常時、麻薬中毒患者を受け入れている。しかも、受け入れはタイ人だけではない。宗教に関係なく、外国人も懐広く受け入れている。
タムグラボーク寺は麻薬患者受け入れで有名だが、ほかにもアルコール依存症やタバコ依存症患者を更生させるプログラムもある。ただ、麻薬関係だけは常習性の強さ、法的な問題から外部とは完全に隔離された宿舎に入ることになる。敷地から出ることは課業以外では許されない。
麻薬からの更生プログラムは最低15日間になる。この期間、患者たちは共同生活を送る。入所に必要なのは自発的な意志だ。立ち直りたいと思っていない者は受け入れられない。
とはいえ、このプログラムは外部からの寄付などで運営されているのも事実だ。そのため、入所者は食費として1日200バーツを目安に持参し、最初に事務所に預ける必要もある。15日としても3000バーツだから安いものだ。それ以外の費用は一切かからない。国籍も地位も名誉も関係なく、ただ「やめたい」という意志があればいい。
疑問に思う点があるかもしれない。それは麻薬などの薬物使用は違法になるのではないか。そんな人たちがここでなぜ生活できるのか。
まず、ここにいる患者は逮捕される以前に自らの意志でやって来た人たちだ。不法滞在や不法就労と同じで、逮捕状が出ていなければ麻薬常習者も市井の人である。そして、このタムグラボーク寺にいる間は更生するための期間として警察の手は及ばない。
タムグラボーク寺も患者を警察に突き出すことはないし、出所後も患者たちは元の生活の場へと帰ることができる。タイにおいては寺院を始め宗教施設は特別な場所なので、法令とは違う世界にあるのだ。殺人者や犯罪容疑者が寺院に逃げ込んで逮捕できなくなるということもタイではしばしば起こるくらいなので、この麻薬更生プログラムに参加している間は逮捕の心配もなく人生のやり直しに集中できる。
タムグラボーク寺は病院ではない。そのため、更生プログラムがあるとはいえ、共同生活をしながら寺の仕事もこなさなければならない。すべて時間が決まっていて、プログラムを運用する僧侶を始め、すべての人が時間割に従って行動する。
入所者に話を聞くと、重度の中毒者は最初、禁断症状や規則的な生活がきつく、気が荒くなったり、暴れる者もいるそうだ。しかし、毎日毎分、目的を共有する仲間と寝食を共にすることで連帯感が生まれ、励まし合いながらクスリから抜け出したい思いを強くしていくことができる。実際に、先に入所していた者が次に来た者にルールを教えたり、みんなの思いを伝承していた。
通常の日課ではまず朝5時に起床する。朝食の時間だが、まず食べるのは自分たちではない。この寺院に暮らす100人近くはいる僧侶の朝食を用意する。
タイでは僧侶の地位が高く敬うべき存在なので、まずは僧侶が食べ、余ったものを患者たちが分け合って食べることになる。
先に払っている食費などはこの食事とは別だ。朝食などの食事はあくまでも近隣住民たちが僧侶のために托鉢したり寄進した食べものである。払った食費はクーポンになり、毎日定額が配られる。自由時間の間食などでそれを使う。ちょっとした菓子や軽食が売店にあるので、それを購入できるだけなので、自由になんでも食べられるわけではない。患者たちは時間に拘束されているし外に出ることもできない。そんな環境では食事が最も楽しみな時間になる。
秩序を保ちながら彼らは自分たちで食事を分け合い、朝食を済ませる。長い1日の始まりだ。
朝食後は再び僧侶の食事場所に戻り、僧侶が使った皿を洗う。共同生活とはいえ、これは麻薬中毒患者の宿舎だけでなく、タムグラボーク寺全体を含んだ生活である。みなで手分けして大量の皿を洗っていく。
タムグラボーク寺の麻薬中毒更生プログラムで治療を受ける患者は常時およそ40人前後いる。毎日1~3人が治療を終えて家族のもとに帰り、また同じ人数がやってくるので、年間平均でおよそ1000人弱がここで過ごす。
年齢は20代が多いように見える。中には40代もいるようだ。取材時は夫婦で来ているケースもあった。夫婦でアンフェタミン系の覚せい剤「ヤーバー」から抜け出せず、子どものことを考え、ふたりでやってくることを決心したという。子どもは親に預けて来たそうだ。
この更生プログラムの中心は規則正しい生活で堕落した人生をやり直すというものだが、プログラムの一部にはタイ伝統医学に基づいた薬草「サムンプライ」を使った投薬もある。サムンプライは、いわゆる漢方薬と想像するといい。
この投薬は2種類あり、まず小さく丸めた丸剤を、毎日、全員が飲むことがそのひとつだ。朝夕の食後に僧侶が配り、これをひとり一粒飲んでいく。
この薬はそれほど大きくないので、飲むことに苦労はない。ただ、かなり苦く、最初は胃がぐるぐるとするような感覚になるそうで、慣れないうちはかなりきついのだとか。
タムグラボーク寺に来るまでは、ボクの中のイメージでは廃人となった麻薬中毒者たちが異様な目つきで待ち構えているのではないかということだった。下手をすればうしろから襲われることもあるのではないかと覚悟して取材に赴いたのだ。
しかし、ここの患者たちは見た目にはごく普通の若者たちだった。近所にいる気のいいタイ人となんら変わりがない。にこやかに挨拶をしてくれ、性格的に純粋さな部分を持っている人ばかりに見えた。
中国伝統医学でいうところの漢方薬の原料になる生薬がサムンプライなのだが、これらはすべてタムグラボーク寺の畑や寺院の敷地内で収穫したものだ。僧侶や患者たち自らがサムンプライを育て、収穫し、投薬用の薬に加工される。
タイのサムンプライは中国の漢方に比べてその種類が少ない。とはいえ、ここの投薬には目的別に多種多様なサムンプライが調合され、患者たちに与えられる。
このように、まずは枝ごと収穫し、サムンプライの知識を持つ僧侶が調合に必要な量を切り取っていく。
今回はここまでにしよう。次回はこのサムンプライを丸剤ではなく、液状の薬で利用する、もう一方の投薬の様子を紹介する。この使い方はある意味では異様な光景で、タイ国外のメディアでも取り上げられている。