90年代に日本人がタイでやっていたことを今タイ人が日本でやっている?
今はこんな状況なので、世界的に旅行者の往来が途絶えているが、今でもタイ人にとって日本旅行は特別だと思う。往来が正常化されたら、再びタイ人が大挙して日本に行くであろう。
タイ人にとって日本は特別だった。かつてはビザが必須で、明日行きたいと思って行けるような国ではなかった。それが今では約2週間の滞在に対してはビザが不要になったことで、タイ人旅行者が日本旅行を楽しんでいた。
タイ人と会話をしていると、ちょうどボクがタイに来るようになったばかりのころを思い出す。今彼らが、あのころの日本人たちがタイでやっていたことを日本でやっていると感じるからだ。
かつては日本に行くには在タイ日本大使館領事部に行ってビザを申請しなければならなかった。以前はアソークに領事部があり、そこで申請をした。今のところに大使館と領事部が引っ越してからしばらくはそこでタイ人もビザ申請をしていた。結構広い部屋が用意されていて、たくさんのタイ人が並んでいたものだ。芸能人もその中に何人もいたくらいで。
その後、在タイ日本大使館がビザの審査などを外注するようになり、当初はシーロム・コンプレックス内の旅行会社窓口で申請を受け付けていた。2012年くらいにチットロムに移転したが、2013年7月から日本政府がタイ人に対して短期査証の免除を始め、ビザ窓口は一気に閑古鳥が鳴くようになる。
この年からタイ人の間で日本旅行が大ブームとなった。この人気は、ビザ発給の難易度が高かった反動という見方もあるが、実際には日本のビザ発給は少なくとも今のタイのビザよりも簡単に取得できた。なにせ発給元は日本である。ちゃんと必要書類を明記しているし、追加資料もある程度明確だ。
タイは今だって必要書類がわかりにくく、担当者によって必要書類が変わるという難易度がある。在タイ日本大使館にはそんな面倒がないので、本来は簡単なのだ。言われた書類を理解できずに用意しないから発給されないだけである。実際、ボクの妻は結婚前でまだ学生だったが、一発で発給されている。
90年代後半から2000年代初頭、ちょうどボクがタイに来たころは今ほど日本人がタイにはいなかった。在住者も少ないし、観光客数もそれほど多くない。おそらく大半がリピーターだったと思う。日本で「タイを旅行してきた」と言うと、90年代後半は10人中9人が「台湾?」と聞き返してきたほどである。
インターネットも普及していなかったので、当時はガイドブックか口コミでしか情報が得られなかった。それでも日本人特有の勤勉さというか、マニアックさがあって、リピーターの中には誰よりも先に、誰も知らないタイを見つけようと躍起になっている人もいた。
今、タイ人が日本旅行でやっている、あるいは求めているのはそんなことじゃないかなと思う。たとえば、かつては多くのタイ人が日本で働くことを望んでいて、そういう人はどうやったらビザを取得できるのかを訊いてきたものだ。それが、ビザ緩和によって行きやすくなると、今度は札幌、東京、名古屋、大阪、福岡だとどこにまず行くべきか、と訊いてくるようになった。
初期はそのように、まずどこに行くかすらわからず、多くが団体旅行で出かけていた。5泊くらいで福岡in札幌outのコースもあったりと、せわしない旅行が多かった気がする。
とはいえ、日本人の知らないツアー内容もあったりしたようで興味深い。静岡のアウトレットモールがツアーに組み込まれていたり、小樽では大ホールで盆踊りなどを体験させるホテルなどもあったりと、いろいろなイベントがあったと聞いている。
ひと通り、そんなツアーで日本の表面を体験すると、ほとんどのタイ人が日本好きになり、再び日本へと出かけていく。このあたりにまず90年代などの日本人観光客に通じるものがある。さらに、一度個人旅行を体験すれば団体旅行より小回りが利いて楽しめることを知り、その後はさらに大胆に旅してまわるようになるのだ。
だから、当初どの都市がいいのかという質問が、だんだんと「大阪のナントカ通りの辺りだったらどんな居酒屋がおすすめ?」なんていうピンポイントな質問が出てくるようになった。あるバンコクのイベントでは千葉県の観光事務所がレンタカーで周遊するコースを紹介していた。車を借りて、東京から海ほたるを経由して千葉県を巡るタイ人がいるからで、さらにタイ人を誘致したい狙いがあったようで。
それくらい日本はタイ人の旅行好きからの注目度が高い。上野で会ったタイ人は秋葉原にプレイステーションを買いに来ていた。聞くところによればタイにはない機種(ケースがスケルトンとか)が秋葉原なら安価で買えるのだとか。そういったマニアックなタイ人も増えている。
バンコクなどタイ国内で行われる観光系のイベントや展示会ではやっぱり日本が強い。観光に興味がなくても、若い人だと日本のマンガやアニメに親しんでいる。そこからコスプレだとかアイドルに発展して、いわゆるオタクカルチャーがタイ人の間でも定着している。
昨年セントラルワールドで行われた『ジャパン・エクスポ2020』では、何組ものアイドルやタレントが誘致されていた。ボクなんか全然名前も知らないが、ちゃんとタイにもファンがいて、曲に合わせる合いの手やダンスなんかも完璧にマスターしている。日本人のコアなファンも来ていて、そこで国際交流が生まれたりと、なかなか素晴らしいイベントだった。
実際、日本の地下アイドルだけを追いかけるファンもいるくらいで、タイのオタクが注目する日本のサブカルは案外に深い。そんな地下アイドルの追っかけを取材をしたこともあるが、彼曰くは「メジャーなアイドルはもうアイドルではない」という、日本のオタクが言いそうなことを言っていた。
一方で、メジャーを好む人もいる。このイベントに登場したアイドルたちはその後握手会も開催していたが、そこにいたタイ人ファンはホワイトボードに「元気出支店長」と書いていた。これはそのちょっと前に、日本の大所帯アイドル『日向坂46』のひとりが番組内で出した大喜利の回答だ。違うアイドルに出しているあたり、たぶんそのタイ人は日本語ができない。しかし、ウケそうだというのを察知して持ってきたと見ると、しっかりとリサーチしているのだなと思う。数日、あるいは数週間前の日本の番組を観ているのだ。
ここまでくると、タイ人の日本好きな若者たちは、ボクらのようなかつてのタイ・マニアを超えてきているような気もしてくる。かつてボクらがやっていたことではなく、それ以上にすごいのではないか。得られる情報量が20年前と今では違うとはいえ、熱量というか、行動力が違うと感じる様子を見た。
ボクはタイのアイドルにハマった時期もあったので、90年代後半と2000年代頭のくらいのタイ・ポップスはムチャクチャ聴いてきた。当時は日本人でもタイ・アイドルに傾倒するタイ好きは少なかったと思う。
その中でもボクはタイ文字をタイの楽曲から学んだこともあって、タイ語のカラオケも歌ったりしていて、当時はマニアックに見られたものだ。でも、ボクなんかは所詮はその程度だ。
タイでは日本に興味があるというより、日本のアニメなどが生まれたときからあって親しんできたというのもあって、若者に関しては日本のサブカルなどは非常に身近というのはある。当時の日本人タイ・マニアとは元々の感覚が違うとは言える。
日本語学習だって、以前は日本語ができることで収入がアップするという現実的な事情があった。今は、そういう理由で日本語を学ぶ人はほとんどいないそうだ。彼らは、日本のアニメやマンガを原語のまま読みたいといった理由から日本語学習を始めるのだそうだ。
日本観光に行く人だけでなく、コスプレ人口もタイは多い。そういった日本のサブカルへの熱が彼らを駆り立てる。もちろん、かつての日本人タイ・マニアたちも同じような熱を持っていたが、それでも、上記の画像のように、舞台に立ってタイ語を披露するような人はいなかったと思う。
この画像は去年の『ジャパン・エクスポ2020』内で行われたイベントで、なんとタイ人が日本語で漫才を披露するものだった。ステージで何組ものタイ人が漫才をしていたのだ。日本語で漫才を披露し、日本人のタイ在住お笑い芸人などが審査をしたのだが、漫才のネタをオリジナルで考え、それを日本語でやるなんて、こんなすごいことがあるだろうか。正直に言って、全然おもしろくなかったけど、それをやってやろうという気合がすごいと感じた。
こんな状況が終息したら、またタイ人はきっと日本に遊びに来ることでしょう。ニッチな日本観光を求め始めているタイ人たちは、旅行したくてもできない欲求不満を一気に爆発させるであろうことも考慮すると、おそらくマニアックに日本の地方などへと入り込んでいくのではないかなとボクは予測している。日本の地方の観光地は今から準備を進めるべきだ。
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