見出し画像

初めてのタイは八角の匂いがした

 初タイのことをふと思い出した。欧米人などが日本に初めて来ると、空港が醤油臭いとか言うらしい。それで言うなら、ボクが初めてタイに降り立ったとき、ドンムアン国際空港は八角の匂いがした。あるいは五香粉だったろうか。バンコクでよく見かける豚足ご飯「カオカームー」の匂いだ。

画像1

 ボクが初めてタイに来たのは1998年の1月だ。24日前後だったはず。東京は雪が降るほど寒い年だった。

 初めての海外だった。「格安航空券」という雑誌で航空券をいろいろと見た結果、たしか中野にあったマロンとかそんな名前の旅行代理店で、エジプト航空の成田発マニラ経由バンコク行きだった。

 当時は羽田の国際線は台湾行きくらいしかなかったはず。成田一択で、値段で選んだのだと思う。3万円を切っていたかどうか、そんなところだろう。90年代後半から2003年くらいまでは直行便で使いやすかったのはビーマン・バングラディシュ航空とエアインディアだった。エアインディアは大体4万円台、ビーマンは3万円台後半だった。燃料サーチャージなんてなくて、とにかく安かった時代だ。

画像2

 エジプト航空は空港に着くとターミナル横づけではなく、バスでターミナルに向かう方式だった。当時はドンムアン国際空港がバンコクの玄関だった。薄暗くて、とても首都の空港とは思えない雰囲気があった。

 このときに初めてタイの空気を吸ったわけだ。雪の降っているところから来たので、さすがに暑かった。なんか八角の匂いがするなと思った。

 ただ、八角だというのはこのときはわからなくて、翌日、あるいは翌々日にシーロムからカオサン通りまで歩いてラマ4世通り、ヤワラー通りを経て帰ったときにカオカームーの店を見かけて「ああ、この匂いか」とわかった。

 初めての海外だけれども、「地球の歩き方」を買ったきり中身をちゃんと読んでおらず、深夜0時ごろに到着して困ってしまった。どこに泊まればいいんだと。すると、北欧女性とイスラエル男性のカップルが声をかけてきて、カオサンに行くならタクシーをシェアしようと言ってくれた。ボクはこういう初めての国でのこういう運は強くて、今でもどうにかなっちゃうので、相変わらず初めての国でもあまり下調べをしないで行ってしまう癖がある。

 今のエアポートバスはオレンジ色の路線バス(登場したばかりのころはユーロって呼ばれていたけれども、今はどうなんだろう)がエアポートバスになっているが、当時は白いマイクロバスみたいなのがエアポートバスだった。シーロム行きとカオサン行きがあった。スクムビットはどうだったろう。

画像3

「カオサンに行くなら」と言われてそのままタクシーに乗ったけれども、カオサンを知らなかった。到着して安宿街とわかったのだが、ワケがわからないので、カップルについていった。寺裏のグリーンというゲストハウスだ。エアコンもないし、トイレは共同でちょっと引いた。

 それで、泊まるのはやめてカオサンを歩き回って、いろいろ見たがどれも汚くて、最終的にカオサンの真ん中辺りで裏通りに抜けられるところにある「グリーン・ハウス」に妥協して泊まった。数年後にまさかここで知り合いの日本人が殺人事件を起こすとは思ってもいなかったが。

 とりあえずカバンを置いたが、そのときはもうくたくたになってしまい、寝てしまった。数日はこのゲストハウスにいたが、やっぱりエアコンがないのがきつくて、カオサン通り沿いにある「サイアム・オリエンタル」という1泊500バーツくらいのところに移った。ここはそこそこ居心地がよくて、結局1ヶ月くらい泊まった。

 当時カオサンで500バーツなんて高級ホテルの部類だった。当時、ドミトリーで最安値はママズ・ゲストハウスの50バーツだったと思う。今はホテルとか乱立しているし、クラブなどで明るいけれど、なにせ、昼間でさえ今のように活気があって明るいなんてことはなく、夜になったらさらに暗い通りだった。ボクが初めて行ったころには日本人向けの麻薬の巣窟みたいなゲストハウスもあったくらいだし、その後も麻薬関連の事件や強盗事件もよく起こった。

 当時はカオサン内にコンビニはタイ人経営の店が2軒くらいしかなく、ディスコもなかったし、ゲストハウスが飲食店を併設していて、そこで飲めるくらいだった。そういったレストランでは堂々、無許可で映画を流していたものだ。

 為替レートも今とは全然違って、1バーツ2円くらいの感覚だった。1万円で4000バーツ超だったので、今よりも物価が安いという印象で、毎日が楽しかった。

 ちなみにボクはゴーゴーバーとかに遊びに行くようになったのは、さらにその数年後、タイ語ができるようになってからだ。このときは報徳堂や死体博物館が目当てで行き、暇なときはマーブンクロンとか、チャトチャックに行ってばかりだった。

 BTSもサイアムセンター前にやっと橋桁ができたくらい。そういえば、カオサン通り近くにあるバンランプーのデパートもまだ1階だけは営業していたな。そんな時代だった。

 とにかく今以上に不便で、理不尽な国だったよ、当時は。BTSが開通して多少便利になったけど、でも当初は高かった。今と変わらないんだけど、物価が安かったので、高く感じたというか。電車だから当たり前だけれども、高めの料金払って目的地目の前に着くわけでもない。そうなるとタクシーかバスの方がいいかなと。

 BTS開通で大きな進展がなくて、その後大きな政変が2006年と2008年にあって。そして、2010年になってから急激に発展して、今のような感じになった。

 便利になるのはいいことだし、そうなってほしいとは思っていたけど、いざそうなるとなんか前の方がよかったなと思ったりして。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?