タイのドラッグレース
タイが関係するモータースポーツの歴史は意外と長い。アジア人初のF1ドライバーもタイ人だ。ラマ4世王の孫ピーラポンパーヌデート親王、英語名プリンス・ビラ(1914~1985年)が第2次大戦以前より留学先の英国で数々の勝利を収め、1950年に始まったF1に第1戦から5年間参戦していた。'87年に中嶋悟がデビューするまで、唯一のアジア人フル参戦ドライバーであり、'90年に鈴木亜久里がアジア人初の3位表彰台に立つまでアジア人最高位はプリンス・ビラが記録した4位であった。
しかし、タイで最も集客力があるカテゴリーはサーキットを走るレースではなく、直線を競うドラッグレースだ。日本ではゼロヨンと呼ばれる、停止状態から1対1で競走するカテゴリーである。アメリカの若者の遊びが発祥ではあるが、タイでは暴走族たちが好むレース形式であるから、タイ人には最も身近なのだ。
ドラッグレースはアメリカ発祥の直線1/4マイル(402.33m)で競う。日本ではサーキットでの周回レースが先に入ってきているからか、あまり盛んではない。タイでは不良少年たちが街中で敵対するグループとバイクで競ったりするので、身近で人気が高い。しかも公式的なものはアメリカのまねごとではなく、かなり本格的なレースになっている。
タイでは暴走族が好む草レースとしてのドラッグレースのほか、イベントとして開催される、公式的なレースもある。国内には数ヶ所、ドラッグレースの専用コースがあるという。
そんなタイのドラッグレースを日本人レース関係者に言わせると
「世界トップクラスの水準」
だそうだ。ある年、日本のチームが「教えてやる」つもりでタイの公式戦に挑戦したが、こてんぱんに負けて帰ったという。日本や欧米とは違い、騒音や環境対策とは無縁なのか、改造の幅が広いのもタイが強いひとつの要因だろう。
日本のドラッグレースでは1000馬力級のFR車で8秒台前半で走るようだが、タイでは8秒を切る。しかも、それがレース専用車とはいえ、ディーゼルエンジンを魔改造した市販ピックアップトラックだったりする。
8秒半ばというのは、ゴール時点で概ね時速250~270kmに達する。ウィキペディアによれば日本販売価格が1億円もするマクラーレンP1で停止状態から時速300kmまでが16.5秒だそうで、タイの改造ピックアップはそれよりも速いということになる。
一般的にディーゼルエンジンの特性はガソリンエンジンに比べて加速力があると言われる。その点から見ればドラッグレース向きではあるとはいえ、タイにおけるディーゼルエンジン改造スキルは世界でも類を見ない。本場アメリカでも賞賛され、タイ以外ではブラジルくらいがディーゼルエンジンのレース・チューン技術が高いとされるだけだ。日本はディーゼルをここまでチューンする機会がないので、この分野はタイに劣る。
タイ・ドラッグレースに出場するピックアップトラックはいすゞのD-MAXが多い。中古の出玉があって安いからだ。本格的にドラッグレースをしようと思うとパーツなどに金がかかる。さすがにタイ国内のパーツだけではここまで早く改造できない。D-MAXで走るレーサーに話を聞くと、
「ギアはアメリカ製で、大体830馬力以上は出ています」
という。市販状態で130馬力の車をここまで改造しているので、最早そのままではシャシーも歪んでしまうこともあるので、中身はまったく違う車とも言える。8秒を切るピックアップはさすがにフレームからなにからすべてが特製であり、外側には、アメリカのストックカーレースのようにオリジナルのデザインを踏襲しているカーボンボディを使う。ここまで改造した上で1000馬力前後になれば、調子がいいときで7秒台に入るという。
タイでもモータースポーツは若い男性に人気があるが、参戦するにはタイ特有の問題もある。どのジャンルも自動車メーカーが保有するワークスチームというのはほとんどなく、プライベートチームが大半だ。そうなると若手ドライバーが育たない。
特にモータースポーツは金がかかるので、若くしてドライバーになるということは、よほどの資金力が必要だ。富豪のネットワーク内にある企業がスポンサーになることは、ドライバーの家柄に頼る必要があり、生まれたときにある程度決まってしまう。
そもそもモータースポーツに参戦するドライバーはほとんどが富裕層の一族で、趣味の延長で公式戦が行われている。スポンサーも参加者の知り合いだし、チーム同士も競っているとはいえ、なんらかしらの繋がりがある。そこに一般の若者がレーサーとして入り込むのは、日本で無名の若者がレーサーデビューするよりも何百倍も難しい。
その点、ドラッグレースは誰でも参加しやすい土壌がある。金にものを言わせる富裕層の参加者もいるが、田舎の町工場のメンバーで構成されたようなチームもあるなど、ほかのジャンルより入り込みやすい。
しかし、それでもかなりの金がかかる。そうなると、レーサーやチームはできるだけ安い車両を手に入れて、パーツの方に金をかけて賞金を狙うしかない。
参加車両は一般車両の改造車からアメリカではトップフューエルと呼ばれるドラッグ専用車まで揃っている。一番多いのがピックアップと一般車両の改造車だ。
2台並んで競走することもあるが、タイでは1台ずつのタイムトライアルが多いようだった。観客は大半が不良少年たちで、目当ての車が来ると歓声を上げる。開始時間も19時からと遅い。ただ、会場が郊外の畑の真ん中だったので問題なさそうだった。
レースは本格的なルールに則っていて、手順も本場アメリカと同じだ。スタート前にはタイヤをバーンナウトで溶かす。会場は油の匂いと白煙に包まれる。ディーゼルエンジンの車が登場すると、黒煙が異常なまでに出ていた。これだと日本や欧米では規制がかかってしまい、そもそも参加することができなさそう。この点がタイのディーゼルエンジン改造力のひとつの理由なのかなと感じた。
ボクが見学したレースはトップフューエルが7.466秒で総合優勝していた。こうなると本当に金がものを言う世界なのだとわかる。アメリカから持ってきた専用車両と、一般車両の魔改造ではさすがに差が出て当然だ。
2位はプロ6というクラスのセフィーロで8.074秒、3位にトヨタ86が8.157秒を叩きだした。取材時のピックアップトラック部門は8秒台に乗れず、トップ10には1台も入れなかった。前年は2位にいすゞD-MAXが7.831秒で入ったらしいので、全体的に調子が悪かったようだ。
タイ・ドラッグレースはバイクの大会も別途ある。また、日本や欧米のネットで話題になったこともある耕耘機を魔改造したレースもあるなど、タイのドラッグはとにかく熱い。
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