ジェイミー・ダイモン:JPモルガン・チェース($JPM)のカリスマCEO
ジェイミー・ダイモン氏は、アメリカの大手銀行JPモルガン・チェースの会長兼CEOを務める著名な人物です。マスコミにも度々登場する有名人です。
最近も経済に対しての見解ニュースが出ていました。
ウォール街で最も影響力のある人物の一人として知られ、そのカリスマ性と決断力のあるリーダーシップで、JPモルガン・チェースを世界最大の銀行に成長させました。
少し経歴や業績など調べました。
それではどうぞ!
ダイモン氏の経歴
ダイモン氏は1956年生まれ、ニューヨーク出身です。
1982年にアメリカン・エキスプレスに入社後、シアーソン・リーマン・ハットンズ、シティグループなどを経て、2004年にバンク・ワンのCEOに就任しました。
2006年にはJPモルガン・チェースのCEOに就任し、2008年にはベアー・スターンズとの合併を実現、2011年にはワシントン・ミューチュアルとの合併を実現するなど、JPモルガン・チェースの成長を牽引してきました。
家族や両親の事
父:テオドール・ダイモン (Theodore Dimon)、ギリシャのクレタ島出身ニューヨークでレストラン経営する。ダイモン氏が幼い頃に亡くなる。
母:テレサ・ファイオラ (Theresa Fiordaliso)、イタリア系アメリカ人
看護師として働きダイモン氏を女手一つで育てる。
兄弟:ピーター・ダイモン (Peter Dimon) 兄
医師である
家系
ダイモン氏自身はギリシャとイタリアの血を引いている。
ギリシャ正教徒として育つ。
幼少期はどのように過ごしたのか?
ニューヨーク市のクイーンズ区で育つ。
幼い頃から働き、新聞配達や靴磨きなどを経験、成績も優秀で、ニューヨーク市立大学クイーンズ校に進学する
大学や学歴は?
ニューヨーク市立大学クイーンズ校で経済学を専攻、
1978年卒業その後、ハーバード大学経営大学院に進学し、1982年卒業
ダイモン氏の主な業績
ダイモン氏の業績は以下の通りです。
JPモルガン・チェースを世界最大の銀行に成長させた
リーマンショック後の金融危機を乗り越え、JPモルガン・チェースを唯一無二の利益を上げ続ける銀行にした
投資家への高いリターンを維持している
規制強化や金融危機の影響を受けやすい金融業界において、JPモルガン・チェースを安定的に成長させている
ジェイミー・ダイモン氏就任前のJPモルガン・チェースの問題
当時同社はいくつかの問題を抱えていたとのことです。
1. 収益性の低下
2000年代初頭、JPモルガン・チェースは収益性の低下に悩まされていました。これは、投資銀行部門の業績悪化や、不良債権の増加などが原因でした。
2. 経営陣の不和
当時のCEOであるウィリアム・B・ハリソン氏と会長であるサンドリー・ワイル氏の間には不和があり、これが経営の混乱を招いていました。
3. 企業文化の問題
JPモルガン・チェースは、リスク管理が不十分で、倫理的な問題を抱えていました。
4. 株価の低迷
これらの問題の影響で、JPモルガン・チェースの株価は低迷していました。
ダイモン氏はこれらの問題を解決するために、行った改革
1. コスト削減
ダイモン氏は人員削減や業務の効率化を進め、コストを削減しました。
2. 収益源の多様化
投資銀行部門に偏っていた収益源を多様化するために、資産管理部門やリテール部門を強化しました。
3. リスク管理の強化
リスク管理体制を強化し、不良債権の削減を進めました。
4. 企業文化の改善
倫理的な行動を重視する企業文化を醸成しました。
これらの改革により、JPモルガン・チェースは収益性を回復、株価も上昇しました。
ダイモン氏の人物像に迫る
ダイモン氏はストイックな性格との事で、仕事に非常に熱心です。
従業員に対しては厳しい要求をする一方で、優秀な人材には高い評価を与え、育成に力を入れています。また、政治家や政府関係者と親交があり、政策提言などにも積極的に取り組んでいます。
ダイモン氏の近年の活動
近年は、金融テクノロジー(フィンテック)の台頭や、ビットコインなどの仮想通貨への対応など、新たな課題にも積極的に取り組んでいます。
フィンテック企業との提携や買収を積極的に進めている
ビットコインなどの仮想通貨については、投資対象としての可能性を評価しつつ、そのリスクについても指摘している
2020年には、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた経済を支援するため、JPモルガン・チェースとして25億ドルの基金を設立した
まとめ
ジェイミー・ダイモン氏は、アメリカ経済を支える金融業界の重鎮であり、その影響力は世界中に及びます。今後も、金融業界のリーダーとして、様々な課題に取り組んでいくことが期待されています。