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『海外旅行で経験した思い出』台湾に伝えたい「謝謝」の一言
数年前の冬、私は酒を飲みながら泣いていた。それは、失恋をしたからだ。
ある日、友人の誘いがあり、大学の留学生の仲良しグループに参加をした。そこは、学部も学科も関係ない留学生の多くが昼食時間中に世間話や授業の内容の復習をしたりしていた。
日本人ということもあり、日本語の勉強を手伝ったり、レポートの内容の添削をしたりしていた。
そのグループの中に、とっても可愛い留学生がいた。一目惚れだった。私は自然と声をかけていた。彼女と話した結果、母国語が中国語だったので、中国語の勉強を始めた。
毎日、英語の宿題がたくさんある中、時間を見つけて中国語の勉強に励んだ。
中国語の発音はとても難しかったので、彼女から発音を教えてもらい、徐々に中国語の発音も上達をし、今度は彼女と中国語で簡単な会話をするようになった。
そして、月日は流れ、ある冬の日の夜。私は彼女をドライブに誘った。チャンスはこの時しかないと思い、彼女にこう伝えた。
「初めて会った時からあなたのことが好きでした。僕と付き合ってください。」
「あなたのことは好きだけど、答えはまた今度にしてくれる。」
私は了承し、ドライブは終わった。
それから、1週間後のある日、ファミリーレストランで窓際の席に座っていた。そこで見た光景は信じられないものだった。
大好きだった女の子が別の男性と手を繋いで歩いていたからだ。しかも、その男の子は1つ下で、私と食事もしたことがある子だった。
とても悔しかった。家に帰ると酒を片手に泣きながら呟いていた。
「俺はずっと好きだったのに。なんでだよ!」
それから、中国語の勉強の本は全て本棚にしまい、勉強をやめることにしたのだ。
もちろん、彼女からもお付き合いはできないという連絡もあった。
1週間後、実家の母から電話があった。
「元気にしてる?そうそう、来月に台湾行きのフライトを取ったから、予定を空けておいてね、そして、中国語を勉強してるでしよ。日本語と英語に頼らないで、なるべく中国語で会話をすること。それじゃよろしく。」
「中国語の勉強はもう辞めたの。なんで相談もなしに旅行のチケット取るの。」
「そう言わずに、もう決まったことだから。それじゃ。」
電話は切れてしまった。私は首を左に傾げた。
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そして、月日が流れ、台湾に向かった。
母と台湾のデパートへ向かった。母が欲しいものがあったので、女性店員と中国語で会話をしていたら、店員が笑顔で私に言った。
「あなた、中国語上手ね!どこで勉強したの。」
「日本です。友達と話していたら上達できました。」
「そうなんだ。中国語があまりにも上手だったから、現地の人かと思ったよ。」
その言葉はお世辞でもすごく嬉しかった。そして、私と母はレジに向かい、会計を済ませた。
そして、夜になり、夕食を済ませ、一人で夜市に行くことにした。
夜市に射的ゲームがあった。そこには、20代位の女性店員と若いカップルの客がいた。店員と中国語で会話をしていたら、私に問いかけた。
「日本人ですか。」
「はい、日本人です。」
「ようこそ、台湾へ!私ね、日本が大好きなんです。いつか行ってみたいな。」
「台湾もいいところですよ。みんな優しいし、そして、食べ物が美味しい。」
そう答えると、射的ゲームを始めた。
このゲームは風船を割るだけというシンプルなルールだ。しかし、これが難しい。
そして、全ての風船を割ることに成功した。すると店員さんと周りにいたお客さんが拍手をし、全員が私に言った。
「おめでとう。あなたすごいね。」
そして、隣で遊んでいたカップル客の彼氏も私に問いかけた。
「実は、僕たちも日本が大好きで、もう3回位行ったかな。」
彼らと会話をしていたら、東京、大阪、沖縄に行ったことがあるらしく会話は盛り上がった。
その後、ホテルに帰った時のこと。私はこの時、とっても感動した。こんなに優しくしてもらったことに。
あるお店では店員と仲良くなっただけで、料理をサービスしてくれるところもあった。
そして、台湾の観光も終わりが近づき、日本に帰国する時がやってきた。
この時から、台湾の人たちの優しさに感動し、中国語をもう一度やり直すことを決意した。
飛行機が離陸し、私は心の中で言った。
「みんなありがとう。私は必ず台湾に留学します。」
この旅で、「思いやりの気持ち」と「優しい心を常に持って接する」ことを学んだ。
その後、私は中国語を再開し、台湾にも短期留学することになった。