世界に一つだけの花 〜「No.1でonly one」の本音をいわなかった者達への雑感〜
元SMAPの中居正広氏が、現所属事務所から独立するとのこと。
会見のすべてを見た(読んだ)わけではないが、見事なトークショーをやり遂げたことは伝わった。
移籍前に、今後頼みにする能力を見せつけるのは良い手だ。
他の4人は「アイドル業」をベースとした仕事のやり方をしているが、司会業に尖り過ぎた氏のありようからすると、一途にトークのエンターテイナーを目指すのが妥当といえる。
だから、アイドル事務所からの「独立」は正しいと思う。括弧付の「独立」であろうとも。
…これについては以上だ。
こんなTwitterに流しておけば済む話を、Twitterでは躊躇した理由がある。
ここからが本題。
免責事項を書いておく
私がV6ファンだということは、一切関係ない。
この断りを入れなければ、この先書くことは間違いなく曲解されるだろうと思う。実は同様の理由で、冒頭の話ですら書くのをためらっていた。
無論、V6ファンゆえに持っている視点も入ってしまっているが、今回の論旨にV6は関係ないのでそこは抜かして考えてほしい。
No.1が「No.1にならなくてもいい」と歌う矛盾
「世界に一つだけの花」は名曲だと思う。
槇原敬之氏のセルフカバー版を初めてTVで観た時、挫折を経験した人だからこその思いが画面越しですらビシビシ伝わってきて、本当に感動した。
(ここでは槇原氏の挫折について深くは語らない。)
しかし当然のことながら、先に耳にしたのはSMAP版の方である。
リリース後、瞬く間に大ヒットを飛ばした曲だから、聴いたことがないわけがない。
その時に何を思ったか。
「良い曲だけど、SMAPに歌わせる曲としてどうなのよ?」
…別に推しに歌わせたいわけじゃないぞ。そういう解釈されるのが面倒くさい。
この頃のSMAPは紛れもなく最強の男性アイドルグループだ。恐らく日本史上初の、老若男女に受け入れられた男性アイドルグループですらあろう。
だからこそ思ったのだ。
「No.1となった者が、『No.1にならなくてもいい』と歌うことは、ある種の欺瞞ではないか?」
この曲の評価の難しいところは、槇原氏が語っていた通り「槇原敬之の曲」ではなく「SMAPの曲」だからこそ広くメッセージを伝えられたということにある。でも、そのメッセンジャーが、売れない時代からNo.1を目指してガツガツとやってきたグループだという大いなる矛盾。
No.1になった後も彼らは「ここまでこれたから、あとはゆったり仕事しよう」などとスタンスを変えることはなく、なんなら怖いくらいに自らの芸能界での生息域を広げ続けていた。
それはどうみても「No.1でOnly one」たる者の生態だ。
No.1たる彼らが「No.1にならなくてもいい」と歌うこと。それは山を登りかけた者を大熊の爪が薙ぎ払う所業ではないのか。
タレントがNo.1であろうとすれば、ファンもまたNo.1でなければいけないと考えるだろう
ファンはタレントの鏡。
これはアイドルに限らず、何らかの芸能人のファンであれば心当たりがあると思う。
私は他のジャニーズタレントには靡かないタイプなので、あくまでV6ファンとしての感想となるが、タレント達のキャラクターと売り方で、ファンも随分変わるものだというのがよくみえる。
ファンが荒れやすいのは、「アイドルの王道寄り」で、タレント自身が「若い」、そして「売れている」、という条件に合致しているようなところであるように思う。それぞれが厄介なファンを集めやすい条件だ。
(全部揃わなければならない、という意味ではない。集まる厄介の種類が違うのだ。)
SMAPは圧倒的に「売れている」ため、推しが常にNo.1であることが当然だ、と思う人々をたくさん引き寄せたのだろう。
これが今、厄介の元となっているのではないか。
ファン活動でNo.1に「する」のは良い。例えば、売上をNo.1にするために、タレントの宣伝する商品を買い支えることは良いことだと思う。皆がニコニコ、大いにやって結構。そして「我々の力で売上No.1になった」という自慢も構わない。
でも、他のところに向かって「No.1になれないんだプークスクス」をやるなら話は別だ。
相手の尊厳を傷つけているということでもあるし、もっと根本的な話として、たかが一ファンのくせに推しの強さをかさに着た状態、というとても愚かな行為だ。
タレントが成熟するとともに、“流行り始めたものにしか興味を持たない層”が脱落し、人気のバロメーターとなる数値は落ちていく。この局面に入った時、上記の手合いほど認知的不協和を起こすのではないか。
SMAPはまともな終わり方をしなかった為(ジャニーズのデビュー組のグループで、幕引きでトラブった終わり方をしている例は意外に少ないらしい)、取り残されたファンにしてみれば不幸だ。
だからといって関係のないところに八つ当たりされても困るのだ。SMAPという偉大なる先輩方を尊敬している後輩タレント(とそのファン)も多いのに、だ。
正直、元SMAPのタレント達も、荒れたファンの諍いを止めるどころか煽っているように見受けられるので、残念でならない。
ネット上では元SMAP絡みの話をすると彼らのファンが怖い、という認識が広まりつつある。直接の被害を受けるジャニーズタレントのファンもそうだが、彼らと仕事をしたタレントやそのファンにも知られつつあるようだ。事務所すら違うタレントさん方に、共演者の味方だなど勝手に色分けすべきではない。
界隈が荒れれば、「もともと特別なOnly one」として愛していたまともなファンほど、口を閉ざさざるを得なくなる。その分心も離れていっているだろう。より一層No.1から遠ざかっていく。
荒れる環境を鎮めるために、コンセプトを固めて欲しい
あくまで私なりの意見だ。
冒頭の中居氏の会見内容は、今後の活動についての落とし所をはっきりさせた点で優れていると考えている。
有り体にいって、あれはパフォーマンスだと思う。
だから、もしあのパフォーマンスが気に入らないと感じたら、あなたは今後彼のお客様にはなれない。それだけだ。
もっとも、故人の遺骨はモラル的にアカン、みたいな細かい部分の気に入らなさは別だと思う。個人的にはSMAPの再結成の可能性についての回答が、普通なら正解なんだけど、現状でいうと外し気味のリップサービスになっていたかもしれないなと。
長くやってきたらなんとなく今の形になった、というグループもあるが、ガツガツしていた割にコンセプトがはっきりしない、というグループも稀有に思える。
いや、SMAPは「アイドル」をあらゆる分野に広げていった開拓者だから、ノンコンセプトであるべきだったのかもしれない。
でも、個々にバラけた今、誰が何をどう目指していくのか、コンセプトを打ち出していく必要がある。端的にいえば、彼らの活動についてこられず文句をたれ続ける人を、きちんと振り落とさなければならない。そう考える。
新しい地図勢は、いうほど新しいことをしているようにみえない。
もちろん、アイドル志向が悪いわけではない。ビジネスにおいて、過去に身につけたスキルを新しい仕事に活かすことはまったく普通だ。でも、「なんかとってもすごい新しい何か」への期待を煽られていたら拍子抜けさせられた、という気分。
木村拓哉氏の場合、事務所に残留するほどだから、普通に昔からやっていたLIVE等も行う意思があるとみなしていいのかな。ソロデビューした時に「あっ、歌うんだ…」とは思った。
結論
「SMAP」は明確な形で終わらせて欲しい。
再結成の有無は関係なく、まずは区切りをつけろ。
そして、まともじゃないファンは切れ。
その為にも、まずは目指す姿を明確にしろ。
最後に、若手でSMAPが好きなタレント方のことを、見守ってあげろとまでいわないが、せめて彼らに謎の上から目線や彼らが今所属している事務所への文句を彼らにかこつけてするのは止めてくれ。
No.1になりたいのなら。
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