取り残された「反感染対策」の人たち

今日日、割と多くの人が感染対策に対して適当または全くしない状況であり、「一応言われたらするわ」くらいになってはいる。

替えのマスクと廃棄用の袋を標準装備する、比較的気にしている私ですら、周囲がどうとかはあまり見なくなってきたと思う。

多少人混みを避け気味になっているくらいか。


私のたまに行くスーパーマーケット。ここは出入り口に手指消毒スプレーがあるし、店員さんも基本的にマスクをしている。
店員さんの健康リスクをちゃんと考えているのだと思う。

その店のお客様カードをたまたま見てみると、そこには一言でいえば「感染対策が不快だ」というものがあった。

とても綺麗な字だ。その字で「今や感染対策など時代遅れだ馬鹿げている許せない」みたいなことが書かれていて、しかも途中から勢いがついたのか斜めに書き殴られるようになっていく。いかにも喚き散らしているようだ。ただ字体だけは綺麗なのである。

店舗側は極めて冷静に「新型コロナは減ったとはいえまだまだリスクはあるので、従業員の感染対策は続けます」という旨の回答をしていた。

字が綺麗だと、それだけで教養があるイメージはある。少なくとも、字の綺麗な人は綺麗な字の練習をできた環境で育ってきた人とはいえる。
(ただし「習字をやってたかどうか」でしかないので、逆は成り立たないと付け加えておく。)

そうして身に付けた能力を、暴言を読みやすくするために使っている。

その人が何者かは知らない。
年齢も性別も、どんな身分の持ち主かも。
近隣のスーパーでも、同じようなお客様カードを書いているのか、それも不明だ。

それでも、このカードを書いた人物に思いを馳せてしまう自分がいた。


別に自分が感染対策にナーバスだから不愉快になったとか、そういう理由では…ないこともないが
(でなければ、そのお客様カードに殊更引っかかる理由はないわけで)

それ以上に気になったのは「イマドキ、そんなことを気にすること」の方だ。

新型コロナ対策に反対してきた人達は、比較的新型コロナを気にする人を「コロナ脳」と呼ぶが、実際は彼らの方も「コロナ脳」と呼ばれても致し方がないと思う。

日本の大多数の人は、なんとなくすべてが終わったような気がして、なんとなくマスクを外しているだけだ。それで、学校などで流行がぶり返してきたのを知ると慌ててマスクをつけたりしている。
それに乗れずにコロナは茶番だマスクだワクチンだと叫んでいるのは、反の側であろうが「コロナ脳」だ。

今流行している感染症(2024年夏現在、流行しているのは新型コロナウイルスだけではない)への対策をすることには妥当性がある分、他人の感染対策に反対して止めようとする人達は、最も時代に取り残されているともいえる。

現状としては、他人の行う感染対策に賛成も反対もない人というのがマジョリティだ。病院のようなところで求められたらマスクつけましょうか、程度のノリだろう。
ちなみに、マスクそのものの効果がゼロのような考え方は、多数派もしていない、というのがミソだ。だから必要があると感じたらマスクを身につける。

反感染対策の人は、少し前までは「世の中の多数派に抗う戦士」気取りでいられただろう。
今は当の多数派がこの通りなので抗いようがない。

それで、明らかに感染対策している者達に攻撃を向けるが、傍からみればやはりノイジーマイノリティがなんか喚いているとしか思われない。
そして反逆の戦士気取りは単純にイタいので、多数派は味方になってくれない。そんなの思春期で終わらせてこいよ、と思うことに対して、世間は割と冷たいものだ。

少し前に、特定の強い思想の活動家が新入りの思想を強める方法として、「街中で多くの人に顰蹙を買うような活動をして、社会からの疎外感を植え付ける」というやり方があると話題になった。
「思想強めの奴には構わない」というのは個々人の身を守るためには良い処世術ではある。それをせずミイラになったミイラ取りはたくさんいる。でも、拒絶された側目線では、拒絶された体験からますますミイラとして仕上がっていく。

反感染対策のもととなる陰謀論に染まったような人達も、拒絶された体験を持ちながらどんどん先鋭化するだろう。
でも、彼らの場合「資本主義VS共産主義」のような思想の対立ですらない。私のような感染対策推進派も今や少数派。多数派は戦うこともなく「かわいそうなので触らないであげよう」へシフトしていることだろう。

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