「悪意を持った芸能人」を攻撃する人の持つ、攻撃性の源について考えてみた
先日、あるタレント(以下Aとする)が、SNSでお笑い芸人(同Bとする)を中傷したとして、炎上した。
AはBの先輩であり、毒舌サバサバ系女性のイメージで売っている。他方Bは苦労人で真面目なイメージを持たれている。そして炎上の元となったAのポストは、Bの思いやりに溢れたポストへ最低な言葉を吐き捨てるというものだった。
(該当ポストはすぐ削除されていたとはいえ、有名人のポストは即刻スクショされて「消せば増える」が発生するものだ。)
いくら芸人であろうとも、他人を傷つける全ての言葉に「イジリ」を足して面白くする必要はない。正確には「全く面白くない傷つけるだけの言葉をイジリ返す必要がない」だろうか。
Bはストレートに悲しみを発しており、それを見てSNS利用者の間でAを糾弾する流れが起きた。
多くの人が「Aは最低な行為をしたし、Bは芸人だからといってただの誹謗中傷を我慢する必要はない」という意見を表明しているのは、時代がいい方に進んでいると私は感じた。
このAを叩く行為は、一般人の持つある恨み辛みで増強された面がある。
インターネット上で不快感を顕にできるのは一般人も同様だ。
今回のAは学校であれば「スクールカースト上位の女」に該当する。他方、Bは今の地位にくるまで苦労をしてきた人物だ。
元々スクールカーストの上位者はそれだけで卑屈な人の恨みは買いやすいが、それが恨まれる全てというわけでもない。恵まれた人物だからこそ卑屈と程遠く性格が良い、ということも多い。
多数の人間の恨みを買うのは、カースト上位の中でも好き勝手な言動を許されてきたタイプだ。
そうはいっても、恨みの度合いはいじめなど直接多大な攻撃を喰らわない限り、記憶にうっすら残る程度のものだ。
どんな人も人生の進路はバラケるものだし、仮に自分が社会的にそれなりの立場を得たとしても、それをもって恨む相手を復讐することも多いわけではない。田舎で互いに家業を継ぐような状況の場合はあるかもしれないが。
でも、「スクールカースト上位で良い思いをしている嫌なアイツ」と同じ属性の人間を見た時の気持ち悪さとしてはずっと心に残り続けるから、そういう人物が社会的に何かをやらかしたら、個人的な恨みも載せて叩くようにしがちだ。
特にBに同情的であれば、正義感も掛け合わされてより攻撃力が増す。
Aに直接話を聞けない我々は、AのポストがAにとってどういう思いで発せれたのかは知らない。私を含む多くの人は「ただ性格の悪さが行動に出た」とだけ理解した。
実際、過去のポストを掘ったら昔からチクチクやり続けていたようだし、であれば立場を笠に着て歳下に対するいじめをする輩、とみられても仕方がない。
その時、学校でいじめられた/いじめを黙認させられた(これも一種の加担ではあるが、自分もいじめられる可能性がある立場だといじめ被害者を助けられない場合も多くある)記憶があると、その恨みも攻撃に載せて代償行為としての叩きをやってしまう。
なお、日本はそもそも学校での犯罪に対して及び腰であるとされる。それもスクールカースト上位者への恨みを生産し続けている理由の一つだろう。
今回の件で「Aはクズだが、これまで興味がなかったAを殴れると思ったら集まってきた奴らもクズ」という指摘をXでみかけて、私にはこの指摘が耳が痛かった。
自分はBにこそ好感を持っていたのだけど、Aに関しては「なんなんだこいつ」程度の印象しかなかったのは認めるしかない。彼女の出る番組自体観ていないせいもあるし、彼女のようなタイプのYouTuberの動画を観ることもない。このところはスマートフォンのCMで観た覚えしかなかった。
(それでもBに興味があるだけマシな方かもしれないが。)
こういうぼんやりとした不快感の記憶は、現在SNSでの炎上案件、ひいては反知性主義者が医師などを攻撃するケース等でも、攻撃の源として働いているかもしれない、と思った。もっとも反知性主義者は上に述べた、性格の良い人相手でも敵意を燃やす卑屈な者に該当するのだけど。
これに関しては後々も考えていきたい。