昭和の価値観とか老害とかグレートリセットとかグダグダと書いてみた日
昭和って言っても色々
昭和って言っても64年まであったわけで、前半は戦争があり、中盤は高度成長、終盤はバブル絶頂、そして平成になってすぐにバブルが弾けた。
昭和って言っても「昭和ってこうだ!」って言い切れる適切な言葉がないくらい、色々ありすぎた。
テレビで資料映像が流れたりすると、今では考えられないようなことを平然とやっていることに気づくし、スポーツの練習も今は見られなくなった「うさぎ跳び」が定番のトレーニングだったし、「水」なんかも飲んじゃいけなくて、理論より根性論優先でしたね。
野球漫画「巨人の星」世代
僕自身昭和40年生まれなので、どちらかというと野球漫画「巨人の星」に影響されまくってて、根性論は今でも心の底に根付いていると自覚しています。
時代遅れって言われるかもしれないけれど、あれはあれで美しさはあったと思う。全否定しようとは思わないんです。
例えば、江戸時代を生きた人が今もなお生きていたとしたら、江戸時代を全否定する人は少ないだろうなっていう感覚。
あの時代があって「今があるんだよね」って、いい文化、いい考え方は引き継がれながらアップデートされる訳で、全否定しちゃったら元も子も無くなっちゃう。
人間が自己否定して成長するより自己肯定しながら成長していく方が未来は明るい気がします。
ただ、戦争で苦しんだ時代を生きた人にとっては、そんなこと思えないかもしれないですが。
老害にならないように
長く生きてきたからって、偉い訳じゃないけど、いろんな経験をしてきた中で、今の時代でも「いいね」って言われるものは伝えていきたいもの。
ただ、表現方法に気をつけないと老害化してしまいます。
自分は正直「面食い」ですが、ルッキズムという観点で人の内面や能力まで判断しないように気をつけたいと思ってます。
しかし同世代の中には「顔がいいからモテるだろ」「ブスは性格までブス」「美人だからなんちゃら」とか、自分が見えるものに対して自分の偏見を紐付けてしまうような人は、まだまだ見かけることが少なくないです。
美しいものは美しい!って感じることは大事だと思うんです。
ただ、何かと比較する為にそれを言ったり、美しさ故の何かを主張したりっていうのは、もうやめにしないと、それこそ「老害」になってしまうのだろうなと。
昭和を全否定せずともその感覚は捨て去らないと
自分自身は、昭和に生まれて昭和、平成、令和と、これらの時代を生きられてよかった!って思っているけれど、昭和の高度成長やバブル期を知っている人が、その感覚・価値観のまま今の時代を生きたらそうとう不幸なことになるのだろうなと思うんです。
なので、自分自身も気をつけないと「物欲」を代表するような昭和の価値観のままで生きていったらまずいとは思っています。しかし、長く続いた習慣っていうのはなかなか直らない。
さっさと手放さないとと思い、昨年からいろんなものを手放し続けています。でも、まだまだ捨てきれないものが多々あります。
捨てる=否定するではないのに、わかっていても捨てられない時は、自分をぶっ壊すくらいな気持ちで捨てています。そんな時こそ根性論(笑
日本は再生に向かっているのかな
唐突に話が大きくぶっ飛びますが、そんなことを考えていると、最近の急激な社会の変化にも意識が向いてしまいます。
コロナ、光熱費の高騰、そして日本の悪しき習慣が根付いた組織や人がどんどん告発されたり逮捕されたりしていて、政治の世界も大手企業も我々の生活も「安泰」なんて無くなってきているような気がします。
今の総理、岸田さんも「日本を壊しにかかっているのか?」って思うくらい、暴走しているようにも見えます。
しかし、違う見方をすると、日本のリーダーが先頭をきって日本をぶっ壊しにかかっていて、それは実は一度リセットして良きものに再生する準備段階の悪役をあえて担ってくれているのかなと。
役に立たない世襲政治家や人気や名前だけのタレント議員がガラガラポンされて、本当に日本の将来を考える創り上げていく若い政治家が次々と誕生する為の布石を打っているかのようにも見えます。
グレートリセットなんていう言葉も耳にするようになった。そこに向かっているような・・・。
もちろん、岸田総理にそんな思惑や自覚はないと思いますが。
もし、それで日本が再生されるなら、どんな日本か見てみたい気もします。
ただ、戦争は嫌だな。
と、今日はとりとめなく書いてしまいました。
最後まで読んでくれた人、ありがとうございました!