多芸多才な男・ジョニー小野の魅力
正直、友人を褒めるのは気持ち悪い部分もあるけど書いてみる
ジョニー小野さんと出会ったのは、僕がビートたけしさんの付き人経験がある芸人のシェパード太郎さんのライブのお手伝いをして、そのライブにジョニーさんが出演していたのがきっかけ。
会社を経営しながら40歳手前で芸人始めるって、ちょっと常軌を逸していると思ったし、だからこそ迂闊にも注目してしまった存在。
歯に衣着せぬものの言い方は、好き嫌いがあるかもしれないけれど、芸人だったら好き嫌いがあるくらいの方が、可もなく不可もなくなよりも丁度いいって思ってます。
まだ、この時点では友人関係っていう訳でもなく、面白い芸人見つけた!っていう感じで「知り合い」な距離感。
ジョニー小野の初の単独ライブ
初の単独ライブをやるという情報が入ってきたので興味本位で観覧したのが2018年のこと。
場所は新宿西武新宿駅近くにある多目的に使えるレンタルスペースで会議室みたいな部屋で、何種類かのフリップを使ったネタをやっていました。
プロレスネタで滑りまくるジョニー小野
たぶん、お客様にプロレスファンが居たら大ウケだったのかもしれないのですが、その日のお客さんは僕を含めてプロレスのこと自体あまり知らない人たちだったようで、シーンとした場内にはうっすらと空調音がしていて、たまに舞台袖の衝立のむこうから聞こえてくる芸人仲間の笑い声があるという地獄のような空間だったのを覚えています。
こうやって書けることで、それなりの伝説を残したんだなと、今では思っています。
「事務所に所属したい」
そんなジョニーさんのツイートを見かけたので、お節介ながら当時「オフィス北野」のマネージャーを紹介し、ネタ見せに参加したところ、天皇陛下をネタにした尖ったものだったため「テレビでできないじゃないか!」とダンカン専務から激怒の一喝をされるも、その次のネタ見せ回も参加できて、方向性をかなり修正したネタを披露して念願の事務所入り。
当時、僕もオフィス北野をお手伝いしていたので、ジョニー小野さんとはこの頃から距離が近くなった感じだったと記憶しています。
ダンカン専務からの指令でYouTube動画撮影
ダンカン専務も現地撮影に参加し、ヅラいじりの動画撮影をした時、「ジョニー小野はおしゃべりが流暢な男」との評価を得て、続けざまに2つめの指令を受けることになったのが次の動画。
「毎度お馴染みのヅラ交換でございます」をやって撮影してこい!というのだ。
撮影前にジョニーさんと打ち合わせをして、どうせやるなら専務の指令を超えてやろう!と綿密な計画を練った。たぶん、この時がジョニーさんが考えているお笑いに対する姿勢を理解できた時期で「やっぱりこの人の頭の中おもしれえ!」って、それから付き合いが深まり始めたんですね。
水道橋博士の運転手に
僕が水道橋博士の会議に初めて誘われた時に、ご挨拶がわりにと上の「ヅラ配信回収」の動画を紹介したところ、博士が「いい車を持ってるし喋れるね!」って興味を示したのですぐに紹介してLINEにお繋いだところ、話題性もあると即決で運転手・4代目ハカセードライバーに就任。
その頃、テレビ出演がなくなった博士に「ライブやりませんか?」と声をかけたのが実はジョニーさん。
その提案に「テレビみたいな番組作りたい」という博士の意向とも重なって「アサヤン」が始ました。
一番最初のライブの打ち合わせが阿佐ヶ谷ロフトAだったので、僕が「浅草橋ヤング洋品店」に引っ掛けて「阿佐ヶ谷ヤング洋品店でアサヤンって名前でどうですか?」って提案したら博士がすぐにそれに賛同。
ライブ名が「アサヤン」に決まり、浅草橋ヤング洋品店の時代を共にした芸人仲間を集い、企画から1ヶ月ちょっとでライブ開催が実現。
配信ライブ番組「アサヤン」の総合司会就任
ジョニーさんは博士のもとでアサヤンの総合司会を務めることに。やはり流暢なお喋りとアドリブが効くっていう点も評価されていたようです。
そして僕は裏方をやっていたので、この頃から急激にジョニーさんと時間を共にすることが増えて、親しくなっていきました。
今は、事務所も退所して水道橋博士の元からも離れた活動をしていますが、アサヤンを通じて芸能界のいろんな方々と直接舞台上で一緒になれたことやお世話になったことなど、今でも水道橋博士に感謝しているようです。(芸風があるから言うなって言われそうですが)
事務所を辞めた原因は諸説あります(笑)
高級オーディオマニア
僕からすれば「そんなにオーディオにお金かけとるんかい!」って突っ込みたくなるほど「音」にもこだわるジョニーさん。
またその趣味が高じて衛星ラジオのオーディオ関係番組にも出演も。
ご自身の部屋には数百万かけたオーディオがあり、高級オーディオを販売しているお店とのパイプもあるので、そのお店のオーディオルームを使っての撮影やライブ配信もしていて、裏方としてはとても刺激を受けております。
元宝塚の天宮菜生さんとの出会い
アサヤンの活動と同時期に、一時期流行した音声SNS「clubhouse」で知り合ったボイストレーナー佐藤しゅがさんや元宝塚の歌手・天宮菜生さんと付き合うようになり、音楽番組を作ると言い出し、お笑い以外に「音楽までやるんかいか!」とびっくりしたのがこの頃。
普通にキーボード弾けるし、芸達者じゃん!って思わせたジョニーさんにはさらに興味が湧く。
そして天然素材的な天宮菜生さんの上手にいじり魅力を引き出すような芸風も動画内で披露して
グレート義太夫さんとの相性も抜群
音楽とお笑い、そして珈琲好きという部分ではグレート義太夫さんとの相性も抜群で、たけし軍団の生き字引である義太夫さんから色々んなエピソードを引き出すのは、ビートたけしファン軍団ファンでもあるジョニーさんならではな部分も大きいと、近くでみていて痛感しています。
YouTubeで愛車遍歴を始める
外車を何台も所有し車好きなジョニーさんですが、おぎやはぎさんの【愛車遍歴】に出演したいものの、なかなか出演できないので、だったら自分で作ってしまえとYouTubeしてしまったのが、カーグラ的愛車遍歴
もちろんここでもグレート義太夫さんと絡む。
面倒見のよいベテランの先輩芸人に可愛がられるのがジョニーさんの特徴。同じたけし軍団の無法松さんにも色々可愛がられているようです。
尖ったことばかり言ったりやったりしていますが、実はわりと常識人(これも営業妨害と怒られるかな)。ただ、誤解したり彼を理解できない人からは距離を置かれるのも彼の得意調。
僕もジョニーさんと意見の言い合いがありますが、最後はちゃんとお互いの落とし所に落ち着く感じ。言いたいことを我慢し合うより、常日頃から言いたいことを伝えておける関係の方が長続きするような気がします。
チャゲアス愛が止まらなかった結果
ジョニーさんが好きなアーティストにCHAGE and ASKAがいますが、その好きが高じてチャゲアスファンとの交流から「大人の軽音楽部」をスタートさせたり、
さらに、CHAGE and ASKAリスペクトフェスの司会を務めるにとどまらず、リスペクトバンド「WHITE NOSE]を結成。
初のライブ活動までスタートさせてしまいました。
そして、CHAGE and ASKAや松山千春など、様々なアーティストのレコーディングやライブのサポートを務めるベーシスト惠美直也さんとの交流も深まっていてるようです。
「どんだけ人たらしで芸達者なんだよ!」と新しい才能を知るたびにツッコミを入れ続けております。
そんなジョニー小野さんが結成したバンドの配信のURLも貼っておきます。
バンドのライブが終わり、また何か始めるんじゃないかと注視しております。
完全なジョニー小野氏の提灯記事になりました。ちゃんちゃん。