臨床言語心理学の可能性ー公認心理師時代における心理学の基礎を再考するー Ⅰ部2章「ことばの獲得」を読んで

久しぶりに書きます。Takabatanです。

この武藤崇先生を始めとした行動分析の先生たちが言語行動について書いてくれている本になります。

専門用語も多いので、少し読みづらい箇所もなくはないですが、読み砕いていくととても興味深い本となっています。

第2章は言葉の獲得について、行動分析的に書いてくれています。

私がまず感銘を受けたのは、臨床の問いについてです。以下、引用すると筆者は、「どのようなことばを、どのような文脈で、どのような方法で支援するか、本人が持っていることばをどのように支援に組み込み、どのように活かしてゆくか?」という臨床の問いに答えてこそ、臨床言語心理学の目標であると言います。

多くの場合、行動分析は臨床心理学の中では表層だけをさらっているだけ、行動だけ変えたところで意味はない、行動しか見ないなんて心のない行為だ、臨床にはなじまないというような批判と誤解が多いのではと、個人的には思います。

加えて、私のように、障害者施設などで働いている心理の人は、SSTなどいわゆる行動を変容する方法についてがメインで、病院などのいわゆるイメージしやすい『臨床』ではないと感じている人も多いのではないかと思うのですよね。

でも、この一文はキッパリとそれを否定してくれていると感じます。
行動分析でもきちんとクライエントさんが何を、どういう文脈から、どのような意味を持って、どのような言い方で、などなどとてもことばを大事にします。

また、精神分析が言動の裏に無意識を想定するように、行動分析の中でもことばの表だけではない『本当の意味』についてはきちんと考えます。生育歴などももちろん聞くし、その人の行動がどうしてそうなったかを『行動の機能』に着目して支援していくという違いがあるだけなのですよね。

熱くなりすぎると内容から離れてしまうのでやめますが、きちんと本にこういうことを記してくれているという所がこの本の良いところだと感じますね。

さらに、この本の2章の大変興味深いのは、読み進めていくと、色々大事な要素が出てくることですね。

言語行動の基礎は、対人的交互作用、遊び、注意、共同注意、模倣の5つの獲得であり、ことばの獲得がいかに対人関係を安定させ、問題行動の予防につながるのかについて5つの項目について述べています。

特に、遊びについて。遊びのレパートリーが多ければ多いほど、ことばの理解と表出のための動機づけ操作になると書かれています。

心理療法の中では、遊びをとても重要視します。特に子供の場合はそうですね。この本では、その遊びの重要性を臨床言語心理学的に述べているわけです。

遊びという行動が強化されると、総じて他の人やものとの関係性が生じてきます。遊びのおもちゃに手を伸ばすことから始まり、接近し、音声を発したり、他の人と目を合わせたりします。その中からおもちゃをとってほしいとか、そもそもその玩具に自分がつけた名前とか、そういう行動が出てくるわけで、特に音声表出をする行動が伴うと言語がどんどん獲得されていくわけですよね。ブーブーと車を呼んでみたりとか、お気に入りのお人形に名前をつけたりするのもそういう一部かもしれませんよね。

こういう行動が要は共同注視に繋がっていくわけだし、いろいろな行動の源が遊びなのだろうと思います。個人的には遊びの有効性は、その共通言語の獲得だけにとどまらず、空想すること、イマジネーションするという行動を引き起こし、心的な表象を統合していく作業がそこに生じるのではないかと感じています。プレイセラピーはまさにこのイメージをどう使って、その子の痛み、苦しみ、問題を理解していくかというのが基本にあるのだと思いますよね。

あと、この本のさらにいいなあと私が思っているのは、思い違いしていることに気がつくことができる点ですね。

特に、模倣について。模倣というのはただのマネをするということではないということが書かれていて、なかなかの衝撃を受けましたね。

恥ずかしながら、未熟者だなあ・・・と思ったんですけど、模倣って真似して行動レパートリーにない行動をつくることではないのですね。

むしろ行動レパートリーにある(一部でもいい)けど、利用されていない行動を真似ることによって引き出したり、それと別の行動を連鎖させるという作業が模倣なんですよね。

行動分析の始祖、スキナーは行動には強化圧というものがあって、行動の強化にはある一定の志向性があると考えていたんですけど、模倣はまさにこのことを表しているように思えますね。

つまり、行動レパートリーとしては持っているけど、その人の環境の中では志向性を持たなかった行動を、模倣をすることで別の随伴性のくくりに入れていき、ある一定の志向性を持って強化すればいいという話になる。

例えば、棒を振るという行動を持っていても、日常にはなんの役にも立ちませんので、棒を振るという行動を強化されている人はそこまで多くないと思いますが、そこに野球のバッターとしての文脈やゴルファーなどの志向性をつけてあげると、棒を降るが、バットをボールを飛ばすためにふるとか、ゴルフクラブを降って何ヤード飛ばすとかね、そういう強化圧があると自然と望ましい行動になっていくわけですね。

SSTなんてまさにこれかなと思ったりしますね。意識は全然したことなかったけど。

ただ、これを実際にやろうとすると結構難しいんですけどね。

あと、結構難しいという意味でいいうと、2章では例として家族関係についての話が出てくるんですよね。

あるルール支配行動(本の中ではルール制御行動)をさせたい親、反抗する子供という対比はよくある構図ですよね。しかもそれを反抗された親はきつくしかったりしてしまったりもする。

それでは実はあまり良い方向には行かないのですよ。
なぜなら、ことばの形態、形にしか目がいっていないからですね。

大事なことは形態にこだわるのではなく、機能に着目すること。これが行動分析の基本ですからね。

ほんとにこれ、難しいんですよね・・・家族だからどうしてもイライラしちゃうんですよね、子供が言うこと聞いてくれないと。

でも、だからこそわたしたちは、イライラのような情動行動など二振り回れないようにしながら、支援につなげていかなくてはいけないのです。

ムズい・・・ムズいですよ・・・イライラしちゃうことってあるからね・・・人間だし。

というわけで、今回も本当に駄文ですが、このへんで。
未熟なことがワラワラと出てくるなあ・・・。修行はまだ続きます。

今日の本はコチラ:武藤崇(2019) 臨床言語心理学の可能性ー公認心理師時代における心理医学の基礎を再考する,晃洋書房

駄文を読んでいただき、ありがとうございました。

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