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「私と36人の私たち」 作 重信臣聡

「私と36人の私たち」
作 重信臣聡

テーマ:聴こえるはずのない声

あらすじ
締め切り前の無名の作家がとてつもなく狭いワンルームアパートの部屋でこたつに当たっている。締め切り追われながらも書くでもなく書かないでもなくダラダラと過ごしている。そこへ聴こえるはずのない声が聴こえる。声の主は9年前の日記を名乗って押入れから現れる。9年前の日記は作家に書くように迫るが書けない。そこへ新たに18年前の日記が押入れから現れる。また日記たちは作家に書くように迫る。しかし書けない。そこへさらにさらに27年前の日記が押入れから現れる。今度はペンを向けて脅して書かせようとするが、作家はペンを持つと手が震え、やっぱり書けない。諦めた日記たちは押入れに帰っていく。作家はこたつでウトウトと寝入ってしまい、夢の中で母子手帳に出会う。母子手帳は書かなくてもいいと言って消えていく。夢から覚めた作家は押入れを覗くがそこには誰もいない。日記を読み返し、作家はペンを握り、文字を書き始める。

「私と36人の私たち」
作 重信臣聡

登場人物

T.S もうすぐ誕生日を迎え36歳になってしまう無名の作家。
9年前の日記
18年前の日記
27年前の日記
母子手帳

◯とてつもなく狭いワンルームアパートの一室 夜

 T.S、こたつで突っ伏して寝ている。
 こたつの上には日付以外は読めない字が延々と書かれたノートが置いてある。
 押入れから9年前の日記が出てくる。

9年前「おい」
T.S「・・・」
9年前「おい、起きろ」
T.S「・・・だれ?」
9年前「俺だよ」
T.S「誰?」
9年前「俺だ。聞こえてるよな?」
T.S「・・・」
9年前「おい、聞こえてるんだろ?」
T.S「いや、聞こえません」
9年前「聞こえてただろ」
T.S「聞こえません。何も聞こえません」
9年前「聞こえてるだろ」
T.S「聞こえないって言ってるだろ」
9年前「聞こえてるじゃん」
T.S「絶対に聞こえてない」
9年前「いや聞こえてるよ。認めろよ」
T.S「いやだ。認めない」
9年前「このバカ!作家として生きていく最後のチャンスだぞ。俺の話を聞け」
T.S「最後だと!言っていいことと悪いことがあるぞ」
9年前「聞こえてるじゃん」
T.S「そうだよ、ハッキリ聞こえてるよ」
9年前「ほら」
T.S「・・・うん」
9年前「最初から素直に認めろよ。な?」
T.S「はい、私はついに声が聞こえるようになりました。誰ですか?あなた」
9年前「9年前の日記だよ。2011年にお前が書いた日記」
T.S「ああ、日記か」
9年前「そうだよ。お前、ネタがなくて困ってただろ。だから俺、出てきたんだよ」
T.S「そっか。ネタに困ってたから出てきてくれたんだな」
9年前「うん。そうだよ」
T.S「ありがとう」
9年前「どういたしまして」
T.S「・・・やったー、お父さん、お母さん、息子はついに気が狂いました。バンザーイ、バンザーイ、バンザーイ!これで俺も一人前だ。・・・うわーん」
9年前「ちょっと落ち着けよ」
T.S「貴様これが落ち着いていられるか!俺は今、気が狂ったんだぞ!」
9年前「いや、お前は狂ってないよ」
T.S「じゃあなんでお前の声が聞こえるんだ。こんなにクリアに!」
9年前「それはわからないけど。お前はギリセーフだよ」
T.S「こんなにクリアに聞こえるのに?」
9年前「ギリギリセーフ」
T.S「ホントに?」
9年前「ホントホント。お前は大丈夫だよ」
T.S「そうかな」
9年前「そうだよ」
T.S「よかった」
9年前「落ち着いた?」
T.S「落ち着いた」

 T.S、スマホを手に取る。

9年前「おい」
T.S「ん?」
9年前「なにしてる?」
T.S「スマホゲー」
9年前「馬鹿野郎!ゲームやってんじゃねえ、締め切りだろうが」
T.S「なんだよ、怒るなよ。わかってるよ」

 T.S、スマホをこたつの上に置く。

9年前「お前は9年経っても全く変わってないな」
T.S「え、そう?若いままか?」
9年前「スキンケアの話じゃねえんだよ。締め切り前にゲームばっかりやって」
T.S「なんかやっちゃうんだよね、ごめんごめん」

 と、スマホを手に取る。

9年前「スマホ!」
T.S「ごめんごめん、クセで」
9年前「しっかりしろよ。ちゃんと書け」
T.S「まだ時間あるし、大丈夫だよ。パッと浮かべばサラッと書けちゃうんだから」
9年前「この1週間全く書けてないだろ」
T.S「よく知ってるな」
9年前「見てたんだよ。押入れの中から」
T.S「なんか猫型ロボットみたいだな。ひみつ道具とか持ってないのか?」
9年前「こたつで1時間、ボーッとして、1時間ゲームをする、1時間ボーッとして、1時間ゲームをする。この1週間、ずーーーーーっっとその繰り返しだったな」
T.S「・・・そうだよ、だから?」
9年前「そろそろ本腰を入れないとだな」
T.S「いいんだよ、締め切りまでにちゃんと書けば」
9年前「開き直るな」
T.S「じゃあ、ひみつ道具の一つでも出せよ」
9年前「そんなもんねえよ」
T.S「なんだよ使えねえな」

 と、T.S、スマホを手に取る。

9年前「スマホを置け!」
T.S「・・・そんなに怒るなよ」
9年前「・・・」
T.S「どうした?」
9年前「もうちょっとなんとかなってるかと思ったんだけどな」
T.S「え?」
9年前「9年だよ、あっという間だったろ」
T.S「まあ、実感ないよな」
9年前「震災の日にさ、アップルパイ買って帰ったの覚えてるか?」
T.S「ああ、あったね。8時間んかけて歩いて帰ってアップルパイ食べたな」
9年前「あの日、お前は俺にこう書いた。人生なにがあるかわからない。一日、1日を大切に生きていこうって。覚えてるか?」
T.S「・・・」
9年前「お前はあの時、必死に生きてた。けど今のお前は」
T.S「やめてくれ。忘れたよ。そんな昔のこと」

◯18年前の日記

18年前「これが俺の18年後だと思うとがっかりだな!」

 押入れから18年前の日記が出てくる。

9年前「お前は?」
18年前「18年前の日記だよ」
9年前「18年前ってことは18歳!」
T.S「若い」
9年前「なんかピチピチしてるな」
18年前「全くお前たちはノンベンダラリンと年ばかり取りやがって」
T.S「そんな言い方しなくてもいいだろ」
18年前「うるさい!俺は怒ってるんだ。グダグダ言わずに書け!」
9年前「ほらみろ、お前、怒られてるよ」
18年前「何他人事にしてんだ。オメーもだよ!」
9年前「え、俺も?」
18年前「当たり前だろ!オメーも俺の未来には変わりねえんだから。ほら書け!」
T.S「お前は若いからそういうこと言えるんだよ」
18年前「ああん?」
T.S「36歳になるとな、肩は凝る、腰は痛い、体力は落ちて集中は続かない。こうなるんだよ」
18年前「だからどうした。書け」
T.S「18歳にはわからんだろうな。この苦しみは」
18年前「なんだと」
9年前「そうだそうだ。大変なんだぞ」
18年前「お前はまだ若いだろうが」
T.S「いや、元はと言えば若い頃から運動をしていればだな、こんなことにはなってない訳で。きちんと運動する。大切なことだよ」
18年前「それは・・・そうだが。書いてたから」
T.S「・・・」
9年前「・・・」
18年前「書くことで精一杯だったんだよ」
T.S「そう言われると」
9年前「ちょっと困るな」
18年前「だいたいだな。なんで書けねえんだ」
T.S「書くことがないんだよ」
18年前「何かしらあるだろう」
T.S「ないんだよ、なくなっちゃうんだよ」
9年前「だよな」
18年前「嘘つくな」
T.S「嘘じゃないよ。なあ」
9年前「嘘じゃないよ。心外だな」
18年前「信じられん」
9年前「あ!」
T.S「どうした」
9年前「お前のせいだぞ」
18年前「何が?」
9年前「今、書けないのは、お前のせいだ」
18年前「なにい?」
T.S「どういうこと?」
9年前「18年前のお前が書きすぎたから。資源が枯渇して、俺たち書けなくなったんだよ」
18年前「そんな訳あるか!」
9年前「あるよ!なあ、あるよな?」
T.S「ある!あるよ!」
18年前「バカ!人のせいにするな」
9年前「認めろ!お前のせいだ」
18年前「現実から逃げるな!目を覚ませ!」
T.S「やめろ!過去の日記同士で喧嘩するな」
18年前「ったく、ロクでもない大人になったな」
9年前「小僧、お兄さんが口の利き方を教えてやろうか」
T.S「やめろって」
18年前「誰のせいだ!お前が書かないからこんなことになってんだぞ」
9年前「そうだ、そうだぞ!」
T.S「それとこれとは別でしょ。落ち着こうよ。ねえ、二人とも。そんな怖い顔しないで」
9年前「いいから書け!」
18年前「そうだそうだ!」
9年前「お前が書けばそれで解決なんだぞ」
18年前「そうだそうだ!」
T.S「そんなに簡単に書けたら苦労しないよ」
18年前「いいから書け」
T.S「書けない」
9年前「なんでもいいからさ」
T.S「よくない」
18年前「とにかく書け」
T.S「いやだ」
9年前「観念してさ」
T.S「書けない」
18年前「この分からず屋!」
T.S「書けないものは書けないんだよ!どうしたって無理なんだよ。俺だって書きたいよ。けど、できないんだよ。どうしたらいいかわかんないんだよ。書けないんだよ、俺、書けないんだよ」

 9年前の日記、T.Sの背に手を置き、落ち着かせる。

18年前「大学の時さ。覚えてるか?初めて台本書いた時のこと」
T.S「覚えてねえよ」
18年前「じゃあ初めて読まれた時のことは?」
T.S「覚えてる。サークルの後輩が読み合わせしてて。不思議な感覚だった」
9年前「若かったよな」
T.S「上京したてで、何もかも初めてだった」
9年前「日韓W杯でさ、カメルーン代表がキャンプ地に遅れてきて、なんだっけあの村、日本中盛り上がってたよな」
18年前「中津江村」
T.S「懐かしい」
9年前「あとさ、ボヤ起こしたよな、魚焼きグリルに水引くの知らずに」
T.S「若かった。ただただ若かった」
18年前「あれから18年、あんた、よくやったよ、もう十分やったんじゃないか?」
T.S「・・・そうかもな」

◯27年前の日記

 T.S、9年前の日記、18年前の日記がこたつに入っている。
 みかんの皮をむいている。

9年前「ほら、みかん食うか?」
T.S「ん」
9年前「そうか」
18年前「まあ、じっくりやろう」
T.S「ん」
18年前「あと12時間くらいあるし、大丈夫だよ」
T.S「ん・・・」
9年前「・・・どうした?」
T.S「・・・あのさ、お前らってなんなの?」
9年前「日記だよ。なあ」
18年前「うん」
T.S「それってどういうシステムなの」
18年前「知ってる?」
9年前「知らない」
T.S「知らない?それってどうなの?」
18年前「どうって言われても、なあ」
9年前「うん」
T.S「せっかく何か思いつきそうだったのに。知ってろよ」
27年前「君だってそうじゃないのかい!

 押入れから27年前の日記、出てくる。

27年前「人間どうやって生きてるか説明できますか?さあ、どうなんですか?」
T.S「それは、まあ、知らない」
27年前「ほら見なさい、人間なんて所詮はそういうものなんです!」
T.S「お前は何年前?」
27年前「どうも、27年前の日記です」
T.S「27年前だと・・・」
27年前「9歳です。1993年のことです」
9年前「だいぶ遡ったね」
18年前「子供じゃん」
27年前「君たちより先輩です、敬いなさい」
18年前「なんか釈然としないな」
9年前「まあ、とにかくこたつ入って」

 27年前の日記、こたつに入る。

9年前「27年前はなにがあったんですかね?」
27年前「Jリーグ開幕、ヤクルト優勝」
18年前「へえ。そんな昔なんだ」
27年前「僕は昔話をしにきたわけではありません」
9年前「すみません」
27年前「僕はあなたを抹殺しにきました」
18年前「抹殺!?」
27年前「今のあなたは見るに耐えません。よってお亡くなりになっていただきます。お覚悟を!」
18年前「ちょっと待って」
9年前「俺たち今のこいつを変えようとしてやってきたんです」
27年前「無用です」
18年前「もうちょっとでなんとかなるかも」
27年前「無用です」
9年前「俺たちがなんとかしますから」
27年前「問答無用です」

 27年前の日記、ペンを構える。

T.S「やるならやれ」
27年前「よろしいのですね」
T.S「やれ」
18年前「少しは抵抗しろよ」
T.S「もういいよ。日記が喋り出す人生なんてどうかしてるだろ、このまま終わりにさせてくれ」
18年前「やるのか?」
27年前「はい、やります」
9年前「どんな感じで?」
27年前「このペンを柔らかい部分にグッと突き立てます」
9年前「うわぁ、グロい」
18年前「俺そういうの無理。子供がアリの巣に水流し込むのと同じ発想だよ」
27年前「聞き捨てなりませんね。短絡的だとでもおっしゃりたいのですか?」
18年前「だって、事実そうじゃん、なんでも簡単じゃないんだよ。大人は複雑な事情にも耐えて生きていかなきゃいけないんだよ」
27年前「その弱さ、許容できません」
18年前「なんだよ」
27年前「万死に値します。そこになおってください」
18年前「そういうところがだな」
9年前「まあまあ。そんなに熱くならないで。ただでさえ狭い部屋なんだから

 18年前の日記、ペンを取り上げる。

27年前「返せ、泥棒、卑怯だぞ」
18年前「これが大人の強さだ」
27年前「返せ、返せよ」
9年前「もうやめろよ」
18年前「嫌だね、ほら、ほら」
27年前「よせ、僕は先端恐怖症なんだ、ペン先をこっちに向けるな」
18年前「ほーら、ほらほら」
T.S「やめろ!貸せ」

 T.S、ペンを取り上げる。

T.S「ペンは人に向けるもんんじゃない、文字を書くもんだ、こうやって・・・」

 T.S、手が震えて文字が書けない。ペンを27年前の日記に返す。

T.S「もう人に向けるなよ」
27年前「見覚えありませんか?このペン」

 T.S、ペンを見る。

T.S「いや、ないね」
27年前「そうですか、忘れてしまったんですね、これは君が9歳の誕生日に買ってもらったペンです」
T.S「だからなんだよ、思い出したら書けるようになりましたってそんな安っぽい話じゃないんだよ。残念だったな、お前らのやってることなんて、全部無駄なんだよ、意味ないんだよ」
9年前「そんな言い方しなくても」
27年前「そうですね、意味なんてなかった」
18年前「おい、諦めるなよ」
27年前「別に書かなくたって人生は進んでいく。人生は何事もなく進んでいく。
邪魔して悪かったですね。貴重な時間を」
9年前「本当に行くの?もうちょっと粘ろう、人生まだまだこれからだろ」
27年前「これ以上苦しませるのはよしましょう」
9年前「まだ書くよな、書けるだろ」
T.S「・・・」
9年前「嘘だろ、これまでずっと書いてきただろ、一生書き続けるんじゃないのかよ、なあ、なんでもいいからまた書くって言ってくれよ」
T.S「・・・」
18年前「行こう、時間切れだ」
9年前「そんなのってないよ」
27年前「残念だけど、僕たちは無力だ」

 日記たち、押入れに入り、襖を閉じる。
 T.S、寝転がり目を閉じる。

◯母子手帳

母子手帳「起きて」
T.S「誰だ」
母子手帳「私の可愛い赤ちゃん」
T.S「また来たのか、帰れ」
母子手帳「起きて」
T.S「お前なんか知らない」
母子手帳「私、母子手帳よ」
T.S「何しに来た、あいつらの差し金か?」
母子手帳「顔を見せて」
T.S「なんなんだよ、次から次に、どうしろって言うんだよ、もう放っておいてくれよ」
母子手帳「何もしなくたっていい、何かにならなくたって、ただ生きていてくれればそれでいい」
T.S「嘘だ」
母子手帳「よく頑張ったね」

◯翌朝

 こたつの上には日記が置いてある。
 T.S、起き上がり、日記を読む。

T.S「1984年、大雪が降って町中が静まり返っていたあの日、僕は生まれた。難産で帝王切開だった。難産すぎて、もう少し帝王切開をする判断が遅かったら生まれられなかったかもしれない。1993年、9歳。僕は何かを書くのが好きだった。ノートでもチラシの裏でも紙があればいつも書いていた、文字が好きだった。休みの日は朝から晩まで、本屋に一日中入り浸って文字の世界で過ごした。2002年、18歳。実家を離れて一人で暮らし始めた。大学で同じ道を志す仲間と出会った。初めて自分の書いたものを誰かに読んでもらった日のことは今でも覚えている。2011年、大きな地震があった。あの日を境に世界が変わってしまったと僕は思う。あんなにひどいことが起きるなんて想像したことがなかった。あの日、僕はアップルパイを買って8時間歩き続けて家に帰った。自分がひどい出来事の当事者だと思っていた。家に帰ってニュースを見るまでは。アップルパイは冷めて固くなっていた・・・」

 T.S、日記を閉じて、こたつの上に置く。

T.S「このままじゃ終われない。俺の物語を俺は書く。そうだよな」

 沈黙、誰も答えるものはいない。

T.S「おい、聞いてるか?」

 応えは返ってこない。
 押入れを開ける。
 そこには誰もいない。

T.S「なあ。いなくなっちゃったのか?」

 世界は応えない。

T.S「俺は書くぞ・・・いいんだな・・・」

 沈黙。
 押入れを閉じる。
 こたつに入り、ペンを手に取る。

T.S「2020年・・・俺は・・・書く。誰かに求められていなくても、俺は書く。世界中で誰一人求めていなくても、俺は書く。ダメだと言われても書く。ゆっくりでも休み休みでも俺は書く。もうわかっているから。書くことでしかたどり着けない何かがあることを。俺は書く。理由はもうない。俺は書く。期待もしない。ただ書いている俺がいる。それだけでいい。それ以外には何もいらない」




劇作家。演劇、ミュージカル、オペラの台本作家です。