活動あれこれダルハン遠征編part3 〜協力隊だったんだ、俺は〜
今回でダルハン遠征編はラストになる。勢いで週に3回投稿してしまった。
人間なんて忘れていくことを常として、そして時には武器として生きていく生物である。だからこそ重心が乗ったものを書きたいなら覚えているうちに書かなければ。
というわけで今回のダルハン遠征編の骨子はすでに前の日曜日の内に書き上げていた。
ダルハンの朝
最終日。この日は午前中は特にやることがない。
というわけでダルハンのザハ(市場)とデパートに繰り出した。
皆、デール(モンゴルの伝統衣装)を買ったり、ダルハンの特産品である革製品を買ったり、お土産タイムを過ごす。私はワッペンを買った。
………
うん、写真がフォルダにない。買い物中の写真を1枚も撮っていなかった。
モンゴル児童保護施設「太陽の子供たち」
最後の訪問先は孤児院。ここも隊員が派遣されている。
最初は施設長さんがマンホールチルドレンを見つけて保護していたらしく、そこから段々と行政等から連絡が来るようになっていったとのこと。子供が自力でたどり着いたパターンもあるとか。
マンホールチルドレンについては上のリンク先がわかりやすかった。
ざっくり言うとモンゴルにおけるストリートチルドレンのこと。モンゴルの冬は-40℃にまで達することから、寒さを凌ぐためにマンホールの下で生活するようになったストリートチルドレンが数多くいた。その子どもたちのことをマンホールチルドレンと呼ぶ。
話を孤児院に戻そう。
ここでは子供たちはみんなで勉強したり伝統的な音楽や踊りなどの練習をしている。そしてここで伝統芸能を学んだ子供たちは日本で公演をしたりもしている。東京ディズニーランドで実施されたフェスティバルではグランプリを2回も取ったことがあるとか。
その他には沖縄や埼玉、福島県の会津若松など。会津若松で公演をしたと聞いたときは懐かしくなった。二本松訓練所時代を思い出す。そして私自身のルーツも遡れば会津若松にある。
しかも公演はチャリティーも兼ねており、収入は施設の運営に使われている。なんたる自助、共助力。
これらのような作品も子どもたちが作成して販売をしている。
施設長も話していたのだが、そもそも才能に恵まれた子供を集めたわけではなく、孤児を集めて芸能をしている。それでこの実績はすさまじい。
孤児院を出た子供たちの活躍もすごいもので、日本を含めた海外で仕事をしたりモンゴルの重要のポジションに就いていたりする。
孤児院の教育水準の高さには驚かされることばかりだった。
ちなみに孤児の里親は日本に住んでいる日本人。時折自分たちの里子の様子を見に日本から来ているらしい。里親が泊まるためのゲルを作ったのも子供たち。ここの宿泊料もまた運営に充てられている。
施設長は日本への感謝をずっと述べていた。
ただ、なかなか経営的に厳しいところもあるようで、以前はアジア開発銀行の支援もあったが、今は終了している。今年は子供の冬服を揃えるのが大変だったとのこと。
その後隊員内で意見が上がった。任期が終わって日本に帰る時には自分たちの持ってるまだ使えるものはここに寄付して帰りたいね。
「太陽の子どもたち」についての本。
Kindle版もあるのに加えて、Kindle Unlimitedでは無料で読めます。興味のある方はぜひ。
帰り道
帰りの休憩ポイントのお店でこんなものを見つけた。
ウランバートルにもないんだけどなぁ。どう言う経路で流れ着いたのか。モンゴルの買い物は一期一会。お買い上げ。
感想
ダルハンに行ったことによって自分が協力隊であることを再確認できた。いや、実感したのは初めてかもしれない。
2泊3日、色々なところを見て、交流して、高齢者と運動をして、個人的に相談を受けたりもして。ボランティアしてる。
今回の旅に行けて本当に良かった。
自分が協力隊であるということに気づけた。自分が協力隊だと言って良いのかもしれないと思えた。まだ「かもしれない」だけど、大きな進歩。
現在地から考えた今回のダルハン遠征の意義
正直なところ派遣から1年3ヶ月を超えて、もう自分が何者なのか本当にわからなくなっていた部分がある。
配属先の活動に意味を見出そうと自分で自分を説得しようとしたり、動いてみたりする日々は暖簾に腕押し。
配属先と上手くやれる自信も擦り切れ始めてきていた。
そんな中でも少しずつ外部での活動が増えてきていて、それが活動する上での自分の心の支えになっているんだと思う。自分は外に出ればまだまだ使い道のある人間だ。そう自分に言い聞かせ続けることで辛うじて人間でいられた。
そして今回のダルハン遠征。
自分が描いた協力隊というものが幻ではなかったことを知ることができただけでも価値があったと言えよう。
今後もダルハンに関われるかはわからないし、必ずしもダルハンである必要もないと思う。
でも確かに私という主体はJICA海外協力隊というものを、自らの五感を通して認知した。
未来に今回の出来事を振り返った時に活動のターニングポイントの一つだったと思える場所になったかもしれない。知らんけど。
答え合わせは数年後に。
ダルハン編 完。