多くの人の命を守る、ということ
歩く。
赤信号。
立ち止まって考える。
理系・文系をはじめ、あらゆる学問領域の壁が溶けていく(溶かしていかなければいけない)これからの時代に、技術者ってなんだろう?
工学とは、技術の力で社会をより良くしていくことだ。
みんなが安心して自分の人生を元気に生きられるような社会を支える、名誉と責任ある職業。それが、技術者だ。
その中でも、土木は他と少し雰囲気が違う。士業と呼ばれる職業、たとえば弁護士や会計士、あるいは建築士などは、お客様・クライアントのために仕事をする。お医者さんも、目の前の患者さんを救うために仕事をする。これに対して、土木技術者は、公のために仕事をする。河川技術者は、その河川の流域人口数百万人のために仕事をする。公共事業ならではの考え方かもしれない。どちらが良い悪いというのではなく、土木技術者には、静かな志を心の内に燃やしている人が、確かにいる。
災害からどうやって人の命を守るか。
日々考える。
災害のニュースが飛び込んでくる。
忸怩たる思い。
今年の7月の球磨川も、10/30のトルコでの地震も、悔しくてしょうがない。
はやく大きくなりたい。
「そんなに焦らなくても」と言ってくれる人もいる。でも、首都圏直下型も南海トラフもいつ起こってもおかしくない。もし大惨事にでもなったら、悔やんでも悔やみきれないだろう。
社会基盤の力がその国の国力を決定する。そのためにあらゆる技術を結集して社会をより良くしていくことが、目的としての土木といえる。これに対して、鉄筋コンクリート工学や交通工学などの要素技術は、手段としての土木といえよう。
なにごとも不易流行があるが、目的としての土木は不易、手段としての土木は流行である。古市公威先輩が「いわゆる将に将たる人を必要とする場合は、土木においてもっとも多い」と言ったのも、目的としての土木である。
目的としての土木の担い手は、もはや土木技術者のみにとどまらない。情報通信インフラ建設の旗を振ったのも、土木技術者ではなく、ほとんどみな若きIT技術者たちだった。古市公威先輩が20世紀末に生きていたら、とっくに土木学会と情報通信学会を統合してしまっていただろう。
次の時代をつくる鍵となるインフラは、いったいどんな形をしているだろう?
「○○すればいい」をどう超えるか
T型人材とかΠ型人材とか、色んな話を聞く度に思う。専門性がいくつあればいいという問題ではなかろう、と。
就活の話を聞いていても同じことを思うけれど、高いGPAを取ればいいとか、体育会に入ればいいとか、ボランティアをすればいいとか、学生団体をやればいいとか、資格を取ればいいとか、インターンすればいいとか、「○○すればいい」に落ち着こうとしている時には、一旦立ち止まって「自分はいま安心感を欲しているだけではないか」「ここから何が学べるだろうか?」と自問自答する必要がある。
茶筅型人材という提案
これからの時代は茶筅型人材であろう。「あなたにはいくつの専門性があるのか?」と聞かれたら、DIOよろしく「今まで食べたパンの枚数を数えているのか」というスタンスでいよう。専門性の数が重要なんじゃない。長いようで短い命の時間のなかで何をして、この世界にどんな影響を及ぼし、何を残すかが重要だ。そのために必要な勉強は、どん欲に全部学びたい。志をもって、かつ好奇心の赴くままに。
この話について水谷くんは、「自分の領域は密に、周りの分野を疎であるけどつかんで、最後にお茶を点てるように全部を最後にかき回せる。なんて思いました」と言ってくれた。
そうだ。世界をかき回すには、TやΠでは細すぎる。
11/28中山防衛副大臣と
「宇サ電」という言葉がある。防衛白書にも登場するちゃんとした用語で、「宇宙、サイバー、電磁気」の略称である。次世代戦争においては、宇サ電の領域で勝敗が決するそうだ。
土木と国土防衛も実はとっても相性がよくて、石川栄耀の「防空都市計画」などなどたくさんの資料がある。
いざという時に戦争の災禍からいかに国民の命を守るか、ということも、技術に基づいて考えられる人が考えなければならないだろう。そのために、大学では文系を選んだが、卒業後に自衛隊に入ることを決めた友達もいる。
今でこそ理系と文系は分かれているけれど、大学受験で文系/理系を選んだために将来の選択肢が狭まるというのは理不尽極まりない。各分野の基礎科目だけでも学ぼうと思えば学べるよう、Open Course Wareを早稲田大学にもぜひ取り組んでほしいと思う。