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壺の中に世界を持て

いつものように目白庭園を散歩すると、輝くような青葉に奮い立つような希望を感じる。
でも、それだけじゃないことも知っている。生命の尊さとか悲しさとか、梅雨への予感とか、そういう交響曲の第一楽章のような衝動が、この季節にはある。

さて4年生になり、「地域を経営する」というプログラムを履修した。
地域経営ゼミの19期生だ。
その担任の友成さんが「タコつぼの中のタコ」という話をされた。

タコは軟体動物なので、身を守るために硬い岩場に身を隠す習性があり、タコつぼにも自分から進んで入っていく。「蛸壺や はかなき夢を 夏の月」だ。人間の心もまた脆く、タコつぼのような分厚い殻で自分を武装しようとする。

人間のタコつぼは、さまざまな形をとる。地位、肩書き、住所、会社、出身校などなど、自分を説明するあらゆるものは、自分そのものではないことに気付く。
立派なタコつぼを持った人は立派に見える。しかし、そうしたタコつぼを取り去った後に残るもの、信念や哲学や人格こそが素の自分である。これを素ダコという。

官僚機構などで頻りに話題になる「タコつぼ化」は、縦割り組織の弊害を表している。その仕事は経産省の資源エネルギー庁の案件で、自分は厚労省だから関係ない、といった具合である。およそ人間の分断や衝突はこのタコつぼ同士の衝突であり、素ダコ同士は連帯するというのが友成さんの主張だ。

谷川俊太郎と絶対的な孤独

素ダコ同士は連帯すると聞いて、思い出さずにはいられない授業がある。麻布高校で受けた最後の国語の授業で松田さんが扱ったのが、谷川俊太郎「五月に」であった。

社会の中での他人との関係というものにも、その根元には一個の生命体としての人間の盲目的で自分中心の生命力が働いている。いわばそういう絶対的な孤独から、人間は常に新しく関係を出発させると私は考えている。
だからこそ我々には他人に対して想像力を働かせる必要があるのである。特に遠い他人に対してはそれよりほかに結ばれようはない。そしてそのためには、我々は自分のエゴイズムをできるだけ深くつきつめるしかない。自分の生命欲と全く等しい生命欲を、他人の中に認めるしかない。想像力によって呼びさまされるものは、安易な同情などではない。それは欲望と欲望のせめぎあう無限地獄なのである。(中略)際限もなく自分をみつめることが他人につながり、世界につながると、このごろようやく私にもわかってきた。

谷川俊太郎さんのお父さんは谷川徹三と言って、西田幾多郎に鍛えられた京大哲学の大家で、のちに法政大学の総長も務めた哲学者だ。そんな大哲学者を父に持った谷川俊太郎青年は、お父さんに反抗しようにも逐一哲学的に徹底的に論駁される。その孤独感は想像に難くない。でも、ここでいう孤独というのは、ちょっと趣向が違う。

人間の心のどこかには、絶対的に孤独な空間がある。そういう孤独を抱える人同士だからこそ、結ばれるのだ。人間は完全に人間関係が絶たれたら孤独死すると言われているが、そんな時にこそ「みんな絶対的孤独を抱えて生きているんだ」と思い出してほしい。自殺するなよ。そんな最終講義だったように記憶している。

壺の中の世界

孤独感と孤独は似ているようで、全く違う影響をもたらす。CMUの認知心理学者ティモシー・ヴァースタイネンによれば、慢性的な孤独感は全身性の炎症を招き、脳の白質を損ない、脳の情報伝達を阻害し、社会的交流が減り、認知症に罹りやすくなる。

孤独感は決して軽くないダメージをもたらす。絶対的な孤独は、豊かなエネルギーをもたらす。たくさんの人がいる空間で孤独感を抱く人もいれば、大自然の中でひとりで一体感を味わう人もいる。大切なのは、豊かな孤独だ。

後漢書に、「壺中天あり」という一節がある。何だか浦島太郎のような話だが、仙人に壺の中に連れて行ってもらったら夢の国が広がっていて、そこで数十日ほど仙術を教わって帰ってきたら、現実世界は十数年が経っていた。身につけた仙術で鬼退治したり雨を降らせたりしたが、最後は護符をなくして亡霊に殺されてしまった、という不思議なお話だ。

費長房は、汝南人なり。かつて市掾を為す。
市中に売薬の老翁あり、肆頭に一壺を懸け、市を罷るに及び、すなわち壺中に跳び入る。市人これを見る莫かれど、ただ長房楼上に於いて之を見る、異ならんや、因りて往きて再拝して酒脯を奉ず。

翁、長房の意その神なるを知り、之に謂いて曰く、子、明日更に来るべし。
長房、旦日復た翁を詣る、翁すなわちともに壺中に入る。
唯だ見る、玉堂厳麗にして、旨酒甘肴、その中に盈衍するを、共飲おわりて出ず。

この物語は、仙人のように自分の壺の中に世界を持っておくことが、人生を楽しむ秘訣だと教えてくれる。人生が壺の中だけだと現実逃避と変わらない。でも、壺の中の世界を持った上で現実を生きるからこそ、心から人生を楽しめる。

僕の小学生時代に、先生や同級生によく言われた言葉に「にしかワールド」という言葉がある。自分の世界に入ってしまって、先生の声も聴こえていないくらい考え事に夢中だったらしい。どんなことを考えていたかは覚えていないけれど、物思いにふける時間が僕のエネルギーの源泉になっているのは、今も昔も変わっていない。

壺中の天を大切にしたい。それが、他人につながり、世界につながるから。

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Takaaki Nishikawa 西川貴章
あなたにとって素敵な1日でありますように!