昔々あるところに【前編】
昔々あるところに、
残りの政治家人生全てを賭け、背水の陣で選挙に挑む1人の青年がいました。
名は「音喜多駿」(敬称略)。
それは、「旧小杉村伝道師」の彼と出会う前の話。。。
。。。
。。。
(すみません、少しふざけました💦)
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今日は、音喜多さんのツイートがあまりに懐かしかったので、その話です。
思えば、2019年は波乱の年でした。
人生で初めて選挙にフルコミットした2019年の「統一地方選挙」。
文京区の候補者をまさに二人三脚で、音喜多さんのブログの通りに手伝っていたのですが惜しくも落選。
それと同時に、北区長選挙の結果も知る事になりました。
初のフルコミ選挙で負け、多少気がかりながらも確実な当選を信じていたボスの落選というダブルパンチ。
まさに「泣きっ面に蜂」でした。
次の選挙は遥か4年後。
「何をどうして良いか分からない。」という状態に陥ります。
これは何より、音喜多さんご本人が一番感じられていたのは間違いなく、、、
当時のブログを拝読すれば分かる通り、今後について相当悩まれていた事が察せられます。
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音喜多さんの選択は、国政政党「日本維新の会」と「あたらしい党」とのダブル公認で、7月の参議院選挙「東京選挙区」へ挑戦する事でした。
4月の区長選から時期が空いてないこともあり、世間からは相当なバッシングもあった上、今まで音喜多さんを応援をしてきた方の中でも納得ができないという声が上がりました。
柳ケ瀬さんも都議会議員を辞職し、参議院の全国比例からの挑戦。
音喜多さんの当選は20%~30%くらいだろうという読みの中での出馬の決断でした。
音喜多さんの知名度を加味しても、当時の維新の勢力基盤を考えればそのくらいが当然。むしろ高いくらいだったかもしれません。。。
まさに両人にとって政治家人生を賭けた勝負だったことは間違いありませんでした。
この決断に驚きはしたものの、自分はこちらの方が世の中が変わる可能性が高いと考えて納得しました。
そして、自分もおとやな合同選対の末端として活動を始めたのです。