「優先株式のメリット」は、ストック・オプションにおいて活用されているのか?―(1)理論編
以前、Coral Capitalブログで、justInCase代表の畑さんが、2021年12月に上場した企業32社のストック・オプションについて調査した結果を公表されておられました。IPO時の発行率に加えて、行使価額の多寡をもとにしたSO価値率についてもまとめておられ、専門家を含めてスタートアップの資本政策について検討される方にとって実態を知るための貴重な資料になると思い、私も大変勉強させていただきました。
データを見ていて、ふと、スタートアップの資本政策、特に優先株式による資金調達やストック・オプションの設計にかかわる弁護士として、改めて気になった点がありました。
「いわゆる『優先株式のメリット』は、ストック・オプションにおいて活用されているのか?」という点です。
「スタートアップの出資・投資において(普通株式ではなく)優先株式を発行することのメリット」として、よく挙げられている点としては、極めて大雑把にいうと、以下のような点などが挙げられています[1]。
特に残余財産の分配において差をつけることによって創業者と投資家(VC等)とのM&A時のインセンティブのゆがみが生じないようにすること
ラウンドに応じた株式の異なる内容により価格差を正当化し、適切な出資比率を定めていくこと
場合によっては役員選任権などのガバナンス上の権利を投資家が持つということ(ただ、ガバナンスについては、契約で定めることが現在の実務上多いと思います)
その上で、今回考えたい「優先株式のメリット」は、上記の(普通株式との)価格差からある種派生的に生み出される、ストック・オプションの設計に対するインプリケーションです。
「そもそも優先株式のドラフトをしている意義ってなんでしたっけ……」と後輩の弁護士に聞かれることや、「スタートアップに投資する際にあえて優先株式を発行することの意味って何ですか」と事業会社サイドからの依頼を受ける場合に説明をすることもあり、せっかく貴重な調査結果があるのだから、巨人の肩に乗ってさらに調べて、改めてデータを確認しておこう、と思いました。そこで、上記のjustInCaseの畑さんの調査の対象となった、2021年12月に上場した企業32社の有価証券届出書をもとに、「いわゆる『優先株式のメリット』は、ストック・オプションにおいて活用されているのか?」という点を、税制適格ストック・オプション(であると考えられるもの)をもとに確認してみました(いわゆる時価発行型有償ストック・オプションや、その派生型である信託型ストック・オプションについては、以下に記載する事情で「通常は、優先株式のメリットが活用されているのが前提であろう」ということで、今回は検討を省略しています)。
元々は自分用の確認で、またこの類の取引・資本政策に詳しい方には「当たり前だろう」という分析かとも思いますが、せっかくなので、こちらで公開をしておきます。用語や、表現については厳密さを排除している点、ご容赦ください。もし、事実誤認などがあれば、是非ご連絡を頂ければ幸いです。
書いてみると分量が多くなったので、理論(のおさらい)編と、実例編に分けました。実例編だけご覧になりたい方は、こちら。
1.前提:「優先株式と普通株式と、ストック・オプションとの関係」
(1)ストック・オプションと(普通)株式の時価の関係
スタートアップがストック・オプションを発行する場合、(普通)株式の時価は、主に二つの場面で問題になるかと思います。
税制適格ストック・オプションの行使価額(SO発行時の普通株式の時価以上でないといけない)
いわゆる時価発行型有償ストック・オプションの行使価額(通常はSO発行時の普通株式の時価で発行/オプション・バリュー=SO払込時の払込価額に影響)
今回は詳細を省きますが、いずれも、主に以下の二つのメリットを達成することを期して、設計されるエクイティ・インセンティブになります。
付与を受けた役職員が、SO発行時や行使時(株式取得時)には課税がなされず、行使によって取得した株式の譲渡時まで課税が繰り延べられる
個人の所得税の所得区分において、行使時に給与所得(他の所得との総合課税。住民税もあわせると最高税率55.945%)としての課税がなされず、株式譲渡時に所得全体が譲渡所得(他の所得と分離した申告分離課税。20.315%で完結)となる
1.の、税制適格ストック・オプションの行使価額については、税法上、SOに定められる権利行使価額(株式を取得する際にに払い込むべき金額)が、SO付与時における「一株当たりの価額に相当する金額以上」であることが必要とされています[2]。後述のとおり、役職員向けに、普通株式を取得できるSOを交付する場合、ここでいう「一株当たり価格」は、(種類株式を発行している場合であっても)普通株式の価格を考えればよいとされているのが、ストック・オプションの文脈における「優先株式のメリット」になります。
2.の、スタートアップにおけるもう一つの主な役職員等(税制適格と異なり、外部協力者を含みます)向けエクイティ・インセンティブである、いわゆる時価発行型有償ストック・オプションは、SO付与時に、「付与時のSOの時価」(オプション・バリュー)を払い込むことによって、ある種、有価証券の購入という投資を行ったものとして、そのSOを行使して取得した株式の譲渡時に「交付を受けた株式の譲渡価額―(SO付与時の払込価額+SO行使時の行使価額)」の利益(所得)があったものとして、株式の譲渡時に役職員等が譲渡所得として課税を受けることを期しています。
ストック・オプションも、その名の通り、いわゆる金融派生商品/デリバティブとしての「オプション」としての性質を有しますので、オプション・バリュー(SOの時価)は、原資産である株式(役職員等向けは通常、普通株式)の時価によって左右されることになります。この意味で、普通株式の時価、あるいは優先株式と普通株式の価格差が、有償ストック・オプションにおいても意味を有することになります。
(2)優先株式と普通株式の価格差と、ストック・オプション
2011年11月に経済産業省の「未上場企業が発行する種類株式に関する研究会」が公表した「未上場企業が発行する種類株式に関する研究会報告書」[3]では、次のような点が「種類株式の活用に係る問題点」として指摘されていました。
税制適格に該当するには、付与されるSOの権利行使価額が、付与時における「一株当たりの価額に相当する金額」「以上」であればよいというのが税法上の要件です。ですので、あえて「一株当たりの価額に相当する金額」を厳密に突き詰めなくても、成長して企業価値が上昇しているスタートアップであれば、直近で発行された種類株式(シリーズAにおけるA種優先株式など)の価額を、役職員向けSOの権利行使価額に設定しておけば、「一株当たりの価額に相当する金額」「以上」という税制適格の要件は満たすだろうということで、保守的に対応をするということでも足りるわけです。経産省の研究会報告書では、これが「問題点」とされていますが、第三者であるVCなどの投資家との交渉の結果定められたバリュエーション・株価に基づくものであれば税務当局に否認されるリスクも高くはなく、またあえてコストをかけてSO用に株価算定を行うまでもない、という割り切りとも言えます。これは、スタートアップのステージなど次第で、コストパフォーマンスの観点から合理性がある場合もあろうかと思います。
他方で、役職員にとっては、本来得られるべき利益を得られていないというデメリット(特に、ポートフォリオ投資でリスクが分散できるファイナンシャルな投資家と、自らコミットしてリスクをとる役職員が、同じ株価・SO権利行使価額で、同じリターンしか得られないことになる)は生じ得ることになります。
そのため、同研究会報告書では、経済産業省が、国税庁に確認のうえ、以下の文書をHPにおいて掲載し、税制適格ストック・オプションの適格要件である「権利行使価額」における種類株式の取扱いを明確化したことがある旨が示されています[4]。
上記は、法令・通達に当てはめるために、少しテクニカルに書かれていますが、端的には「シリーズAやシリーズBにおいて、A種優先株式・B種優先株式が発行されていても、当該優先株式の株価を、SOの税制適格要件の『行使価額が一株当たりの価額以上』の『一株当たりの価額』として扱わなくてもよい(普通株式の株価を見ればよい)」ということを国税庁が確認したということになります。
ただ、ここで注意が必要なのは、「では、最後に普通株式を発行した時の株価を、税制適格ストック・オプションの行使価額として設定すればよいのか」というと、必ずしもそうではない(そこまでを経済産業省・国税庁が言っているわけではない)ということになります。極端な例を考えます。
創業者が一株当たり100円の普通株式を引受けてスタートアップを設立
そのまま株式の追加発行や株式の譲渡事例がない状態で順調に成長
シリーズAでVCに対してA種優先株式を一株当たり10,000円で発行
同じタイミングで、役職員向けに、権利行使価額100円で、普通株式を取得できるSOを付与
このような場合に、税制適格における、付与時における「一株当たりの価額に相当する金額」「以上」を満たしているといえるかというと、それは行き過ぎの場合もあるではないかということです。
すなわち、普通株式と優先株式の価格差は、主に、会社清算時の残余財産の優先分配、そしてそれをM&Aの際にもアプライする「みなし清算」時の分配などによって生み出されるものであり、およそ普通株式の時価が永続的に固定されるようなものではありません。スタートアップという器そのものの企業価値(バリュエーション)の中での優先株式とのパイの切り分けの問題であり、企業価値も上がっているのであれば、その大きくなったパイを切り分けた(ただ、優先株式よりは、少しパイの切り方が小さい)普通株式の時価も、スタートアップの設立時よりは上昇しているのが通常であろうと思います(ただし、当然、優先株式による出資がなされる際の実際の企業価値や、優先株式の分配額の設計など次第ではあります)。
経済産業省の研究会報告書の図表でも、普通株式の株価も上昇していることが前提になっています。上昇はしつつも、優先株式の株価よりも、普通株式の株価の上昇が緩やかである(筆者により、緑線を追加)、というのがここでのポイント・メリットであり、反面、その分を考慮しなければSOの付与を受ける役職員は本来もっと得られるはずの利益を十分に受けられていないのではないか、という話になります。
もっとも、繰り返しになりますが、優先株式の発行事例と異なる価格で、付与時における「一株当たりの価額に相当する金額」を突き詰めるのであれば、「税制適格要件を満たしていなかった」と後で扱われる(端的には税務調査のような場面で、ですが[5])ことのないように、適切な根拠に基づいて株価算定を行う必要があります。そのためには評価機関によるバリュエーションを行うなど、コストがかかるところでもあります[6]。そのため、本業にまい進するべきスタートアップとしては、その時点でコストをかけずに用いることのできる指標があるのであれば、費用対効果でそちらを選択した方が、トータルでは役職員も含めてハッピーであるという可能性もありますので、スタートアップの置かれた状況に照らして、選択肢はいくつかある・割り切りも必要になり得るところです。すなわち、直近の優先株式の資金調達ラウンドの株価をもって税制適格ストック・オプションを付与していたとしても、むしろ合理的な意思決定に基づくものである場合があると思われます。
[1] 例えば、Startup Innovators「優先株式の基礎」
[2] 租税特別措置法29条の2第1項3号
[3] 国立国会図書館が2013年1月16日時点で保存したリンク
[4] なお、本稿執筆時点では、同研究会報告書において挙げられている経済産業省のHPはリンク切れになっています。国立国会図書館が2013年4月7日時点で保存したリンクには、当該記載が見られます。
[5] 仮に、税制適格要件を満たしていないSOを発行していた(と、後で扱われた)場合、付与を受けた役職員は、当該SOの行使時に、給与所得としての課税を受けるべきであった、ということになります。発行会社(スタートアップ)がどう関係してくるかというと、給与所得については一定の源泉徴収をしなければいけなかったので、税務署によって源泉徴収漏れが指摘され、スタートアップに対して課税処分がなされ、スタートアップが源泉徴収分(+加算税)の納付をしなければなりません。その分は、スタートアップが役職員に対して「(本来源泉徴収をしなければいけなかった分)多めに利益を与えていたことになるので、その分キャッシュを返して」というやり取りをしなければならず、トラブルになるのは目に見えています。
[6] 例えば、日本公認会計士協会・経営研究調査会研究報告第53号「種類株式の評価事例」では、優先株式と普通株式の評価方法の考え方についての記載があります。厳密に行おうとすると、みなし清算条項が付された優先株式の場合、普通株式に転換せずにみなし清算が発動して優先分配を得られる場合(すなわちM&A)の発生確率を見積もった上で優先株式の価値を算出し、それを株式価値全体から控除して普通株式一株当たりの価値を算出することになります。