私が思う"推し疲れ"について〜
SNSのトレンドで"推し疲れ"が話題になってその流れでとあるつぶやきも話題になっており、"推し疲れ"の例として、①古参や熱量の強いファンによるマウント、②発言力の強いファンによる合わない主張、③迷惑行為、の3点をあげているツイートも注目されていました。③は論外だし、①は経験はなかったのですけど、②にはすごく心当たりがあり、ちょうど②による"推し疲れ"に直面していたので、自分の経験をまとめたいなと思いました。
疑問を持つきっかけ
私がとある好きな界隈の方々と相互フォローになった際、推しの出したシングル表題曲がその提供者も含めて好みだったので楽しんでいた最中、その界隈では「その曲では売れない」「その曲で好きになる人はいない」と言いたい放題言われていました。すごく腹が立ったし、実際にはその曲だけは聴いた人も、きっかけに推しはじめた人も見かけたのでそんなことはなかったのですが、その後も失敗曲扱いされていました。すごく考えが合わないなぁと思いました。
考えが合わないだけなら、個人の好みだからしょうがないのですが、そのことにより推しの運営がものすごく批判される。批判というか誹謗中傷に近い。「なぜ、自分にとっては良い判断だと思うことでここまでの言い方をするのだろうか」と疑問を持ちました。
主張にストレスを感じる時は
こうした主張自体はそれぞれに表明すること自体は自由ではあると思います。しかし、自分の合わない意見が、
①発言力のあるアカウントによる主張が界隈全体の意見かのようにして拡散される。
②客観的なデータがなかったり、知識に不足している面があり、根拠として弱かったり、妄想に近い意見の表明である。
③②のような信憑性の怪しい情報が常識のように広まる。
④必要以上に大袈裟に捉え、誹謗中傷になっている。
このうちのどれか一つでも、あるいは複数当てはまる意見や拡散状況を見かけると多かれ少なかれストレスを感じます。
私の経験
私はストレスを感じる主張を見ると、困ったもので性格上自分と異なる主張を見かけ異論がある時に、異論を表明してしまう人です。一時期、とある界隈の相互フォローが4桁だった時もあるのですが、ストレスの感じる主張にうんざりしてやめてしまいました。
その後、最低限の人だけフォローするようにして別のアカウントで推し活していましたが、それでもSNS上にフォロワー数の多い人のストレスを感じる主張を目にする機会は減らず(このSNSの仕様どうにかなりませんかね?)、また界隈内でそういう空気感があると、それをしてこなかった人もそういう主張をするようになってしまいます。その度にその主張への異論は表明していました。
界隈の人のフォロワー数が少ないアカウントなので、届く事はあまりないとはいえ自分の気持ち的にそれは表明しておきたかったんです。仮に自分が思ってる事と同じ批判がSNSで溢れていた場合、あえて自分が触れる必要はないと考えていたので、結果的には「いつも擁護している人」に思われていたと思います。
とある日、界隈が大いに荒れた日があって、いつものように異論を表明していた時に、相互フォロワーの方が「いつも擁護している人は気持ち悪い」という趣旨の呟きをされてるのを目撃してしまいました。この界隈、色んな意見が飛び交う事だけは最低限保証されてると勝手に思ってた部分があっただけに、意見すごく腹が立ちましたし、同時に悲しさと虚しさを感じました。
言ってしまえばSNS疲れだが
ここまでの内容を読んでいただければ、実は"推し疲れ"ではなく、“SNS疲れ"だということが分かります。ならば、SNSをやめてしまえばいいという話にはなりますが、現在、公式からの情報はSNSが一番詳しく入り、リアルで同じ推しが好きな人がいないため、趣味を共有できる人ってすごく貴重です。
"推し疲れ"はどの界隈でもあるとは言われていますが、その程度は界隈により違うような気がします。自分にとって「なぜ揉めてるのか、叩かれているのか理解できない」事で荒れてる界隈はきついし居場所を感じません。一方で、そんな事なく「荒れることもあるけど、荒れさせた側の主張も理解できる」界隈なら居心地が良いです。
自分の場合は、よく荒れてる界隈にうんざりしていた同じタイミングで、別の界隈では居心地が良いように感じました。あれだけ疲れていたはずのSNSの楽しさも思い出し、もっと交流していきたいという気持ちになります。
だからと言って直ちに推してたものから離れていくことはありませんが、界隈から距離を置いてしまうと自ずと情報が入りにくくはなりますし、そうなってくると自然と推しそのものからも少しずつ離れてしまうかもしれないなと。ただ、自分が楽しくファン同士の交流も含めて、推し活していけるのが一番だなと思います。