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活人マシーン誕生秘話⑦ over the sea over the limit

こんにちは😃
令和の活人マシーンTAKAです。




私は現在、名古屋で自律神経専門の鍼灸院を営んでおり、日々多くの悩める患者さんに希望の光を灯す仕事をしています。


このブログのシリーズでは自分が現在に至るまでの誕生秘話を整理しています。


さて、前回からの続きです。

初めてのフランス旅行の経験わ経て、世界の美しさと世界を股にかけて日本の伝統技術である指圧で活躍することを夢見た。

しかし、現実問題として
フランス語は当たり前に話せない、英語すらまともに喋れない。


そもそも、視力的に色々と不安が多い

こんな若造がフランスに渡ることなど机上の空論、タダの妄想にしか過ぎなかった。

なのに、私はなぜか根拠のない自信と燃え上がる想いだけが毎日あった。

途方もないゴールだからこそ、燃えていた。むしろ、今を頑張る大義名分としては完璧だった。


大手企業を辞めてでも叶えたい夢

自分の中の劣等感を打ち消すための目標

こんな大義名分を自分はずっと探していた。


だから、途方もない目標でも頑張れた。


何を頑張るって?

将来フランスで活躍しますって大口叩きながら、指圧の練習をするだけ。笑


こんなことでは、到底フランスに行く道にはつながらなかった。


しかし


遂にこの想いが爆発して運命の悪戯から本当にフランスに語学留学と踏み切ってしまった

初めてのフランス旅行からまる1年後、


地中海の街、南フランスのニースという街に再び行くことを決めた。

目的は、フランス語をマスターして、今後この街で指圧師として働ける可能性を探すため

初めての海外留学
出発前までに付け焼き刃で鍛えたフランス語では到底生きていけない。

なぜかこんな状況で一切、不安や迷いはなかった。


むしろ、根拠のない自信があった。


誰も助けてくれない土地で不自由な視力と言語のハンデがあるのに


なぜかって?


自分は日本から来たアーティストのつもりだったから


アーティストは言葉が喋れなくても海外で活躍している人は多い


だから自分もそれと同じだと本気で思い込んだ。
そして、アーティストなんだからとにかく目立つ作戦を取った。

その結果

フランスでは見事に老若男女に大人気だった

この人気を得る作戦が後々の自分を救った。

フランスで最も苦労したのは言語の問題なのは言うまでもない。

毎日のようにフランス語の語学学校に通ったが、日本語が母国語の日本人にとって、フランス語は非常に難しかった。


事実、大学でフランス語学科の学生でも現地のフランスではまともに喋る人は少ない。


そんな難しい言語に加えて
自分は視力の問題で学校のホワイトボードが見えない。
テキストや配布資料の字が読めない。

こんな状況でフランス語を習得しようなど不可能だった。

言葉も喋れない、視力にハンデのある苦境でどう戦ったか

それは言葉に頼らない、ノンバーバルなコミニケーションを武器とした。

コンセプトは東洋の神秘のアーティスト

津軽三味線による聴覚的な魅力、和の香りを基調とした自作の香水による嗅覚的な魅力

そして誰よりも目立つ和装による視覚的な魅力


人間の5感を刺激する魅力にて、言葉を喋らなくても言葉の通じない相手の関心を引いた。


学校の生徒、先生、ホームステイ先の家族、その友人
さらには道ゆく人、お店の店員
あらゆる人の関心をものにして、友達となって、フランス語を話すチャンスを活かした。


授業中は全神経を耳に集中させて、視力を使わずに授業内容を理解に努めた。
そこで覚えたフランス語をとにかく使いまくった。


そのおかげで3ヶ月たったころには会話には困らない程度のレベルとなり、学校でも上から2番目の上級者のクラスに上がった。
帰国前には一番上のクラスまで登り詰めた。
そして、帰国後にDELF (フランス政府公認のフランス語の検定)のB2を取得した。

このレベルは簡単に言うと、現地の大学への入学や仕事で求められるレベルだ。

十分な成果を獲得した

不可能と思えたフランス語を見事習得した。

海を越えて、自分の限界を超えた経験だった。


次回へ続く