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No.26 アルバイトと就活と…大学生活と卒業後と

アルバイトと終活と…大学生活と卒業後と

大学で心理学部だったんだけど 30年も前のことだから今の心理学部とは状況はかなり違うと思うんだよね。
当時流行ってたのはねぇ。。。フロイトやユングはもちろんだけど岸田秀さんの「ものぐさ精神分析」とか小此木啓吾の「モラトリアムの時代」とか土居健郎の「甘えの構造」か福島章さんや河合隼雄さんの著書とかそんなんが流行ってたし読んでたな

今は心理学専攻して取得できる資格がいくつもあるはず…公認心理士、認定心理士、臨床心理士、精神保健福祉士とかもとれるかな?

私の時代は三十数年前は心理学はブームになってかなり人気の学部になってたけどまだまだ資格すら整備されておらず、私が大学に入った年1998年に最初の民間資格、臨床心理士の資格がスタートしたくらいだった(しかも受験資格は院卒❗️)
つまり学部卒では受験資格もなく心理関係のなんの資格も得られないのだった😓

とにかく摂食障害(ED)創成期に患い、大学で心理を学ぶこともまた創成期だった…いろんなことが整ってなかったってこと

私と同期は30人ほどいましたがその中で大学院に進みまだ始動したばかりの臨床心理士を目指したのはわずか2人でした
つまり他の学部生は心理は学んだものの直接活かすことはない職場に就職したと言うことね

私は…
私は就職活動しませんでした😓
たぶんちゃんと就職活動していればまだバブル経済弾けたばかりくらいで、まだ売れる市場でそれなりに良い会社に就職できたかもしれません💧
しかし私は自分が真っ当な会社員をやれる自信が全くなかった

あ、たかちゃんこの時期もだいぶ崩れていたとはいえ「やるからには完璧に!」「誰が見ても褒められるものを!」と言うのをめざしていたので
仕事をするとなってずっと継続というのは重荷でしかなかったんです過食嘔吐と両立する自信がない😢

で、就職活動せずアルバイターで職をつなぐことに
そうそうお酒呑むのも好きで、ってかかなり呑める口だったもんでどうしても⁈お給料もいいし夜の商売に足を突っ込んでしまいがち😅
ホテルのバーでのカウンターレディのアルバイトから始まり
その都市一の高級なクラブでホステスのバイトもしました
うーん🤔ホステスって言うとかなり引かれる😓
でも、私面白い❗️って思ってやりがい感じる仕事でした。それはかなり高級な部類の会員制クラブだったせいもあり地位も名誉もある方々しか接客しなかったせいもあるけど…
余裕のある人って違うな、いいな!って思った。経済の話から歴史的解釈の話から世界情勢の話からはたまた恋愛談議まで実に幅広い話題でウイットに富んだ会話が飛び交ってほんとに面白かったなぁ
もちろんこっちが面白がってるだけじゃダメで豊富な話題で楽しませなきゃいけない、そこはママとかベテランのお姉様方はとても上手い!でも常連の余裕のあるおじさま達は「教える」ことで喜びを感じてくれるので口下手で話下手の私のような子はいろいろ教えがいがあるようで…「うんうん、そうなんですねー」ってニコニコ聞いてるだけで結構人気が出ちゃった😜
指名とか同伴とか加算がつくお店だったけどけっこう売れっ子で通ったよね

河豚のフルコースも、鉄板焼きの特上ステーキも、高級寿司店もフレンチも中華も、シャブリもロマネコンティもご馳走になった😋
自分のお金では食べられないような御馳走はさんざん食べさせてもらったから…もう今はふつうに普通のものを美味しく食べるのでいいやって思うほど(マジほんと満足してる)

バイトでホステスをやってた時は当時で月に40万円くらい稼いでいたので衣食住そして過食代まで!(←これ大事!)自分で賄うことができたしね
そしてこの高級クラブでのバイト、両親にも内緒じゃなくてちゃんとオープンでやってました←よく反対したり怒ったりしなくて見守ってくれたよなぁ。。。

もちろん夜のお仕事、お客様からのさまざまな誘いありました!まぁ、あの手この手で誘ってくださいますよね😅
そんなつもりないんだけどなぁ〜と思いながら繋いどかなくてはならないし、嫌な思いもさせたくないし…
でもそこは会員制高級クラブ✨相手にプライドがあるからこそ余裕があるからこそウブでド下手な対応で断ったって、それもまた可愛がってもらえる要因になった🌟

でもね、わたし、長く続けるつもりは全くなかった。向いてないのは明らかだったし。

若くて女子大生かそれ上がりでもてはやしてくれるだけってすごく自覚してた。
この世界でやっていけるのはやっぱり才能がいるよ、向いてる子はほんとすごいよ猛然前私なんかと違うの!頭の回転早くていろんな気配りが同時にできてどんな時でも笑顔でお客様を楽しませることができる才能ね、すばらしい✨

でも大学在学中から何年間だろう?
5年?6年 くらい勤めたかな

そして昼間は昼まで…
(実は就職活動はしなかったものの一番就きたかった仕事は「旅行業界」JTBとか近畿ツリとか)各地を飛び回る、できれば世界を飛び回って仕事したりその企画をたてたりしたかったから
正社員はもちろん無理だから添乗員派遣会社に所属してツアーコンダクターの仕事をしてました
大学卒業後2年ほどかな
国内旅行の添乗員!
まぁ、2泊3日とか長くて4泊5日くらい

添乗員は大変な仕事!
ほとんど24時間×日数仕事出し
お客様に常に気を配ってないといけないし
ガイドも兼ねは時もあるし

もちろん添乗に出ている間は過食はしなかった。これはかなり頑強な砦で私は添乗の仕事中はけっして過食嘔吐しなかった!
そのかわり戻ってくるなりグダグタのダメダメちゃんになったけどね😢

大変な仕事だったけどやりがいもあって楽しかった
いろんなところへ主にバスツアーで添乗したよ(西日本中心だけど)
オーブンしたての長崎県ハウステンボス
福岡のスペースワールドや太宰府天満宮
佐賀の有田焼や伊万里焼の里、壱岐対馬!
由布院、別府温泉、熊本城、阿蘇山、先日氾濫した球磨川沿いの人吉や五木の子守唄の里や…宝塚歌劇団鑑賞、金沢兼六園や和倉温泉、飛騨高山や白川郷、立山黒部アルペンルート…函館など

派遣で添乗員しながら夜空いてる日はホステスしてたわけです
で、空いた時間に貪り食う過食嘔吐⤵︎
待ってましたとばかりに過食
夜の出勤前にと過食
添乗に行く前にと過食
ちょっと合間時間があると過食

ホステスのお給料が良かったから家賃も過食代も賄えていたけど、添乗員の仕事だけだとマンションの家賃払ったら食べていけなかった
そもそも添乗して家にいないのにマンション家賃6万円くらいすごい無駄って思ってた

そう、実家にいて仕事をしていれば稼いだ分まるまる自分のお小遣い
一人暮らしって…自分で自分を支えるのってすごい無駄が多いんだもん

2年間だけなのは実は…添乗員派遣会社に夜のバイトのことがバレて辞めざるをえなくなったから😓

そして…夜のバイトも私にとってはあくまで一時的なものでしかなかったので
それを機に一人暮らしを終了し、実家に8年ぶりで戻ることにしたのでした。


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