
40代男性の生きる意味とは?
どうもTakaです。
先日、ネット上に考えさせられる投稿があった。同世代でもあり、同性でもあったため、ついついじっくりと読んでしまった。
今日は彼の哲学的なテーマを深掘りしてみたい。
投稿内容
煽りじゃなくて40代の男性は何のために生きているのか教えてほしい
既婚、子どもあり、持ち家(マンション)年収600万円程
仕事は事務職中間管理職で上からも下からも左右からも虐げられストレで鬱になる日々
家に帰っても家事育児に追われ、自分の時間を持てずに1~2時間ゲームやネットフリックスを見て不完全燃焼
この生活を1年続けるというのを10年繰り返して、最近頭が薄くなってきた。死にたいとかじゃないが、何のために生きているのか?に対して答えが出せない。
何のために生きているのかを教えてほしい。
自分が生きていく理由を見つけるための参考にしたい。
X(旧Twitter)ではバズってて反応は様々だった。共感だったり、辛辣だったり。
ワイは陽気に酒飲んで独り身の生活を謳歌してるやで
毎日1~2時間ゲームとかネトフリしてんなら自分の時間あるじゃん 何のために生きればいいの解らなければ子どもの為に生きればいいじゃん なんなの?馬鹿なの?
気持ちはよくわかる。同じく40代既婚子持ちだけど、仕事やって帰って家事育児すると自分の時間って驚くほど取れないよな。
かといって、たまに空き時間2時間とかあっても特に何かするわけでもなく終わってしまう。惰性で生きてる感じがすげーある。
同世代の自分との比較
改めて自分自身はどういう人間か?を文章にすると、こんな感じだろう。
独身。結婚経験なし。子どもなし。車なし。1LDK賃貸暮らし。
50歳くらいで早期退職制度(あるかどうかは不明、あるんじゃないかなぁと期待)で退職して自分の会社を起業したい事を画策中。
仕事以外は、英語の勉強に力を入れており、毎日英会話をしている。ジムにも行って体を鍛えて、50歳までにはトライアスロン完走を目指している。
結婚を諦めたわけではないが、何回かマッチングアプリをやってみて、今の地域には自分に合う女性はいないと確信し、別の場所に移動するまでは自己成長期間と位置付けて、今は絶賛男磨き中。
虚無感
私が彼の文章から感じ取れたのは、虚無感。恐らく仕事に関して、そこまで面白くもなく、子育てもどこか義務的に、半ば嫌々やっている行間を感じた。

やりたいことがない
彼にはやりたいことがないのではないだろうか。恐らく入社してから真面目に出勤し、成果を出したからこそ、今の地位があるのだろう。もしかしたら、管理職になるまでは仕事が好きで、仕事を生きがいとしてやっていたことで生きる意味を見出していたのかもしれない。

しかしながら、管理職になり上下の間に挟まれてしまったことで、精神的な負担が増加してこれまで好きだった仕事が好きではなくなり、モチベーションが下がって今に至っているのかもしれない。
彼へのアドバイス
私も長い人生を生きてきて、こういった虚無感を感じていた時期が何度かあった。大学2年生、31歳、39歳。
それらの虚無を感じていた期間に共通していたことは、目的がなかった。何かに熱中してハマって取り組んでなかった時期だった。
大学2年生の時は、部活もサークルも入っていなくて、授業とバイトだけ。31歳の時は、仕事ばかりしていた生活だったため、こんなので良いのか?とワーカホリックな自分に嫌気を指していた時期、39歳ではこの先のキャリアに目標を見失っていた時期。
私は、目標を見失うことで引き起こす虚無感を経験したからこそ、人生に目標が必要だと思っている。
目標、理想な自分、自分はどうなりたいのか?それはいつまでに達成したいのか?
生きる意味、私なりの答え
40代になって気付いた生きる意味。それは利他の心に辿り着いた。
利他の心とは、自分のことよりも他人の幸福を願うこと。 自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと。
あの京セラの会長の稲盛和夫さんも利他の心について述べている。
私たちの心には「自分だけがよければいい」と考える利己の心と、「自分を犠牲にしても他の人を助けよう」とする利他の心があります。
利己の心で判断すると、自分のことしか考えていないので、誰の協力も得られません。自分中心ですから視野も狭くなり、間違った判断をしてしまいます。
一方、利他の心で判断すると「人によかれ」という心ですから、まわりの人みんなが協力してくれます。また視野も広くなるので、正しい判断ができるのです。
より良い仕事をしていくためには、自分だけのことを考えて判断するのではなく、まわりの人のことを考え、思いやりに満ちた「利他の心」に立って判断をすべきです。
目標を持って努力し、利他の心を持ち、他者の成長に貢献する。そしてまた新たな目標を持って努力する。
成長の先に利他の心で他者へ還元する。それこそが生きる意味だと自分なりの答えを出した。
自分自身が達成した喜びよりも、他人を喜ばせることにもっと幸せを感じるようになった。それに気付いてから利他心を持つようになった。