プライドとは、自分に対する絶対感である
岡本太郎さんの本『自分の中に毒を持て』の中に出てくる言葉がある。
「ぼくにいわせれば、弱い人間とか未熟な人間の方が、はるかにふくれあがる可能性を持っている」
未熟な人間の方が、はるかに伸びしろが大きいということだ。「プライド溢れる未熟」こそ、最強なのである。
ここで大切なことは、他に対してプライドをもつことでなく、自分自身にプライドをもつことである。
他に対して、プライドを見せるということは、他人に基準を置いて自分を考えているということ。それは本物のプライドではない。他人の前に出ると、自分をよく見せようと思ってしまうのは、その人間にコンプレックスがあるからだ。
たとえ、他人にバカにされようが、笑われようが、自分がほんとうに生きている手ごたえをもつことが、ほんとうのプライドである。
つまり、ほんとうのプライドとは、相対的ではなく、絶対感をもつこと。それを人生を通して貫くことである。
人に助けを求めるときも、自分が非力だと恥じるのではなく、自分にプライドをもちながら、人に助けを乞うのがいい。
そして、自分はいつも未熟だと思うこと。熟したものは無抵抗である。一方で、未熟というものは、運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけない。それだけに闘う力というものをもっている。
未熟ということをプラスの面に突き上げることが人間的であり、素晴らしいことだと思わなければいけない。
「この世は素晴らしく、闘う価値がある」
ヘミングウェイの言葉である。