38歳 年収ダウンから年収リバウンド
順調にキャリアも年収も上昇気流に乗っていましたが、この歳、グループ企業の再編をきっかけに制度の統一の影響を受け、突然年収が30%ダウンしてしまいました。
ここまで頑張ってきたのに、という悔しい思いでいっぱいでした。
妻に何て言おう、と打ち明けることに緊張しましたが、相変わらず妻はひたすらに、やりたい仕事をやりたいやり方で続けてほしいとあっさり言われただけでした。
プライベートでは楽天家な妻、仕事では一緒に協力してくれるパートナーがいたので、周囲の環境に感謝しながら、危機的状況下で一旦落ち着き、自分のストロングポイントについてしっかり棚卸しをしました。
そこで見えてきた、私のストロングポイント「実行力」「構想力」を、最大限に発揮することを自分に誓いました。
そして自分個人としてのワークを超えて、メンバーにもそれぞれのストロングポイントに注力できる様に社内体制を構築していくことに決めました。
この方法が功を奏し、立ち上げた事業を業界NO1の規模にまで成長させることができ、年収ダウンから2年後、私は再度年収1000万円に返り咲きました。
その後は会社の事業も個人の年収も上昇していきました。
振り返れば、入社時に強く「事業を成長させる」と意図したことが実現していました。
事業推進のなかで沢山の失敗や、組織の歪みや人材育成の難しさなどにも直面しながら、本当によくここまで成長できたなと実感できたタイミングでした。
そして事業が成長段階から熟成段階になった42歳頃、妻から働き方もそろそろ次の段階にステップアップしたらという提案がありました。
妻は昔から時代をキャッチすることに長けており、さらに私に対し状況に応じてベストな助言をくれていましたので、私が次のフェーズに入ってきたこともわかっていた様です。
その助言を体現するかの様に、仕事について「最適なバランス」というものを人生で初めて算出していきました。
私は365日24時間、何かトラブルがあれば対応できる様、家にPCを持ち帰っていたことや、休日も仕事の携帯を持ち歩いてきたことを辞め、平日の仕事を終える時間についても自分でデザインしていくことを意識していきました。
事業単位でも、メンバーそれぞれが最適なチームで仕事ができ、その上手詰まりにならずに新規の事業も創出していける様に権限譲渡もして、気がつけば「一人働き方改革」をしていました。
この頃から私は自分が描きたい未来がここにあるのかということを考え始めました。
私のその雰囲気を察知した妻はチャレンジしてもいいんじゃないと背中を押してくれました。
複数の事情も相まって、家族で一大決心をして拠点を変えて、私の描く未来を実現するために退職することを決意しました。
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