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M1ライフルの照門に関する考察:米軍主力小銃の流れとその立ち位置
Ⅰ.緒言
M1(ガーランド)ライフルはWW2と朝鮮戦争における米軍の主力小銃であった事は有名である。またFPSゲームにおいて弾倉内の弾を撃ち切った際に聞こえるPING!と表される音を気に入り、好きになった方もいるはず。
しかしM1ライフルの特徴はそのPING音だけではない。GUN誌等の実射レポートにおいてはその照準具(照星&照門)の利便性を褒める記事が幾つもあり、私自身もかなり気に入っている。
本noteではこの照門に注目し、どの様な経緯で設計されたのか探っていく。その為ロックの変遷には触れないつもりなので注意して頂きたい。
Ⅱ.M1ライフルの照門の説明
まずは図1にてM1ライフルの照門を示す。
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レシーバー後部にピープサイトがあり、サイトの左側にエレベーションノブ、右側にウィンテージノブを配置する形式である。
各ノブは回すとクリック感があり、1クリック毎に1MOA(100ヤード先で1インチ分高くなる角度)サイトが移動し、弾着位置を調整できる。
ではこれに対して過去の米軍主力小銃はどうだったのだろう。
Ⅲ.米軍主力小銃の流れ
図2に南北戦争頃からWW1までの照門のおおよその変遷を示す。
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Aはパーカッションライフルその物ではないが、2段階のノッチサイトであり、ヒンジで回転させて遠距離用途の背の高いノッチを出す。
Bはトラップドアライフルでよく見られるラダー式のノッチサイトである。
Cはクラグヨルゲンセンライフルのモデル1898であり、ノッチのタンジェントサイトに左右調整機能が追加された。
Dは同じクラグヨルゲンセンライフルのモデル1902であり、ラダー式のノッチサイトの下にピープサイトが追加された併用モデルである。さらにラダーの幅を変える事で弾のドリフトを自動で調整する機能もある。
EはM1903ライフルのモデル1905であり、Dと同様にノッチとピープサイトを併用した物である。
ここまでの照門はレシーバー前部に配置されている。
FはM1917エンフィールドライフルであり、初のピープサイトのみでレシーバー後部に配置された物である。
M1ライフルはM1917エンフィールドの後に採用されたライフルであり、順当にいけば20世紀初頭から採用されたピープサイトへの移行の流れを組み、レシーバー後部にピープサイトという物になったとも思える。
軍の要求ではM1903と同等の性能を要求されていた。
実際にはガーランド氏の初期の試作銃にはM1917エンフィールドの照門その物が載せられており、ガーランド氏と競い合ったトンプソン・ベルティエ・ピダーセンらの銃にもピープサイトが付けられていた。しかし事はそう単純ではなかった。
Hatcher氏の著書「BOOK OF THE GARAND」のP68(※1)に以下の文が書かれている。
「After test of the Garand and Thompson by the Aberdeen Proving Ground and the Infantry Board, the latter recommends the following modifications:
a. Stock
b. Use of Lyman No.48 rear sight」
つまり次期小銃選定側からガーランド氏に対してライマンのNo.48サイトを使う事を推奨されているのである。この時の試作銃に当該サイトを載せた物の写真も存在する(※2)。
ではこのライマンNo.48とは何であろうか?
Ⅳ.ライマンNo.48サイト
ライマンとは現在のLyman Products co.の事であり、一般的にはLyman Sightと呼ばれるタングサイトで有名である。ライマンの販売シリーズにはこのタングサイトの他にレシーバーサイトがある。このレシーバーサイトシリーズにNo.48サイトが位置する。No.48サイトは穴径の小さいピープサイトであり、主に標的射撃の様な精密性を求められる場面で使用する。
図3に写真を示す。
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ではこのサイトを何故に軍が推奨したのだろう。
実は1922年の国際射撃大会に出場したアメリカチームがM1903にNo.48サイトを取り付け、見事300m競技にて勝利をもぎ取ったのである(※3)。
詳細は参考元の記事を見て欲しいが、重いバレルにフック付のバットプレート、コルクボールのパームレスト、据銃補助可能なスリング、照星は円形開口部プレートを備えた競技特化のM1903が使われた(日本におけるエアライフル競技でも似た構成である)
1920年代の競技射撃においてこのNo.48サイトは使われ続けた。
この実績から軍がこのサイトを推奨したのであればマークスマンシップを是とする米軍らしい話であるが、正確な所までは分からなかった。
ではNo.48サイトとM1ライフルの照門を比較してみよう。
Ⅴ.No.48サイトがM1ライフルの参考元か
表1にてM1903とM1917エンフィールド、No.48サイト、M1ライフルの照門の操作性比較を行った。
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各サイトで構造はばらばらであるが、操作性という点においてはM1ライフルに近いのはLyman No.48サイトである。
またM1903とM1917のラダーサイトは代表的な弾道を元に予め距離刻印が彫られているが、M1ライフルはエレベーションノブのカバーに刻印されており、ゼロイン後にその時の距離に合わせて距離刻印を調整できる。
つまりM1ライフルの照門はそれまでの主力小銃の発展ではなく、標的射撃に使われるNo.48サイトに近い種類なのではないかと考えられる。ガーランド氏がライマンを参考にしたかは定かではないが、有り得えそうだ。
Ⅵ. M1ライフルの立ち位置
ここまででM1ライフルの照門は標的射撃に使われるサイトの流れを汲んでいる可能性を提示できたと思う。ガーランド氏自身も標的射撃を嗜み、1920年代半ばにはM1922のロックタイムを短くしたM1922M1も手掛けた。
WW1以降、火力の中心の座から降ろされたライフルにとって残された役割は敵を狙い撃つこと。米軍が半自動小銃を開発する目的の1つとしても、ボルトアクションにおける装填の度に一々照準をし直す必要性を失くし、照準をより行いやすくする事が挙げられていた。
M1ライフルはWW1後、WW2前に開発されたライフルであり、照準をより良くする為に標的射撃に寄った考え方をしているのではないだろうか。だからこそ、現代において射撃場で好まれるライフルなのかもしれない。
Ⅶ. 余談~M1ライフルの欠点とM16~
好まれるライフルと言ったが、照門に関して個人的に欠点と考える点がある。それはゼロイン毎に頬付けの具合が変わる点だ。
弾着点は色々な要素で決まる。例えば気温だ。夏にゼロインした銃を冬に撃つと、弾着点が下に移動するであろう。気温が低くなると大気の密度が上がって空気抵抗が増し、弾速が落ちやすい。その為、弾着点が下に移動する。
そうなると夏と冬では射距離が同じでもゼロイン時のサイトの高さが異なり、頬付けの具合が違ってくる。それにそもそもゼロイン時ぐらいはべったりと頬付けしたいのに、サイトの高さを弾着点に応じて上げるので思ったよりべったりと頬付けできない。
照準の再現性を高めたいのに、頬付けの具合が変わるのは個人的に好ましくない。
その点、M16は頬付けの具合が一定である。
M16のゼロイン時、弾着点の上下を変えるのは照星の高さ変更である。照星にネジが切られてあり、照星を一定間隔で回転させる事でゼロインできるのだ。この時に重要なのは照門の高さ、頭の高さを変えずに済む事である。正確には銃の角度が変わるので一定ではないが、頭はストックに追従が可能だ。これで頬付けの具合が一定となる理屈だ。
ただまぁ、今の時代においてそもそもアイアンサイトよりも光学機器の方が良さそうではあるが……
参考文献
※1 Julian S. Hatcher, [BOOK OF THE GARAND], P68, Canton Street Press, 1948
[URL: ガーランドの本:ハッチャー、ジュリアンS.(ジュリアンソマービル)、1888-1963:無料ダウンロード、借用、ストリーミング:インターネットアーカイブ (archive.org) ]
※2 Robert W.D. Ball, [SPRINGFIELD ARMORY SHOULDER WEAPON 1795-1968], P228, Antique Trader Books, 1997
[URL: スプリングフィールドアーモリーショルダー武器、1795-1968:ボール、ロバートW.D:無料ダウンロード、借用、ストリーミング:インターネットアーカイブ (archive.org) ]
※3 The American Rifleman, 1920年代の米国国際銃撃事件 |NRAシューティングスポーツジャーナル (ssusa.org),2022/12/27