大岡越前守忠相~なぜ知るか?
今wikipedia大岡忠相?調べてた。正月の夜になんかやるらしい。享保の改革で多岐にわたるきめ細やかな改革を実施して、米相場の安定化もその1つみたいな話。
そこから大阪の堂島に世界初の公設の相場ができたみたい。その後寛政の改革とあとなんかで江戸時代の3大改革みたいに言われててるらしい。
歴史とか全く年号暗記とかつまんなかったから興味なかった。でも今と同じよう瞬間の連続で同じ。
川越市と志木駅周辺の違いをここ数日両方の市を少し自転車で行き来して目の当たりにして、まだ少しだから2,3ヶ月は両市を行き来して比較しようかなと。
なんでか考えたり話してたら、トップが違うと。まああと財政とか全て違うんだろうけど。
それで大岡越前って全く知らないで、堀江さんとひふみ投信の藤野さんの対談観覧した時に彼が相場作ったみたいな話をちょうど暗号通貨も当時盛んでそういう話になってて知った。
そんでなぜ多岐にわたる改革ができたかは、多分相当頭が良かったからなのかなと。あとめっさ胆力あったからとか。
その後天災が続いて世の中が不安定になり、一揆や打ちこわしが起きた。打ちこわしは富裕層や裏で権力と癒着してる人とかが家壊されるみたいな。
それって今お金持ちは割と日本で叩かれたりしてるけど、この頃(1700年代?)あたりから、富を独占してるのは不徳で、仁政みたいな社会全体に富める人はそれを使って世の中の人たちに与えるのが善みたいな価値基準だったっぽい。
綺麗事なしになぜ学ぶかはそういう方向なんと思う。個人が富を増やすみたいなのってもうそんな事しなくても十分豊かになってしまった。
前の時代は死活問題を克服上でお金は本当に大きな立ち位置だったがたぶん今はそうじゃなく、単に上の世代のそういう名残的な価値観を無意識に許容してる。
スクラム組んで各メディアが刷り込ませてるトレンドなんかもうくそつまんないから、僕は歴史とか行政とか興味ある対象をできる範囲で知っていきたいです。
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