親友とは。
こんばんは。
ゆるっと行きますとは言ったものの、さすがにゆるゆるになりすぎちゃってた、takanonです。
今日は、幼い頃からの親友に会ってきました。
親友って心から言える関係を今も続けられていることが本当に幸せです。
1年以上開いての再会でしたが、全く違和感がなく…(もちろん、いい意味です)
お互い少し大人になったね、という話から始まり、色んな話をしました。最後には、あんなに犬嫌いだった親友が、犬を飼い始め、犬嫌いを克服したということまで聞いちゃいました。笑
親友というと、大袈裟だなと思われるかもしれないけれど、私たちが親友であり続けられるのは、以下の点ではないかと推測しました。(↓上手く使えているでしょうか?使ってみたかった!)
①連絡を頻繁に取らなくても、再会した時に全く違和感がない
②「親しき仲にも礼儀あり」をわきまえている
③お互いの変化を喜びあえる
①は言うまでもないですが、②の「親しき仲にも礼儀あり」をわきまえて接するという点は、人によって意見が分かれそうだなあと個人的には思います。
そうそう、なんでも言い合ってこそ親友でしょ?
そうそう、失礼なことをしても許し、許し合える関係って最高じゃん!
そういう声が聞こえてきそうです笑
もちろんそういう考え方もあるでしょうね。
何でも言い合える関係が悪いということを言いたい訳ではなくて、言いたくないのに、「自分が」知りたいから、という欲求だけで相手の心を無理やり開かせるのは違うなあと思うのです。
そして、いくら親しいといっても、「人として許容される」範囲を超えてはいけないと思います。(私に何かあった訳では無いですよ笑)長い付き合いの中で、この気遣いが出来るか出来ないかが、親友を持ち続けられる要因になっているのでは無いかと思います。
だから例え、とっても仲のいい友人でも、私は詮索を出来るだけしないように、人として無礼のない様に気をつけています。(たぶん迷惑は沢山かけていますが)一応私なりの対人関係のモットーですかね。
そして、幸せなことに、私と仲良くしてくれる人は皆、その考えを持っている方の様に思います。というより、人間って自然とそうなってるのかも…?笑
③の、
お互いの変化を喜びあえる
という点も、意見が分かれるかもですね〜笑
変わるということは、昔の何かを失う、消す
ことです。でもそれが、本人にとって幸せな選択肢である限り、例え自分と意見が違っても喜ぶべきだと、私は思います。(文字にすると凄く綺麗事に聞こえちゃう)
どう考えても道はずれたやろ!と思う場合は別ですよ(という保険をかけておきます)。
そうなった時に出てくるのが②の「親しき仲にも礼儀あり」という部分だと思います。もし、私の親友が道を外したとしたら(外さないと確信できますが)、私は関わりたくない、ではなく、
関わりたくても関われない遠い存在になってしまったのだ
と判断するでしょう。だから、もしそんな事があったとしたならば、私は無理に詮索しないでおきたいです。
以上の3点が、私がふと思った、私たちが親友であり続けられる理由です。
最後に何を言いたかったのか、よく分からないですが、とにかく私は身近にこんな親友がいて幸せです。でも、だからこそ、特別扱いは別にしません。親友はとっても大事な存在だけれど、同じく友達もとっても大事な存在だからです。どちらが、とかではなくて、どちらも私にとって本当に有難い存在なのです。(本気)
地元に帰ってきて色んな人と話せて、本当にいい春休みでした。もうすぐ実家を離れます。
いい新生活になることを願って!今日はここら辺で。
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