Xなんかでは文字数が足りなくて

 初めてこんなにも躊躇なくtwitterのことをXと呼んだ。友達や他人にtwitterでみた興味深い、おもしろ投稿を見たとき毎回、twitterと呼んでいる私が、未だに「BeRealなんて笑」とブームを嘲笑している私が、コントっぽい、いわゆるしゃべくり漫才以外の漫才を認めない私が初めて時代に迎合した瞬間かもしれない。こんな文章を書くときは初めてじゃなくても初めてって書くのが定石で10万円に関する話は100万円と盛るのが定石でこれを見た人も書いてるこっち側もその方が気分が乗りやすいんだろうな。そんなチンケな想像力と人を少し見下す視点しかもっていないくせにこういった改めて何かを文字に起こすためにPCの前に立ってみるとこんなかしこまった誰かの真似事みたいな文章しか書く事ができないのが私である。
 さてここまで書いてみて自分としては違和感が4つほどあるのだが、まず1つ目は「チンケ」という言葉、意味合いを調べると「チン」という言葉がサイコロ博打に用いられる専門用語の一つらしい(ケは様子を表している)今まで親の敵のように大学生が賭け事をすることを忌み嫌っていたしなぜこんなにも小、中学生の頃にやらされた集団行動の名残かのように同じことをみんなするのだろう。健康的で通常の大学生は大学の二回から卒業までにかけて麻雀をし始める。それが不思議で不思議で仕方なかったし、ポップカルチャーと上手に付き合えない私はみんながするソレを見下す気持ちがあったのも正直なところだ。だが今年の年始、麻雀を人から学ぶ機会があった。正直鬱々とした気持ちで説明を聞いていた、だがしかしその説明の中で、この世界では麻雀生まれの言葉が多く用いられてるとそこで初めて知らされた。そこで私は「もしここでこの人(麻雀を教えてくれた人)をポップカルチャーはダサいというほぼ意味のない理由で突っぱねていたら人生で「テンパる」「パイパン」などそれらの言葉の意味合いを知らずに死んでいた可能性があると思うとなんだか悔しい。私が今まで自分とのせめぎあいの中拒んできたなにかの中にもこんな発見があったのかも、という悔しさに駆られた。
 書いている最中にこんな脱線してしまった。文字を書くのと会話は似ててクモの巣状にキーワードからキーワードへと繋がり、そのキーワードから派生して関連する話を広げて,,みたいなことの繰り返しで、言葉のフランチャイズ店みたいなオーナー独自によって味を出していい会社もあれば厳しい社長のもと全部統一の会社もあってどこの店舗もそのキーワードに基づいて発展していっているかのような、それでいうと私の頭の社長は意外にも優しい。店舗によって味を出してもいいし出さなくてもいい。といった感じになっている。これだから面白い。
 こうしたように頭の中では常に疑問と言葉が派生し続けている。みんなソレは同じかもしれないが良くも悪くも平均よりソレが多いと自負している。だからどこかに文字や文章を出そうとしてもnoteでは堅苦しいLINEはなんか違う。Xなんかでは文字数が足りなくなってしまう。私の頭の置き場所はどこにあるんだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?