トランプウォールがキャンディーだったら

移民政策についてのレポートを書くため本を読んでたらふとこのタイトルを思いついた。だから書きたいことがあって書くわけではなくこのタイトルを題した文章が欲しかっただけだ。とはいえこの題をもった文を書きたいと言う気持ちが襲ってきたということはこの意味深そうな政治学者が文献にユーモアでつけそうなこのタイトルの意味を無理やりにでも説明しなければならない。まず意味としてはほぼほぼない。けれどただ単に人と人をなるべく無機質な人の温かみなんて一個も感じられない人工物で区切る、そんなもので壁を作って可視化して拒否するのはなんだか同じ人なのに悲しいと思った。もちろん、ソレがないとアメリカにとって悪いことが起きてしまっているから内部から賛成されトランプが大統領になっていたのはわかっているのが、、それでもやっぱり納得行かない。と思い、思いついたのがトランプウォールをキャンディーにしちゃえば良いんじゃないか悪い気分はしないんじゃないかって思ったのだ。と言いたいところだが不可能であり無謀で意味がないことだとわかっている。
 とはいえ、話は野球選手のスイングのような速さで違う方向にいくのだが現代の社会は無駄を省きすぎていないか?たまにふと不安になる。全部が効率化されている。これが進化なら自分は苦しすぎるし何より進化とは無駄なものを省く作業でもあるだろうから社会にとって効率化されていない自分はどこに居場所があるのだろう。と不安になり、そして何かが腸のあたりから温かさを帯びて上に上がって口から言葉になりそうになる。「無駄こそ大事なのに」「無駄こそ愛さなきゃ」って。だってだってここにだって(参考文献 ニッポンの社長M-1敗者復活より)全部効率化されたものが正解なわけではないだろうし無駄なことから生み出された何かが今までもこの世に存在しているはずだ。だからトランプウォールをキャンディーにしちゃわない?って私にも提案させて。(追記:書いていたら間で3日ほど空いたので言いたいこと、書きたいことが分からなくなり無理くり締めさせてもらいました


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