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【やさしいSocial Capital(1)】Social Capitalを考え始めたというお話。

近年関心をもっているSocial Capitalのお話を書いていきます。
自分が面白く書けているなと思えれば、シリーズ化することもあると思います。多少は自信があるので、たぶんシリーズ化することになるかな、と。

難解な印象があるSocial Capitalですが、Social Capitalという言葉を初めて目にした方やちょっとだけ関心を持っている方に楽しく読んでいただけることを意識して、できるだけ身近なところのお話を書いていくつもりです。
すでにSocial Capital研究を行っている方には特に目新しいこともないでしょう。ですから、初心者がこんなことを考えているんだな、くらいのゆる~い感じで読んでください。
また、先に言っておきますが、多くの場面で思い付きで書いちゃうと思いますので、その点ご了承ください。

では、さっそく・・・


私と社会学とSocial Capital

私は日ごろから社会のあり方について考えております。

しかも、何でも小難しく考えるのが好きなのです。子供の頃からそういうクセがあります。

思い起こせば数十年前、高校生だった私が社会のあり方について考えている間に社会学に関心を持ち、大学に進学して社会学を専攻いたしました。
若輩の私にとって社会学は面白く、しかしなかなか難解な学問でありました。大学では辛うじて卒業できる程度の成績しか残せなかった私は、その後も執念深く、社会学に関心を持ちながら過ごしてきました。

ある日、ふと考えました。
私たちの世代が未来の世代に残せるものは何か、と。

世の中の多くの人が生活レベルの向上を求めて収入を増やそうと、つまりお金をたくさん稼ごうとして必死になっているのですけれども、はたして私たちが稼いだお金が未来の世代に残るのだろうか、と考えてみました。お金って使う時には思いっきり使っちゃうでしょう。また、貨幣価値は経済活動によって変わるでしょう。貨幣価値なんてこの先上昇するか、それともいきなり下落するか、その時になってみないとわからないですわな。この時点で経済とは非常に不安定なものだと考えました。となると、お金を残すことはあまり意味がないかもしれないなとも考えました。
そうこう考えているうちに、私たちが未来の世代に残せるものは文化なのだろうと考えるようになりました。
そして、文化が残るためには複数の人がいることが条件だな、とも考えました。
複数の人がいれば社会ができるわけです。当たり前の話ですけれど、社会は1人では成立しません。2人以上がいて初めて社会が成立するわけです。
そこで元に戻ってみて、私たちが未来の世代に残せるものを考え直すと、文化というものはもちろんなのですけれど、その文化を作り育む、いわばインキュベーターとしての社会というものが非常に大切であるのだという結論に達したわけです。私たちが未来の世代に残すべきものは社会であり、残すべき価値のある社会なのである、と。

結局、社会のあり方を考える必要があるだろうと思ったら・・・あらら、社会のあり方を考え始めた場所、ふりだしに戻っちゃいました。

堂々巡りになってしまって、こんがらがった自分の頭に楔を叩きこんでくれそうなものを見つけました。
それがSocial Capitalなのであります。

Social Capitalとは?の初歩の初歩

そこで今回はSocial Capitalとは何ぞや?ということについて、そのつかみどころのなさそうな、しっぽの先っぽあたりからそぉ~っと近づいてみます。

まず大前提として、Social Capital=Social+Capital=「社会」+「資本」ということでありますけれども、じゃあ”社会の資本”って何?って、これがわからないと話になりませんよ。
私はこの”社会の資本”とは「社会の根本を構成する資源」であって、かつ資本でありますから「投資の対象になりうる資源」であると考えています。
人と人が何によって結びついているか、その「何によって」の「何」が「社会の根本を構成する資源」であると考えます。逆に、何によって区別されるか、あるいは何によって分断されるかという場合においても、その「何によって」の「何」が「社会の根本を構成する資源」と言えるでしょう。
さらにその資源というのは多くの人々が大切なものであることを認めて「投資の対象」にすることができるものです。これは「お金を投資」するものではなくて、力を注ぎこんで「大切に育てていく」べきものと考えています。

資本ということを考えれば、当然のことながら資本主義という言葉が連想されます。資本主義で最も重要なのは経済なのですかね。それで合ってますか?経済というのは一言で言えば商品やサービスが貨幣によって流通することですかね。それも合ってますか?
そうなると、資本主義社会と言われる現代社会は貨幣の流通を中心に動いているということになります。たぶんそれは事実であって、ならば貨幣がなくなれば社会も崩壊するのかといえばそうでもないだろう。たとえば言語によるコミュニケーションも信頼関係があれば物々交換もできるし、物を共有することもできます。だとすれば、経済は社会の根本を構成する資源というよりも社会を持続するために利用されるものであるとも言えそうです。

Social Capitalの定義についてはたくさんの学者の皆さんがそれぞれの立場で定義を考えておりますが、ピッタリとハマる定義ができずにいるようです。まずは基本的な考え方を確認しておいて、その上で各々が考える定義を議論しながら、弁証法的な昇華、アウフヘーベンを進めることも必要であると思っています。

Social Capitalの日本語訳を考える

さて、日本でもSocial Capitalの研究が進んでいることと思います。私は海外での研究を調べておりますので、申し訳ないのですけれども日本での研究事情をよく理解できておりません。
少なくともわかっていることは、日本ではSocial Capitalを「社会関係資本」と訳しているようですね。・・って、これはどういうことなのだろうと思っているのです。どうしてSocial Relational Capitalみたいなことになっちゃうんだろう。relationやrelationship(関係)はSocial Capitalの中の一つの要素であって、Social Capital=社会関係資本ってちょっとおかしくないですか?と思うのです。

Social Capitalを直訳すると「社会資本」となるわけですが、日本では「社会資本」は道路や水道などの社会インフラを指すことが一般的であるため、それとの混同を避けるためにSocial Capitalを「社会関係資本」と訳すようにしているようです。しかし、私はその訳に疑問を持っております。社会インフラを「社会資本」とするのであれば、社会インフラが整備されなければ社会は成立しないのか、という問題があると考えております。もちろん社会インフラが整備されていない地域であっても社会は成立するのですから、社会インフラが社会が成立するための必要絶対条件ではありません。道路がなくても、水道がなくても、社会は成立するのであります。企業が成立するためには「資本」(=お金)が必要絶対条件であり、したがって「資本」とは企業の成立のための必要絶対条件であるはずです。それでは社会が成立するための必要絶対条件は何か?それは人であり、人と人との関係であるはずです。ですから「社会資本」を突き詰めて考えれば、人と人との関係のあり方がもっとも「社会資本」にふさわしいのです。ただし、前述したようにすでに社会インフラを「社会資本」としているという問題が残ります。そこで私はSocial Capitalを無理に日本語訳しなくてもよいのではないか、と考えております。Identityを日本語訳するのに「同一性」とか「身元」、「自己認識」とかいうことがありますが、どれも的を射ったものではありません、英語には日本語に訳せない言葉が数多くあり、Social Capitalもその一つではないかと考えております。Social CapitalはSocial Capital、ソーシャル・キャピタルとしておいて良く、やがて研究が進んでいく中で適切な日本語を当てれば良いと考えております。あるいは、これまでの社会インフラを「社会資本」と言わなくなることもあり得るでしょう。日本のSocial Capital研究が進展することによって社会の中で定着し、Social Capitalこそが「社会資本」と訳されるようになるかもしれません。それまではSocial CapitalはSocial Capital、ソーシャル・キャピタルのままで良いのです。
私はその観点からSocial Capitalを英語のまま表示するようにし、「社会関係資本」と表示いたしません。なお、場合によってはカタカナでソーシャル・キャピタルと表示することがあります。
ただし、たくさんの方々に読んでもらいたいという思い(=欲)もあって、ここでの#(ハッシュタグ)は「#社会関係資本」も加えることにします。

みんなでSocial Capitalを考えよう

Social Capitalは数多くの学問の中ではまだまだ発展途上の分野であり、今後さら発展する学問になり得るだろうと考えております。
早くから研究に取り組めばSocial Capitalに精通することができるかもしれません。頭の柔らかい若い方々がSocial Capitalを発展させていってくださることを期待しています。
私はもう頭の凝り固まったおじさんです。何となく思いつくことを並べていって、Social Capitalに関心を持っていただける方を増やしていくことができればそれで十分です。Social Capitalについて、なるべく簡単で、なるべく身近な話題から話を進めて、多少は学術的な知識も織り交ぜながら、誰もがSocial Capitalを考えてくれるようにしていくことが私の使命じゃなかろうか・・・なんて思うのであります。

ここまでお読みくださいまして、まことにありがとうございます。
お話の続きはまた改めて・・・。

今後ともなにとぞよろしくお願い申し上げます。

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