Worshipper達と生活すると

実に12年間夢見てきた教会開拓、
2022年に信州上田に移住して、1年間は準備して、
2023年の夏、やっと教会開拓がはじまった。

この夏は、国内、国外から、いろんな人達が来て一緒にミニストリーをしてくれた。
テキサスから、オーストラリアから、香港から、もちろん国内からも。
カレンダーを見返してみると、ゴールデンウィークくらいから、毎週のように人が来てくれて、7月に入るとほぼ毎日人がいた。
8月後半になると、さすがに体調を壊して夫婦でダウンしてしまったが(多分コロナ)、数か月のあいだ濃いい宣教マインドの人たちと生活をしていると、なるほど、自分のマインドも習慣も変わってくる。

毎日のようにWorshipして、祈って、ミニストリーして、という数か月、その「まとまった時間」からとても影響を受けたように感じる。

10年前以上前に「たけしさんが教会開拓するとき絶対手伝うから!」と言ってくれたJustinが、本当にテキサスからチームを連れて来てくれた。(なんて誠実なやつ)

チームは全部で5人、Justinと彼の家族を入れると10人。
僕らを入れて12人。
10日間近く一緒に生活して、ミニストリーすると皆が家族になった感じ。

いくら田舎の大きな家でも、わりとギューギューになる。
でも、それがまた良い。
ひとりひとりと距離が近くなる。

彼らは本当にWorshipper で。
着いたその日の晩から歌い出す。
テキサスから飛行機に乗って、それから新幹線で長野まで来たばかり、
でも、ひとりがギターを弾き出すと、つられてカホンをたたき出す、ピアノが入ってくる、歌が入ってくる、賛美が流れ出す。
ひとしきり賛美して、次の朝がくる。
朝、ひとりがギターを弾き出すと、つられてカホンをたたき出す、ピアノが入ってくる、歌が入ってくる、賛美が流れ出す。

オーストラリアからは、ジョナサンとカーラと子供たち。
前にニュースレターにも書いたのでご存じの方もいるだろうが、ジョナサンは宣教師の息子で日本で生まれて日本で育った、プロギタリストでもある。そしてカーラはペルーで生まれた宣教師。
二言目には「神さま」という単語が出てくるような夫婦で、いつもアンテナがピンと神さまに向いているようなふたり。
今ある問題や悩みなどすこしシェアすると「神さま、この問題を・・・、神さま、この悩みを・・・」とすぐに祈りだすような感じで、僕と話してんだか、神さまと話してんだか、わからなくなるというか、「ああ、そうか神さま入れて、3人で話してんのか」っていう感じの彼ら。
彼らも本当にWorshipper で祈りの人たち。

香港からの宣教師夫婦もそうだった。
彼らの滞在は短かったけど、僕ら夫婦と賛美と祈りの時間を過ごしてくれて、彼らからあふれるように祈りが流れてくるのが印象的だった。

他にもたくさん色んな人が来てくれて、数か月間、賛美と礼拝、祈りと励ましがあって、一緒にミニストリーする毎日。

そんな時間に浸っていると、自分のマインドセットが「これはミニストリーでこれはミニストリーじゃない」とか「これは礼拝で、これは礼拝じゃない」とかそういう“住み分け”みたいのがなくなってきて、時間とともに生活リズムが宣教師リズムになっちゃう。

どんなマインドの人と、どんな生き方の人と時間を過ごすか本当に大きな影響力があるんだなあと思った。

キリストは弟子たちに「毎週何時から何時に来てわたしから学びなさい」とは言わなかった。
弟子たちとはいつも一緒に生活していた。
なるほどなぁ、と思う。

本気の人たちに囲まれて過ごした数か月は、本気のリズムを残していってくれた。
情熱のない人たちに囲まれると自分の情熱に冷や水をかけられるけど、
今年の夏はアツアツの人たちから熱湯を足し湯されるような経験だった。
湯船で例えるなら、37℃のお湯に、50℃のお湯をまぜると熱くなる、
願わくば足し湯が必要なぬるま湯になるよりも、
むしろ湯沸し器になってぬるま湯を温める側になりたいものだ。

「湯ではなく、湯沸し器であれ!」

名言っぽいわけのわからない事を書いてしまった。
何を書きたかったんだっけ?

2023年、夏の忘備録

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